今日のころころこころ

2013・12・8 おばさんの葉っぱ かながわ名木100選 横浜市・北天院のイヌマキ

12・5の続き。

益田家にモチノキ様を訪ね、そば忠さんで手打ち蕎麦を満喫して、再びポーラ前バス停から向かったは、東戸塚駅。

目指すは、かながわ名木100選・横浜市北天院のイヌマキ。
着いた。

北天院だな。北に向かえとスマホがナビをする。

そこを曲がるのね。

東海道をくぐる。

ほう。清水谷戸地下道というのか。川とかの気配が無い感じだが、以前の地形は違ったのだろうな。

線路につきあたる。横須賀線だ。

そこが、臨済宗・品濃山北天院様。

微笑む。

秋が美しい。

ところで。あれ?イヌマキ様はどこだ???
階段を引き返す。

ラッキーであった♡お掃除しておられたおじさまが、なんと!植木屋さんではなく有力世話役様であった。

イヌマキ?槇だよ!あれ。

そうか。入ったすぐの、お墓に囲まれたあれだったんだ。

立派な大木様だ。

なにが見えるのかな?

とおおお!??いきなし墓石にけつまずいて転んでしまった。けっこうに擦り剥いたよな・・・コケたからというではないが、なんか不自然?
世話役様にうかがったら、横須賀線が通ってお寺の敷地が分断されてしまったという。丁寧に説明してくださった。
階段の上の本堂は二代目。元々は下のイヌマキ様がある墓地に本堂があり、品濃川が流れ、池も橋もあったという。イヌマキ様もお墓に囲まれていたのではなく本堂前のシンボルツリーだったようだ。線路の向こう側になってしまった墓地を移転して、本堂を新築して、今の北天院様になったらしい。

世話役様が子供の頃は隣家まで10分はかかる山村だったそうだ。小学校は分校であったという。品濃川は暗渠となり、今ではその面影はどこにも無い。

世話役様は27代目だという。世話役様の御先祖様は、新潟は糸魚川からこの地に来たという。北天院様のご先祖様も一緒に来たらしい。親父が早くに死んでしまったから詳しいことを聞けなかったんだよとおっしゃる。
・・・・なんとも謎めいてるなぁ。
太平洋側が栄えたのは、そんなに昔ではない。横浜は、明治までは横の浜。貧しい寒々とした漁村にしか過ぎなかった。日本海側が都会であった時代の方が長かった。
そんな時代に、翡翠がとれる貿易が盛んな豊かな地から狐狸が跋扈する山奥へ移住とは・・・
なんとも謎めいてる・・・
イヌマキ様はご存じなのかな?

ま。
今回は、帰ろう。
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