女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

自殺なんてできない自分だった。

2015-10-22 00:56:00 | 日記
死んでしまいたいほど、つらい時期を越えたときに死ななくてよかったと思う。
若いときから、貧乏すぎて幸せなんて、あんまりなかった。

それでも、生きられたのは、自分があきらめて生きるタイプだったから。
いい加減で、あいまいに人生であったから。

今でも、こんな夜中に、気持ちの悪い声がきこえるところなのだ。
恐ろしい男の声がいつも聞こえる、トイレは丸きこえなのだ。

しかし、その運命を受け入れて、死ぬことよりも生きることの大変さを感じた。
自殺は、一度で死ねないらしいし、もちろん迷惑をかけるのだ。

鉄道自殺で、頭と体がばらばらになった画像をみたときに、迷惑をかけると感じた。
人生の最後まで、人の手を煩わせたくはないのだ。

人はいきたくても生きられない人が、たくさんいる。
この無駄な命を、たくさんほしい人たちがいる。

神様はなんて不公平だと思う。
無駄な人生の私を、永く生きさせて、本当に長生きしなくてはいけない人を死なせる。

第二の人生なんてないわけだし、この世で終わりなら、何とか無駄な時間をすごすしかないのだ。
無駄な人生を、ねずみがわいて、音のうるさい、とんでもない部屋ですごすしかないのだ。

逃げられない夏は、地獄の部屋ですごすのだ。
ゴキブリもいるのだ、どんなに掃除しても、どこかの部屋が汚い限り、でてくるのだ。

だから、自分だけ不幸だとは、おもっていない。
だが、最低の生活でも死ぬ権利はないのだ。

生きるのは、まだこの世の中でちゃんとしたことができていない。
神様の許しがないので、修行の様なものなのだ。

汚い生活で、汚い顔と、心でいきている。
そして、おばあちゃんとなって、死ぬまで生きるのだ。

人に迷惑をかけないように、老衰するのが、夢なのだ。
老衰して、かれて死んでいくのが、いちばんいい。

苦しまないで、最後ぐらい逝きたい。
一番いい死に方で、最後は、楽に逝きたいのだ。

自分のコンプレックスで、鬱になった。

2015-10-21 16:17:16 | 日記
私は、自分の見た目の悪さと、肥満そして、どうにもならない運命で鬱になった。
死んでしまいたいほどに苦しんでいた、でも神様は寒い冬さえも生きることを選択したのだ。

生きることで私のできることは、こんな愚痴を言うことぐらいでなにもない。
つまり、世の中のカスであり、ごみなのだ。

生きる迷惑とも思うが、できるだけひっそりと死ぬまでいきなくてはいけない。
楽しみはないが、人がたまに喜んでくれるように、何かをしてあげることぐらい。

自分の幸せは何もないが、最低人間の生き様を残しておこうと思った。
ブログは、世の中で最低最悪の私がどうして生きたのかを、書いておこうと思ったからはじめた。

いろいろな時代を生きて今、一番大切な人間の心がなくなりつつある。
いい人もたくさんいるのに、悪い事件ばかりが目に付くのだ。

私はたぶん、この醜いからだのコンプレックスは一生だとおもう。
鏡を見るのが嫌いだ、そしてブサイクな自分が世の中で生活するのがとても苦痛なのだ。

もう少し、きれいで美しかったらどんなにか、女として楽しかったかと感じている。
デブでブスで、何にもできない女は、年をとると必要悪になり、世の中から捨てられる。

いろいろなことから、落とされ捨てられてそれでも、馬鹿にされることに慣れるまでいかされるのだ。
まるで、動物園のさらし者だ。

人生はやり直しは聞かない、もう次などはない、天国もわからない。
だから、苦しんでのた打ち回って、心臓が動かなくなるまで、私はもがくのだ。

美人に生まれていたら、人生は変わっていたかもしれない。
それから、金持ちに生まれていたら、たのしかったかもしれない。

でも、この人生より不幸だったかもしれない。
人間は、楽しいことはほんとうにすくない、そして苦しみは次々に沸いてくるのだ。

だから、今度奇跡的に生まれ変わっても、苦しまない心のない物質にうまれたい。
けっして、鬱になるような苦しい人間の人生を二度と歩みたくはないのだ。


恋愛の究極の形は、心中です。

2015-10-21 09:38:55 | 日記
私は、経験はないが好きな人と死んでしまうほどの恋をしたことがない。
これは、好きな人と結ばれる形として最高のものだ。

好きな人と同じところで死んでそして骨になる。
同じところに埋められないであろう二人は、天国で結ばれる。

なんて、素敵でロマンチックであろう。
誰にも邪魔されない愛そして、永遠の約束が死であるのならそれでいい。

誰かに奪われるぐらいなら、壊したいと思う歌詞があるように。
誰かに採られるぐらいなら、私は殺してしまいたいという情熱が好きだ。

計算でなく、すべての好きという感情が高まれば、相手を自分のものにしたい。
つまり、逃げれなくする、死しかないのだ。

そして、自分も永遠に寄り添うことができるのが、心中だ。
そんな恋愛はしたことがないが、物語のようで私には縁がなかった。

好きということは、相手を束縛して自分から離れられなくすることである。
そんな古めかしいことを、今の若者はしないだろう。

自由とは、お互いに割り切った関係で、本当に好きではないと思う。
離れていく危険がある、お互いに自由をとる今の人は、本当の恋をしていない。

唯一無二の人を、愛すると。
それで死んでもいいし、相手を殺したくなるもの、心中が素敵だ。

私は、残念ながら、そんな情熱も老化して衰えている。
恋は、素敵な刺激だけど、完熟するときは、死ぬこともありと思っているのは私だけなのか。

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