東京に残る高低几号標。
今日は足立区の大川町氷川神社さまへ。
東京メトロ千代田線北千住駅下車。
スマホのナビで向かう。
公園だ。
そうか!日光道中初宿・千住宿。江戸時代からの東北への玄関口。
この野外彫刻はなにか伝説とかに関係あるのかな?
そこかしこに千住宿の面影が残る。
町田市の熊野神社さま同様に足立区の氷川神社さまも何柱もあるようだ。
四丁目氷川神社さまもあるのか。
この団子屋さんは家屋は新しいけど歴史は古いのかな?
川だ!荒川。
大川町氷川神社さま。
旧千住新橋親柱。
富士塚もある。
高低几号標はあそこだ。
紙すき碑。
天保14年に幕府の命によりこの地のすき紙を献上した記念碑のようだ。
かなり大事な記念碑だと思うけど、それを削っての高低几号標。測量に対する並々ならぬ熱意を感じる。
さて。
高低几号標が刻まれた時この記念碑はどこにあったのだろうか?
境内の幾つかの解説を読むと、明治44年に荒川放水路の大改修計画が策定され、大正13年に千住新橋が架けられたらしい。ということは、荒川放水路の大改修で境内にある何柱の神さまも高低几号標が刻まれた記念碑もこの境内に引っ越してきたということだ。
ん?この氷川さまも元々ここに御鎮座だったのかな??
荒川の土手に行ってみる。
いつも思うけど神奈川県の川とは規模感が違うんだよなぁ。大きく感じる。
帰りに区立図書館に寄ってみたけど、館員さんはとても丁寧に対応してくださったけど、初めてきた土地のことを20~30分で理解できようはずもない。
荒川が今でも治水が大変なとんでもない暴れ川なことだけはわかった気がした。