2012年(平成24年)7月13日(金)午前9時30分、インドネシアバリ島に住む娘が2年ぶりに関西空港に降り立った。
空港一階にある国際線到着ロビーの出口前で待っていると、娘が元気な姿で現れてくる。
今回の日本への帰国は、娘単独で、二人の子供(男の子)と夫は、インドネシア北西部にある街に、10日間の予定でサーフィンに出かけるとのことで、別行動をとったとのことだった。
2年ぶりに娘が帰ってくると、普段は夫婦二人の静かな生活が、急に賑やかになったように感じてくる。
日本へ帰国した翌日には、大阪府内の大学に通う親戚の娘や、友人たちがやってきてガーデンパーテイーを開催する。
ブラジルの店から取り寄せた、タレをつけずに食べる肉や、我が家手製の料理で大変盛り上がったパーテイーとなった。
16日(月)には、娘と3人で高知へ出発することになった。
マイカーはエステイマを使う予定であったが、エアコンに不具合が生じて、ラクテイス(1500cc)で出かけることにする。
南大阪の自宅を11時30分に出発、阪神高速湾岸線からハーバーハイウエイに入り、神戸京橋から阪神高速を走行し、第二神明道路に入って行く。
第二神明道路明石SAで休憩をとったあと、娘が 「私が運転する」 と言いだし、運転を交代することになった。
娘の運転は、なかなか安定感のある落ち着いた物で、助手席の私も安心できるものであった。
第二神明道路から国道2号線加古川バイパス、姫路バイパスを走行、バイパス終了地点から、山陽道龍野ICに入って行く。
山陽道もスムーズに走行、倉敷JCから四国方面に向かう予定であったが、娘と話に夢中になって、うっかり四国方面のJCTを見落としてしまった。
道路を間違えたことに、倉敷ICを過ぎてから気づき、次の玉島ICで下車して引き返すことになった。
山陽道の走行も、何回も走行し慣れた道路であるが、こんなことは初めてである。 30分程余分に超過してしまった。
倉敷JCTから瀬戸中央道に入り、瀬戸大橋の途中にある与島PAで休憩することにした。 娘の運転時間も2時間近くになっている。
瀬戸中央道与島PA。 瀬戸大橋の高架橋と本線からPAへのらせん状のランプウエーを望む。上が道路で下側に鉄道が通っている。
瀬戸大橋の途中にある与島パーキングエリアから四国方面を望む。
与島PAのある瀬戸中央自動車道は、岡山県にある早島ICから香川県坂出ICまでの37kmの高速道路で、瀬戸内海を挟む大橋は、高速道路と鉄道との併用橋である。
瀬戸大橋は、6つの橋と4つの高架橋からなり、総延長は13.1km、道路鉄道併用橋では世界一の長さを誇り、10年の歳月と、日本最先端技術を駆使して1988年(昭和63年)に開通している。
私どもが駐車している与島PAは、瀬戸大橋や瀬戸内海を眺望できる絶好のロケーションを誇り、エリア内は公園のように整備され、施設の屋上にも展望台が造られている。
晴天に恵まれた与島PAから瀬戸大橋(四国方面)を望む。 娘は屈託のない笑顔で与島PAでの休憩を楽しんでいるようである。
瀬戸大橋全景の航空写真(左が岡山県側) を挟んで記念撮影する娘と妻 (写真奥は四国側坂出市)
瀬戸大橋と書かれた記念のモニュメントをバックにした記念の写真
与島PA内の施設の屋上にある展望台から瀬戸大橋を望む。
与島PAで写真撮影したりして楽しんでいると、急に空腹を感じ、施設内にある さぬきうどんのレストランで遅い昼食を摂ることにした。
みんなで ざるのさぬきうどん を注文、娘も久しぶりに食べる日本伝統の食事に満足そうであった。
与島PA内のレストランでさぬきうどんを食べる。 コシがしっかりしていて美味しいうどんである。
レストランに掲載されてい 「会えてよかったネ!」 のポスター。 右図は高知のよさこい踊りの衣装をイメージしているのか、着物袖におへそを出しているのが面白い。
与島PAから私に運転を交代、娘が瀬戸大橋走行中に写した一枚(大橋東側の瀬戸内海の風景)
瀬戸中央道坂出JCTから高松道を走行、途中にある川之江東JCTから高知自動車道に入って行く。
高知自動車道は四国山地を縦断するために、大変トンネルの多い高速道路である。 川之江JCTから南国ICの50km程の区間に、上り線22本、下り線19本のトンネルがある山岳高速道路である。
かつては、対面通行の片側一車線で、照明も暗く走りぬくかった。 その為にか死亡事故も多発していたようであった。
現在は全線4車線化が完成、ずいぶんと走りやすくなっている。
高知自動車道も伊野ICで一般道に入り、20km先にある、私の故郷佐川町に18時頃に到着する。
佐川町内のスーパーで夕食の買い物を済まして、町内の自宅に帰ると午後6時30分頃であった。
帰宅して、直ぐに雨戸をあけたり、夕食などの準備を3人で始めると直ぐに完了する。
食事準備も完了、近くに住む幼馴染の友達夫妻に連絡すると、すぐに二人でやってきて、5人の賑やかな夕食となった。
高知の近況や娘の話など、話題が豊富で、杯を重ねるごとに盛り上がった雰囲気になっていく。
久しぶりに会う友と、高知での夕食を共にする。 娘と高知の友は、ブラジル旅行や2年前の高知で顔を合わせている。
7月17日(火)今朝の高知は、真夏の太陽が輝いているが山間部に属し、真ん中を河が流れ、青々とした水田が広がっているせいか、大阪よりも涼しく感じる。
先祖のお墓掃除を手伝う娘と妻
先祖のお墓は河を挟んで2か所ある。 中央にある橋上での娘。奥の建物は小中学校の校舎。
下に流れる川は日本一の清流としてNHKテレビ等で紹介されている仁淀川の支流である。
2年前の同じ季節、この橋の1kmほど下流での場所、子供たちと川遊びを楽しむ娘と孫
娘はこの場所からの光景が大好きで、この風景を見ている自然と心が落ちつくと言っている。
先祖の墓掃除を済ました後は、近くのスーパーでショッピングを楽しみ、25分ほど先にある伊野簡保センターに行って日帰り入浴を楽しむ。
娘も日本の温泉は大好きで、帰国すると何回かは必ず温泉を楽しんでいる。
7月18日(水)午前中に喫茶店で朝食を摂り、近くの農家直売店などで、高知特産品のミカンなどを購入。
家の片づけなどを済まして、午後には高知を後にして大阪への家路につく。
伊野ICから高知自動車道を30分程走行し、大豊ICから一般国道の32号に入って行く。
この道路は、四国山地の険しい谷間を流れる吉野川に沿って造られ、川を挟んで国道32号とJR土讃線が通っている。
このルートは切り立った断崖絶壁が醸し出すV字渓谷の美しさを、車窓から そのままに楽しむことができることから人気の高い観光スポットになっている。
その中心をなす渓谷が大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)と呼ばれる地区で、2億年もの時を経て、吉野川の激流に結晶片岩が削られてできた渓谷である。
その昔、この辺りは四国山脈を越えるときには、必ず通らなければならない場所であった。
崖が切り立ち、川の流れも速く、古くからの難所として有名であった。
「大歩危・小歩危」の名称の由来については、「大股で歩くと危ない」 という意味で 「大歩危」、 「小股で歩いても危ない」 という意味で「小歩危」 という説が伝えられている。
また、日本一の激流と呼ばれる小歩危峡は、ラフティングの名所としても全国的に知られ、時折その光景を眼下に見ることができる。
白い泡をたてながら透き通った清流の大歩危峡を眼下に望む妻と娘。 この場所からの光景はいつまでたっても飽きることがない。
四国山脈のど真ん中の大歩危峡をバックに微笑む娘、対岸にJR土讃線、右側に高松、高知を結ぶ国道32号が通っている。
大歩危峡の険しい崖をバックに娘と共に、この場所は渓谷の舟下り乗船場にもなっている。
渓谷の谷は深く、上空には真夏の太陽が輝き 山峰を照らしているが、撮影場所はご覧のように少し暗くなっている。
大歩危、小歩危峡で写真撮影をした後、国道32号をドライブしながら、車窓からの渓谷のロケーションを楽しみ、徳島方面に走行して行く。 途中にある井川池田ICから徳島道に入り、藍住ICまで1時間程走行して一般道に入って行く。
一般道を3km程走行した後、高松道の板野ICに入る。 その後、神戸淡路鳴門自動車道を走行して行く。 明石海峡大橋を渡ると、第二神明道路を通リ、阪神高速湾岸線を走行して家路について行く。 南大阪の自宅には午後10時過ぎに到着する。
7月22日(日) この日の娘は妻と二人で、朝早くから鳥取方面にバス旅行に出かけて行く。
母娘が二人でバス旅行に出かけるのは初めてで、二人とも楽しそうであった。
猛烈な真夏の太陽が輝く鳥取砂丘での記念の撮影。
砂丘近くにある砂の美術館前、 横から二人のおばさんが見つめている中、二人で記念撮影
砂の美術館内の砂で出来た作品をバックに微笑みながら撮影する母娘。
真夏の猛暑が続き、我が家でも午前10時を過ぎると、エアコンなしではいられないほど温度が上がる。 エアコンを使ってない2階の室温が33度になることもある。
そんな、暑い日中でも1000m近い葛城山中の涼しさは格別であることから、「山で食事をしょう!」 と話すと、直ぐに決まり 近くのスーパで昼食の買い物を済まして 出かけて行く。 椅子やテーブルなどは常時、車に積載している。
7月23日は自宅近くにある和泉葛城山へ車で行って涼しい木陰の中、3人で昼食を楽しむ。
1000m近くにある山頂付近での食事は格別で、平地では30度を超す猛暑が続いている。
山頂付近に眺望の良い木陰の下にテーブルを置き、食事を始めると、心地よいそよ風が樹木の間を通り抜け、癒してくれる。
親子3人で食べる山の食事は最高で、時間の過ぎるのを忘れるほどであった。
娘の日本滞在期間は7月26日(木)までで、日本での休暇を満喫しながらも、バリ島への帰国が少しずつ近づいてきている。