今日のころころこころ

2016・3・12 ホリさん傘寿の祝いの前に寄った、五姓田義松展と横浜の野外彫刻・横浜公園

昨日は、ホリさんの傘寿のお祝いであった(^^)


会場に行くまでに時間があったから、神奈川県立歴史博物館に特集展示「五姓田義松」を観に寄る。

謎の多い最後の天才と称される幕末~明治の洋画家である。
ところで。なんで最後の天才なんだ?
洋画が日本国に入ってきたのは幕末~明治である。だったら、最初の天才なんじゃないんかな??
「老母図」。写真で観た感じはなにやら不気味であったが、実際に目にしてみたら、少しも不気味ではなかった。なんというのかな?静かに死を待つ生を全うした充実感に溢れている。ああなんていい作品なんだろう・・・
他の作品も、ああ!と思うところばかりだった。五姓田義松が後進に与えた影響から、その後の洋画家の全てが逃れてはいないじゃないか・・・
だから、最後の天才か・・・

余韻ついでに、弁天通りの骨董屋さんでもひやかして行こうかと思ったが、シャッターが下りていた。
弁天通りといっても、もう1丁目。関内から新横に行こう。
当然のことながら横浜公園の横を通過しかけて、お!この公園にも野外彫刻あったよな。。。

寄り道。

この横浜公園は、山下公園の次に作られた横浜市で2番目に古い公園である。
横浜スタジアムがある公園でもある。

入り口は幾つもあるが、私が入り込んだのは、相生町1信号機。
「心の像」・佐藤健次郎・1981年。

横浜スタジアムに沿うように歩く。

この公園は、チューリップが見事なのであるが、咲く前は、まるで墓標のようであるな(^^;

でも一輪だけ。。

「青春」・井上信道・1965年。

横浜スタジアムをくるりと。。

歩道橋の下は、中華街・玄武門。

でも、公園。。

噴水に水の広場。

日本大通りに向く胸像。
「ブラントン像」・澄川喜一・1991年。

明治のお雇い外人第1号のスコットランドの人であり日本の灯台の父と言われる人である。横浜市にとってみたら、横浜のまちづくりの父でもある。

灯台を作るにあたってブラントン氏は地震国日本という条件を鑑みて耐震に細心の工夫をした。にも関わらずその後の震災で彼の灯台はことごとく被害を受けてしまったが、それでも、日本大通りも横浜公園も、美しい公共財産として残った。。

結局は、中華街を通り抜けて、みなとみらい線・元町中華街駅から菊名でJRに乗り換えて新横浜。


それにしても・・・
傘寿のお祝いは、祝う側がホリさんにご馳走してもらってしまった。
ご馳走される側も1000円づつ集めて記念品等は贈ったし、ホリさんはお金に不自由はしていない。
会場はトラジ。未成年は食べ盛りでガンガン食べるし、成人はガンガン飲む。
いったいいくらかかったんかなぁ・・・
こういうお祝いは、祝われる側がご馳走するのが慣例ともいうが、なんだかとっても申し訳なく思う。。。
ものすごい出費なのに、ホリさんは、こんな日に祝ってもらうのもなんだけどなぁ(3・11)とまでおっしゃる。。。
会場に行く前に、寄ったの良かったのかもしれないなぁ・・・
ホリさんの喜捨のこころは、忘れない。
絶対に。
おめでとうございます!
また来週も道場でお会いしましょ(^^)(^^)(^^)
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