女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

事実は小説よりも奇なり。

2015-11-07 05:36:41 | 日記
私の家の周りは、不思議である。
まずは隣の爺さんの声がいつも聞こえるのだが、夜中はおしっこをもらしたりしている。

〇聞こえなのだから、仕方がないが、オムツを替えてもらうときに爺さんはさけぶ。
そして、今の時間ごろ下の爺さんは、お出かけをまいにちする。

今の時間は暗いのだが、体の不自由なのだがさっさとどこかにおでかけ。
二人とも通名老人なのだが、日本人をなのっているのだ。

この町での事件は、いろいろあるのだが、まあ慣れてきた。
爺さんの声も、お漏らしの叫びも、なんとなく仕方がないのでなれた。

毎日住んでいたら、こじきがうろうろしているのも、不審者が訪問するのもなれる。
新聞やが、893みたいで、恐ろしくしつこいので私は在日のようにして日本語をわからないと断った。

日本語がわからないのでは、あきらめて二度とこない。
それにしても、在日はえらいものだ、日本語がちゃんと読めるのだ。

でも、近くの老人は、読めないから困っているのも事実だ。
識字学校に行くのも、いやらしく適当にわからない文字と生きてきた70歳なのだ。

私は、こんなところでどうして生きているのか。
老人の声だけを、わずらわしいと感じているこの場所で、簡単に言えば安くてくらし安いから。

文句ばかりであるが、近くに環境のいいところがあり、案外気に入っている。
老人の声は、時に私をイラつかせるが、これは慣れたら、虫の声ぐらいになる。

老人は、せんずりのときも叫ぶのだ、80歳では層でないであろうが、毎日しこるすごいひとだ。
どうせ、在日なら小さなものを、サルのようにもてあそぶのが一番楽しいことなのだ。

いろいろなことがあるが、在日同士の喧嘩もすごかった。
私は、たまたまかかわらなかったが、恐ろしい剣幕で喧嘩をする朝鮮人通名は、すごい。

おばあさんになっても、迫力ではすごすぎるので、私は付き合いをすぐにやめたぐらい。
すごい、醜い顔でも、自信を持って生きる様は、すごい人々である。

いろいろな意味で、朝鮮の朝は、いつもはやいのだ。
車で朝早くどこかに出かける人、働いてはいないのだが、いつもすこしだけおでかけなのだ。

おばあちゃんも、おじいちゃんも、すごくいやらしく元気がいい町だ。
そんな町でも住んだら都なのだ。


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