東京に残る高低几号標。
上野の森から谷中墓地へ。
なかなかにアートな公衆トイレ(^^)/
墓石に囲まれて宴会する人も少ないだろうからここの桜はコロナ真っ最中でもお花見でにぎわうかな?
高低几号標はなぜだか路上。
このお方の墓前付近。明治の大岡と呼ばれた初代大審院長・玉乃世履。
場所はここだったのかな?
この状態では使えないから元々は横須賀のペリー公園のようだったのだろうな。
それにしても、この残すというところが謎なんだ。
高低几号標の先には天台宗護国山尊重院天王寺さま。
裏手は日暮里駅。
天王寺さま室町時代の創建とされ、東京に残る数少ない江戸時代以前の古刹。
今は天台宗だが当初は日蓮宗。この地に住んでいた関長耀の家に日蓮上人が泊った折に自分の像を刻んで残したという。長耀はこの像を奉安するために草庵を結んだのが始まりという。
目黒の滝泉寺さまと湯島天神さまともに江戸三富だったそうな。
富くじの熱気は江戸とともに消え今はここだけ別天地のような静寂に包まれる境内。
天王寺さまから谷中に残るもう一つの高低几号標へ向かって谷中墓地を通り抜け。
そういえば渋沢先生のお墓も確かここだった。
新札が出たらここもにぎやかになるのかな?