今日のころころこころ

2017・6・27 テキトーに渡るおばさんの橋 横浜の架替関東大震災復興橋梁・浅岡橋

関東大震災で壊滅状態になった横浜の橋。復興事業で国施工37橋・市施工141橋が新築・改築・修築された。
新田間川に架かるのは、現存は新田間橋1橋。架替は烏帽子田橋・藤江橋・霜下橋・浅岡橋・岡野橋の5橋。
霜下橋の次は浅岡橋。


 


浅岡橋は、市施工・復興費災害土木費其他支辨橋梁16橋のひとつ。平成13年に架け替えられた。



旧橋は横浜震災復興誌によれば。
位置・神奈川區淺間町神明下地先(市道)
橋種・工形鋼桁
橋長・19.60m
有效幅員・7.30m
面積・143.80㎡
施工期・著手昭和三年一月三十一日:竣功昭和三年四月三十日
總工費・8.671.75円
とある。
親柱は旧橋は不明。今はアートな感じ。



この新田間川に架かる橋の親柱は、なんというか、なんだかマスタープランがあったんかなぁ?
藤江橋の親柱はレンガ色のタイル貼りであった。霜下橋もかつてはそうだったようだ。下流の一之橋もそういう意匠。。
ま(^^;
橋めぐりをしているとたいていはエピソードのようなものがあるが、この浅岡橋は、特に無い。
のんびりと柳が揺れる。





と言いたいところであるが、この浅岡橋のたもとには横浜市立岡野中学校がある。
そう。岡野町といえば、岡野勘四郎さん。
帷子川両岸の新田開発を請け負った尾張屋さんであるが、尾張屋新田を開発して頓挫。帷子川左岸の権利を藤江茂右衛門さんに譲った。茂右衛門さんも藤江新田を開発して頓挫。開発権は更に岡野勘四郎さんへと移譲され、この勘四郎さんというのは名跡というか世襲名というかであって、正確には、岡野家10代目良親さん。10代目良親さん11代目良哉さん親子2代でこの難事業を完成させたという。
帷子川と新田間川の間の、今の住所で言うなら、岡野・北幸・南幸の広大な土地が岡野新田だったようだ!
この新田開発の歴史も面白いかもなぁ(^^)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「横浜の関東大震災復興橋梁」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事