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今日のころころこころ

2024・2・11 東京国立近代美術館「中平卓馬 火|氾濫」。あざみ野駅大正堂の反対12時37分新横浜駅。

東京国立近代美術館へ行ったのは2月7日。

「中平卓馬 火|氾濫」。
会期は2月6日~4月7日。

 




写真家・中平卓馬(1938~2015)は東京外語大学スペイン語科卒業後に現代評論社へ入社し編集者としてスタートした。
写真家・東松照明の紹介で同じ歳で同じ逗子に住んでいた駆け出しの写真家・森山大道と知り合ったことから写真へとのめり込んで行き、日本の戦後写真における転換期となった1960年代末から70年代半ばにかけて、実作と理論の両面において写真界のみならず多方面に大きな足跡を記した。
ただ、強烈な個性と劇的な数々のエピソードに彩られるあまり、実際にどんな仕事をしたのかは年々見えにくくなっていった。
今回の展覧会は、大半が雑誌や写真集を通して発表された中平卓馬の仕事を、約400点の資料を通じてたどり再検証する試み。
1章:来るべき言葉のために
2章:風景・都市・サーキュレーション
3章:植物図鑑・氾濫
4章:島々・街路
5章:写真原点
ごく一部を除いて撮影は可能なのだけど、厖大な資料に圧倒されてそれどころではなくなる。











あの時代にそんな言葉があったかどうかはわからないけど、写真家というよりフォトグラファー。カメラの仕事が多岐多彩に渡った時代に、1960年代はそのニーズに乗って自己実現のために撮りまくった。
1970年代になると自己批判と方向転換を宣言。
写真批評と写真行為と写真解体を試みるが、しかしそれはやがて行き詰まり、アルコールと睡眠薬に頼る生活の中で、1977年に急性アルコール中毒で昏倒した。一命はとりとめたものの記憶喪失と失語症の後遺症が残った。
そして、写真原点。
再起後の仕事が並ぶ。




ハッと胸を突かれた。
西方寺さまへ行っていたんだ。

野毛山公園にも動物園にも。

この展覧会のごく一部の撮影禁止は中平の日記やメモだった。
細かい細かい四角い文字でびっしりと時系列ごとに記してある。
記しておかないと記憶は瞬時に消えていく。
ショートホープの箱にまでびっしりとメモが書き込まれていた。
ーあざみ野駅大正堂の反対12時37分新横浜駅ー
東急ストアの前で誰かと待ち合わせて市営地下鉄で新横浜駅まで行くことになっていたのだろうか。
中平は横浜で肺炎で亡くなっている。
再起してからの中平の作品の評価は私にはわからない。
写真に対するひたむきだけがそこにある気がする。
カメラになった男。



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