今日のころころこころ

2014・9・20 おばさんの道 かながわの古道50選・大山道の原宿付近の付近(?)川尻石器時代遺跡

ベリーAは甘くて美味しかったな♡でも、花はすっかり萎れた。摘んでこなきゃよかったな。可哀想なことした。
昨日は、かながわの古道50選・大山道の原宿付近を歩いた。

小倉橋を渡って、終点。

さてさてどーやって帰るか?
バスの本数は一日に数本。でも!運よくそのうちの一本に乗れそうだった。

なんとラッキーな日よ!と油断しすぎましたのです(T_T)
花を摘んで、セブン、といってもフランチャイズの昔からの個人商店のようで、葡萄が安くてたくさんあった。店出たところで、バスが走り去るのが見えた(T_T)あああああ(T_T)

バスがたくさん走ってるところまで歩くしかない。
楽勝との予定が狂った後の気力は、なんでこんなに萎えるのであろうか?
とほとほと、小倉橋を引き返す。

車で通った記憶頼りに歩く。

お・・・廃橋かよ・・・

歩いたのは初めてで、排ガスまみれを覚悟していたのだが、なんと!歩道が整備されていた。

清水というのか。

スマホをとりだして、自分の位置確認。
ん?へ?そうか!
『川尻石器時代遺跡』って、この上にあるんか!せっかく来たんだから寄ってけよ!と言われてる気がしたは、不思議。
なんだかワイルドな道を行く。

突然に開ける。思わずわお!つぶやいていた。

国指定史跡・川尻石器時代遺跡。

相模原市によれば、縄文中期~後期にかけての集落跡で、中期には、80軒以上の住居が環状集落をつくっていたようだ。後期初期には集落の規模は縮小したが、住居は竪穴式から柄鏡形敷石式になったようだ。
遺構や墓群があったということは、造成という土木工事もしていたということだ。
確かに良いところだ(^^)
相模湾はもっと内陸までぐっときていたはずだ。水利は近かっただろう。林に囲まれた広々とした丘陵からは、どっしりとした山が見える。爽やかな風が吹き抜ける。

高校生たちがチャリで軽快に駆け抜ける。

しばし、『豊か』という意味にひたる。
そういえば・・・縄文は、なんで円形なんだろうか?
囲炉裏を囲む文化は、つい最近まであった。
が、四角い囲炉裏は、厳密に席が決まっていた。丸く囲むにしても席は決まっていただろうが、四角に比べたら、ゆるやかだ。90度の角には座りにくいが、円形なら座れる。
帰らなきゃ・・・
歩いてみれば、高校生たちが軽快にチャリ飛ばしていた道は、これは、正式な道じゃなかった。いつの間にかできたチャリ道。

心地よい空間は、時空を超えるのかな。
スマホの地図見ながら歩く。
車からいつも気になっていた、山王社様。

このあたりは、相模川舟運の終点。津久井往還の要所。
縄文から延々と続く人の営みを思う。

結局は、原宿自治会館前まで引き返して、お屋敷の前のバス停。この路線はがんがんバスが来る。橋本駅から帰宅したのでした。

川尻石器時代遺跡に寄って良かったな♡

付記。
相模川をはさんで東は、台地・丘陵地区。
相模川と境川の間が、相模野台地。
旧城山町・久保沢を要として扇状に広がる。
なるほどに、縄文の人々は理にかなった地に拠点を設けていたのですね。
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