とこにもかくにも、煉瓦!
ってなによ(^^;
横浜の歴史的建造物をめぐっていると、必ず出てくるのが煉瓦。
1859年(安政6年)横浜開港。それまで日本国には無かった煉瓦や西洋瓦などの建築材料が様々な建造物に用いられた。
フランスの実業家アルフレッド・ジェラールが来日したのは1863年(文久3年)。山手居留地77-78番地を永賃借地し、山手の湧水を利用して船舶給水事業を手がける一方でフランス瓦の製造も始めた。
建物は、あ~お洒落あ~異国情緒で誰の目にも付きやすいが、地下はよくわからない。
当然のことながら人は食えば様々に出す。それはどこかで処理せねばならぬ。
公共衛生上下水道は必須。今のように様々な素材がある時代ではない開国当時。土管という言葉があるが、今はコンクリでもなんでも土管というが、まんま土管。
市環境創造局中部水再生センターに再現展示されてると資料にあって、電話してみたら要予約。大人数のフルコース(?)なら色々と段取りがあるようだが、あ~その程度なら2日ならいつでもどーぞ!というわけで、寄り道しながらちょこっと社会見学に出かけたのであった。
横浜市営バス小港橋バス停下車。
歩き出す。
小湊橋を渡る。
この歩道橋一度渡ってみたかったんだよな。
歩道橋を下りれば、横浜市環境創造局中部水再生センター。
お!鳥たちへのクリスマスプレゼント。
受付。
ご案内くださった職員さまありがとうございました!(^^)!
「関内石造下水」。
所在地・中区関内一帯
構造概要・石造
設計者・三田善太郎
建設時期・明治14年~
明治10年代の横浜はたびたびコレラに襲われ、上下水道の整備が急がれた。
明治14年から下水道整備が始まり、それは関内日本人街の石造下水道敷設と関内外国人居留地の陶管下水道の煉瓦造への改造工事だったという。
関内日本人街の下水道整備は、神奈川県御用掛の三田善太郎が設計した。馬車道から出土した遺構から、内径0.9m・高さ1.45mの馬蹄形アーチと判明した。予算削減のために底部は松が敷かれていたというからなかなかに涙ぐましい。。
そしてこれは、日本人による日本人のための最初の近代的下水道施設!!!ここから始まった!
「居留地煉瓦造下水道」。
所在地・中区関内一帯
構造概要・煉瓦造
建設時期・明治14年~20年
関内外国人居留地一帯には、明治初年にR.H.ブラントンの設計で陶管下水道が設置されていたが、明治14年からの煉瓦造に改造は三田善太郎の設計で始まった。
幹線は大中小のコンクリを巻いた煉瓦造卵型管で、要所には煉瓦造のマンホールや洗滌桝、人造石の雨水桝・汚水桝が設置されたという。
輪切りではあんまし実感ないが、覗き込んでみれば、おお!こんな風につながっていたんだ!
それにしても、すごいな明治の漢。たった10年くらいで自前でインフラ整備ができるようになっていたなんて!
ところで私は青葉区ですがどこの管轄ですか?とおうかがいしたら、下水道とは、行政区分がこうだからここと単純にはいかないそうだ。真っ直ぐに通せば効率はいいがそれは人間のご都合で、地形とのご相談だそうだ。
なるほどねぇ・・・
下水道って深い!!!
帰ろうとしたら、わ!お土産くださった。見学者全員かばのだいちゃんがもらえる!(^^)!
こんな物好きなオバサンにまで申し訳ないと思いつつも、しっかりといただいてきてしまった。
ほんとうにありがとうござました。
それからマンホールの蓋ストラップも!今回知りたかったマンホールの蓋の管轄は水道局と東電だったとわかっただけでもありがたかったのに。
ほんとうにほんとうにありがとうございました。
ん?バス停から落ち葉が動くのが見えた???
猫(^^;こういう擬態もありか(^^;