昨日の続き。
かながわの古道50選的には松田橋で終点である。
が、道はまだ先があるようだ。あたりまえだが。おばさんももう少し歩こう。
ほう!
この辺りは、清水の人馬継立場だったという。田中屋さんは、関本までの2里を担っていたという。
ん?なんか鳥居。
これは、清水山王社というらしい。ここも、石仏などがたくさんある。
余計なお世話だが、先ほどの山王社といいここといい、このまんまがいいなぁ、と思う。安っぽい社なんて新築する必要なんかないよな。これで十二分に護られてる気もするが。ま。
その先も、ほおお!
ここには旅籠があったようだ。右の粋なのがよろず屋さんで、筋向いには大和屋という講のお世話をした旅籠だったそうだ。
更に進む。この先には、神山神社という神社がある。名前に魅かれる。
とお・・・古道はここから、今になる。
いこいの村との標識ではあるが・・・ばんばんと大型ダンプが通る。
排ガスに辟易しながら歩く。
お!あそこか。
室町の建立とされてる。
ふうん・・・
お向いには、阿弥陀堂。
こちらも歴史ありそうだが、今は、念仏に集う方々の趣味の世界なのかな・・・。?。
ま。
帰ろう。来た道は酷い排ガスだから嫌だな、と思っていたら、高速道の下から帰れるじゃないの。
気持ちの良い川風が吹き抜ける。
良い散策であったな♡
それにしても・・・知らず知らずにたどっていたようだ。
古東海道。
松田惣領(松田町)→神山(松田町)→篠窪(大井町)を経て、栃窪(秦野市)で秦野盆地に下り、盆地の南端を東にむかい平沢(秦野市)を経て曽屋(秦野市)に通じる道があったと推定されてるらしい。手元の地図を眺めると、よくわからない。
渋沢から下るのが早い気もするが。それとも当時はその方が険しくなかったのか?それとも渋沢という地名が新しく篠窪の隣は栃窪であったのだろうか???
秦野市には、醍醐道と呼ばれる古道があるようだ。
醍醐とは、牛乳を煮詰めて酥を作り更に酥を精製した濃厚な液体をいう。今ではどうということもない牧畜に乳製品であるが、奈良時代の初期では、乳牛を飼うことも乳製品に加工することも、これは最先端の技術で製造された貴重な農産物であったに違いない。薬として醍醐は貢納された。
それにしても・・・このあたりは謎めいた土地であるな。
乳牛を飼い加工品を作るというのは日本国古来の文化ではあるまい。そういえば、松田町の町指定文化財に唐沢古代瓦焼窯という史跡があったな。東名工事で出た。奈良時代に朝鮮半島から伝来したのぼり窯形式。これも当時の最先端のテクノロジーだ。
松田惣領と松田庶子という地名は面白い。秦野という地名は様々な説がロマンの羽を広げて乱れ飛ぶ。
なかなかに。
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