今日は曇りから雨降りになった。
これも台風の影響なのか蒸し蒸しと蒸し暑い雨。
丸仲通りを出光美術館へ。
「仙厓のすべて」。
会期は9月3日~10月16日。
予約制。展示室の撮影は禁止。
仙厓(1750年~1837年)は、江戸時代に九州は博多を拠点に活躍した禅僧。
仙厓が住持を務めていた博多の臨済宗古月派安国山聖福寺(安国山聖福至仁禅寺)は、1195年(建久6年)に源頼朝から地を賜り栄西禅師を開山とした日本最初の禅寺といわれる。
仙厓は名僧としてばかりでなく禅画も有名。
「厓画無法」の精神に基づいたユーモラスで自由奔放な作品を数々のこした。
そして画には必ず画賛というメッセージが添えられている。
初めて目にした時には、これってほんとに江戸時代の偉い坊さまが画いたんかいな?と思った。
ほんわか系の絵に人生訓なメッセージを添えたこんな感じって今でも人気ある。
第1章:仙厓略伝ー画賛でつづる一生
第2章:「厓画無法」ー仙厓画、ビフォー・アンド・アフター
第3章:仙厓の禅の教えー悟りへのイントロダクション
第4章:仙厓の人生訓ー充実した生活のためのハウツー
第5章:「絶筆宣言」ー仙厓の終活
第6章:バラエティ―あふれる画賛の世界ー仙厓に画けぬものは無し
仙厓は、美濃国武儀郡(現・岐阜県関市)の貧しい農家に生まれ11歳の頃に得度・出家したという。利発な子供であったのであろう。
禅僧としての仙厓は資料があるけど、画の修行に関しては詳しいことはわかっていないようだ。正統狩野派系の手本を丁寧に写すなどして画技の習得を目指していたようだが、次第に細密描写から略画風になっていったようだ。しかも、本格的に画き始めたのは60代で隠棲してからのことという。
ゆるキャラ風画に添えられた画賛を読んで行く。
ウソです。達筆すぎて読めない。解説をたよりに文字をたどる。
「氣に入らぬ風も あろふに 柳哉」
「よしあしの 中を 流れて 清水哉」
「鶴ハ千年 亀ハ萬年 我ハ天年」
「楽しみハ花の下より 鼻の下」
並べていけばキリがない。
ほどに、仙厓は請われるままに画いて画いて画きまくり、そして疲れた。
絶筆は「墨染の袖の湊に 茟すて々 書にし愧を さらす浪風」。
そして、謎。
仙厓の代表作といわれる「〇△□」。
この作品だけ画賛が添えられていないのだった。
出光美術館のラウンジからはお堀がよくみえるのであるけど。
今日は息をのんだ。
雨が降りしきる風景はまるで水墨画のようじゃないか。
博多の仙厓さんがここからこの風景をみたらなんて言うのかな。