2012年(平成24年)7月13日(金) インドネシア バリ島に住む娘が2年ぶりに一人で帰ってきた。
日本では私たちの親しい友人を呼んでのガーデンパーテイー、高知や鳥取砂丘などへの旅行をして楽しんでいたが、2週間の日本滞在予定も終盤にさしかかってきた。
娘はバリ島に移住して17年程であるが、少しバリ島についてふれておきたい。
インドネシアのバリ島は、東京都の2.5倍ほどの面積を持つ島で、南半球に属している。 関西空港からの直行便では6~7時間の距離にある。
バリ島には約400万人位の人々が暮らし、85%がバリ・ヒンドウー教を信仰している。 イスラム教徒が圧倒的に多いインドネシアでは極めてまれな例で、このことがバリ島独特の文化や雰囲気をもたらしている。
バリ島での人々の生活は、朝夕の供え物に始まり、誕生から死までの数々の儀式や宗教と密接につながっている。 中でもバリ島独特の音楽や舞踊などの伝統芸能も、至る所で行われ訪れた人達を楽しませてくれる。
娘はブラジルからバリ島に移住しているデザイナーの夫と、二人の子供の4人暮らしで、日常は、by the sea のブランド名で、自分たちでデザインした、リゾートウエアーを製作してバリ島や東南アジを中心に販売している。
娘たちが製作する商品も、南国情緒豊かなカラフルな色彩や図柄、デザインが特徴で、生地も肌触りの良いコットンを使用、子供服から女性、男性用まで幅広い商品を造って多くの人達から親しまれている。
娘たちが製作しているカラフルなデザインと色彩のあるリゾートウエアー
若いカップルが白いビーチの広がる南国の木陰に出来た遊歩道、鮮やかに咲いている花々を見ながら、手を取り合って、頬笑み合うなど戯れながら走り抜けて行く。 by the sea の商品は、こんな状況の時に、カップルの雰囲気や二人の愛を一層高めてくれる南国情緒豊かなリゾートウエアーです。
7月24日と25日の2日間は、娘も初めてとのことで自宅から車で20分程の距離にあり、日本最古の霊場として知られている犬鳴山に出かけることになった。
大阪の奥座敷として知られている犬鳴温泉を通り、500~600m程奥に進むと霊場犬鳴山の駐車場に到着する。 犬鳴温泉には大阪湾に注ぐ樫井川が流れ、その支流の犬鳴川が合流している。
犬鳴川には不動谷と呼ばれる渓谷があり、数多くの滝が存在している。 中でも有名なのが平安時代初期の天皇が、七つの滝を金銀にちなんで命名された七宝龍寺(しっぽうりゅうじ)の滝である。
全国最古の霊場といわれる犬鳴山七宝龍寺の入口、石畳で出来た参道を入って行く娘、娘もこうした日本の名所を歩くのも大好きである。
犬鳴山は飛鳥時代(661年)、修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が28歳の時に開基された。
(修験道=呪法(じゅほう=呪文をとなえて呪う法)を修めて、霊験を得、山林寂静の地で修行をする仏教の一派で役小角を開祖とする)
大和の大峰山より6年早く開山され、役小角の開山時に倶利伽羅大竜王が出現し、これを本尊としたと伝えられている。
昼夜を問わず訪れる人たちを、無量無辺の慈悲の御心で、迎えてくれる行者尊の碑の前での娘。 静寂な雰囲気が漂う所を訪れると、娘は自然と心が落ちつくという。
渓谷沿いにある参道に入って最初に見かける不動谷の滝をバックに撮影する娘と母、外国に暮らす娘も母と共に渓谷を歩けることが楽しそうである。
山深く静寂な渓谷に沿って出来た坂道を一歩一歩ゆっくりと上って行く娘と妻。 左側にも渓谷を滑るように流れ落ちる滝が見えている。
急な坂道を上ると急に美しい滝壺が現れ、2段に流れ落ちる滝が見えてくる。 渓谷美豊かな両界の滝で、真っ白に流れ落ちる滝と、透き通った清水に感激する娘の姿であった。
七瀑とは両界の滝(金胎両部のニ瀑あり、これを併せて両界の滝という、一の滝ともいう)、塔の滝、弁天の滝、布引の滝、固津喜の滝、行者の滝、千手の滝の七つで、今も尚、千古の姿のまま飛沫を上げている。
透明度の深い滝壺に真っ白な清流が流れ、美しい渓谷を見せる両界の滝。 清らかな水流の美しさに娘の心も惹かれていくようである。
人々を魅了する美しい清流が真っ白な泡をたてながらが流れ込み、滝壺を形成する両界の滝 ニ漠をバックに微笑む娘
谷が深く太陽光線が届きにくく明暗がはっきりする滝、上にもご覧のような滝あり、バリ島と違った雰囲気に終始にこやかな表情の娘。
両界の滝を過ぎ、渓谷沿いの参道を上って行くと 老大木の群生地に入って行く。 この老大木は一つなのに、中央が朽ちて二つに分かれてそれぞれに大木になっている。 手をさしながら娘に熱心に説明する妻。
さらに渓谷沿いの参道を上って行くと 森林が生い茂る渓谷の中でひと際、鮮やかな朱色に塗られた山門(瑞龍門)が見えてくる。 山門には紫の幕が暖簾のようにかけられ、寺院としての静寂さと格式をいっそう高めているように感じる。
森林の奥深い谷間に大木が生い茂り、木漏れ日が射す参道に色鮮やかな山門が造られ、寺院の威光を放っている。 娘も ”こんな山中に・・・” と驚きの表情を隠さなかった。
山門を過ぎると参道脇には、日中でも木漏れ日しか当たらないのか、一帯が苔に覆われ、独特の雰囲気を醸し出している。 娘も苔のある風景が気にいっているのか、渓谷を静かに流れるせせらぎの音を聞きながら、周辺の樹木と苔のある風景を静かに見つめている姿があった。
山門を通り、苔の生い茂る一帯を過ぎると赤い欄干の橋が渓流に架かっている。 参道の上には新緑のもみじが覆い、秋の紅葉が楽しみな一帯である。
犬鳴川に架かった赤い欄干の橋を渡り、暫く行くと参道の両脇に赤い幟が幾数本も立てられている。 入り口には鳥居が見え、自然と護摩大霊場に導いてくれている。
中央にあるたき場で乳木をたいて一心に祈る儀式を行う護摩大霊場、その隅にある犬鳴山全図をバックにする娘
密教で護摩は大切な儀式の一つ、大霊場の広場には、鉄製のパイプで出来た護摩のたき場があり、念ずると知恵の火が一切の煩悩を焼き尽くしてくれる。 正面にはそんな儀式を見守ってくれる行者尊の像がある。
護摩の大霊場をさらに進んで行くと女性的な優しさを感じさしてくれる塔の滝
参道脇にある美しい塔の滝をバックに親子で記念の撮影
さらに渓谷沿いの参道を進んで行くと、下記写真のような犬の像が参道上の森林の傾斜地に立てられている。
主人を大蛇から救った愛犬と伝えられている犬の像
この犬の像には 「犬鳴山」 の由来と、儀犬伝説が伝えられている。
説明の看板には以下のことが書かれている。
宇多天皇の寛平2年(890年=平安時代)に紀伊の国の猟夫が当山の行場で鹿を追った時、樹間に大蛇あり、猟夫を呑込まんとす。
猟夫その由を知らず、愛犬しきりに鳴いて猟を遮ぎぬ、猟夫怒りて愛犬を切る。 愛犬の首飛んで大蛇に咬みつき共に斃れる。
猟夫、我が生命を守りして、儀犬を弔わんが為に剃髪して、庵を結んで余生をおくりたりと、その事朝聞に達し、一乗山改め犬鳴山と勅号を賜った。
「犬鳴山」 の由来についての話に、感心したように聞き入って、歩きながら娘と話をしていると、前回、車で訪れた所の駐車場近くにある犬鳴山全図が書かれた場所にやってくる。
2009年に新しく作成された犬鳴山全図の案内板 「七滝に 心きよめて 不動尊 祈る願ひの 叶わぬはなし」 と書かれている。
この近辺には 弘法大師自作の十一面観世音菩薩像が祀られている十一面観音堂や、 諸縁吉祥、願望成就、家業繁盛に御利益があるといわれる 宇賀耶白長弁財天(うがやはくながべんざいてん)などが祀られている。
さらに赤い鳥居をくぐり参道を登って行くと、 一心に祈念して病を全快させた 癌除けお岩竜王を祀る小さな伽藍や、若い女性が、想いの修業僧を追って不慮の死をとげたお志津女を祀る お志津地蔵堂などがある。
この水を持ち帰り毎日飲用すると、必ずや願い事が成就すると云われている湧水を汲み取る娘
お志津地蔵堂の側を通り参道を進むと、谷をまたぐように架けられた護摩焚きの広場が造られている。
正面には炎を表した飾りを背に、身がわり不動明王の大きな像が立っている。 入口には鐘楼があり、娘が初めてだから撞きたいとの思いにかられてくる。
ドーン ドーン と撞くたびに鳴り響く鐘の音が心地よいのか 楽しみながら鐘を撞く娘
すさまじい迫力が感じられる身代わり不動明王をバックに
「犬鳴山本尊である具利伽羅大竜不動明王は、今から1300年前、開山役の行者さまが、奥の滝において祈りだされた、威神力明王で、古くから命乞い不動、運気の守護神として、霊験あらたかな不動明王であられる」 と書かれている。
「日頃、信仰されている神仏と併せて自分の十二支守尊を念じれば幸せが」 と娘に説明すると、娘は自分や家族の生まれ年から、守り本尊を知って 一心に御本尊に祈る娘の姿があった。
私たちの娘はバリ島爆弾テロ事件(2002年)を体験している。
その日は娘たちが経営するby the seaの新店舗の開店日であった。
この新店舗が爆心地50mという至近距離にあり、爆発当日は朝からヒンドウ教による安全と繁栄を祈願する儀式が行われていた。
この時、僧侶の行う儀式の様子が、どうもいつもと違うことに娘たちは気づいていた。 「僧侶が・・どうもおかしい・・・」 といって
いつもの倍ほどの時間をかけてお祈りの儀式を行った。
その日の夜、儀式を終えて新開店のお祝いパーテイーを新店舗で多くの人達を招いて開催していた。
パーテイーの盛り上がった時刻に50m先で自動車に仕掛けられた爆弾が大爆発、周辺に居合わせた多くの外国の人達が犠牲となった。
幸いにしてパーテイーの出席者や娘家族は全員無事であったが、パーテイー会場のシャンデリアが、爆風により娘のすぐ横に落下していたが怪我はなかった。
パーテイ会場の新店舗は被害が少なく、出席していた人達も全員無事であったが、店舗の前や横の建物は無残にも破壊され、
前の道路や周辺は見るも無残な形で多くの人達が倒れ犠牲になっていた。
私が数年後に爆心地を訪れると慰霊碑がたてられ、当時の惨状を伝えている。
これを見て、よくぞ無事でいてくれたと安堵な気持ちと犠牲となった人達への慰霊と、
今後こういった惨劇が二度と起こらないようにお祈りせざるを得なかった。
娘はこうした体験からか、バリ・ヒンドウ教に対しての理解と身近で大切な存在として受け止めている。
信者ではないが、ご利益は信じているようであった。
こうしたバリ島での体験が、ここ犬鳴山七宝龍寺を訪れ、「万物には魂が宿る」 という日本の神道や宗教に興味を示していた。
こうした娘の体験からか! 娘は犬鳴山七宝龍寺に数多く祀られている神仏に興味を抱いているようであった。
特に生まれ年によるお守りの御本尊には、興味を示し、娘家族の幸せを祈る娘の姿があった。
犬鳴山には次のように書かれている。
「干支の生まれ年により各人持って生まれた先天的な性質、宿命的な運勢のあることは争いのない事実である。
弘法大師は各人の個性に合わせて、生涯信仰のできるお守りご本尊を、あまたの如来菩薩のうちから選ばれたことは、本当に各人の幸せである。
日頃信仰している神仏と、この干支守り本尊とを併せて念持されれば、
心に安定が生じ、おのずから自信と勇気が湧き、ひいては知らず知らず幸福と開運の恵まれた生活に入るといわれている。
子 年生まれ守り本尊 千手観世音菩薩 (祈 産生)
丑 寅 年生まれ守り本尊 虚空蔵菩薩 (祈 記憶力、知恵増強)
卯 年生まれ守り本尊 文殊菩薩 (祈 知恵)
辰 己 年生まれ守り本尊 普賢菩薩 (祈 滅罪)
午 年生まれ守り本尊 勢至菩薩 (祈 滅罪)
未(ひつじ) 申(さる) 年生まれ守り本尊 大日如来 (祈 息災)
酉 年生まれ守り本尊 不動明王 (祈 除災招福)
戌 亥 年生まれ守り本尊 阿弥陀如来 (祈 減罪往生) 」
七宝龍寺の本尊は俱利伽羅大龍不動明王の龍で、物事の成就の守護神である。 本堂入り口にあり一緒に撮影し微笑む娘。
本堂の入口に掲げられている当山の本尊である龍の絵図
赤いお堂と奥にある滝が、滝修行が奥なわれる行者の滝
犬鳴山七宝滝寺内にある「行者の滝」は「霊力ある御滝」として全国各地から禊ぎに訪れる人々が後を絶たないそうだ。
行者のくぐり岩の岩穴をくぐる娘
行者くぐり岩は、台座岩穴をくぐることにより、行者さまの偉神力と御尊像胎内に納められている心経の功徳力と、
穴をくぐることにより、人々が六根清浄となり、所願成就の法益を授かることが出来ると伝えられている。
滝修行する人たち(当山掲示写真より)
なかでも大寒に入る頃の季節になっても、百日寒行を行う修行者の方もおられるようである。
多くの方々が修行に訪れる行者の滝、この滝で役の行者や弘法大師も修行されたと伝えられている。
私たちは犬鳴山七宝龍寺の滝などを見学した後、駐車場に戻ると、「葛城山にて弁当を買って行って食べよう!・・・」 といううことになった。
早速、近くのスーパーで昼食弁当の買い物をする。
買い物を終えた後、再び葛城山に行って、風光とそよ風が吹き抜ける心地よい場所を見つけて昼食をとることにした。
大阪府下は連日猛暑が続き日中の最高気温は35度前後に、 そんな中、1000m近い葛城山頂近辺は、爽やかな風が涼しさを運んでくれる。
何度経験しても3人で摂る昼食の味は格別である。
昼食を終えた後、葛城山頂にある展望台に向かって行く。
展望台からは360度の眺望が可能であるが、当日はご覧のように霞んでいて見えないのが残念である。(関空方面)
葛城山頂近くの紫陽花が満開になった公園にて娘と共に
7月26日(木)朝、娘がバリ島に帰国する日がやってきた。 出発準備も整い愛車に乗り込む前の母娘
車窓からの関西空港のゲートには出発を待つ飛行機が何機も並び、国際空港の姿を見せている。
搭乗手続きをすませ、待ち時間をコーヒーショップで談笑しながら過ごす親子
出発時間が近づき国際線出発口に大きな荷物を手にして向かって行く娘
インドネシアテンパサール空港行き航空機の搭乗手続中の案内表示
娘の日本滞在は2週間余りであったが、いつも二人で静かな生活をおくっている私たちの生活の中に娘が帰ってくると、急に賑やかになったように感じる。
娘も帰る所があるだけでもうれしく心が落ちつくと言ってくれている。
帰ってきた娘の話を聞いていると、外国での生活に慣れてきているとはいえ、
宗教や習慣・風習などの違いが、職場などにもあって大変なようであるが、事業は順調で安定しているようであった。
また、二人の子供が成長し、将来が楽しみのようでもあった。
そして、7月26日(木) 2週間の日本滞在中に私たちに様々な思い出を残してくれた娘は、ガルーダインドネシア空港で帰国して行った。
また、バリに戻ると娘の多忙な日常生活に戻っていくことと思う。
日本にいる私たちは、娘が身体に注意して 自分らしく活きていってほしいことと、
娘家族の幸せを念じる気持ちで一杯であった。
先だっては、色々とお話を聞かして頂き、大変有意義なひと時を過ごさしていただきました。
「住民の声くまとり」は、情熱のあるリーダーシップを大村さんが発揮され、メンバーの方々も大変優秀な方が多く見えます。 私はこういった市民活動の経験がなく、たいした活動はできないですが、色々と勉強をさしていただきたいと思います。
松野さんの「良くする住民の会」は、大変内容が緻密で大変だと思いますが、活動成果も少しずつ出てきているように感じますし、活動に対する町民の理解の輪も広がって行っているように感じます。 これからは体調に留意されて活動されますようにお祈り致します。