写真家・押田美保氏から祖父の個展を開くからぜひとも!とお誘いいただいて、本日は銀座の奥野ビルへ。当初は4月の予定だったけど今になった。
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銀座奥野ビルは、1932年(昭和7年)に竣工した銀座に残る貴重な近代建築のひとつ。当初は銀座アパートという名前の高級アパート(今でいう高級賃貸マンション)だった。
今はギャラリーや事務所が入る。
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エレベータは手動式。
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奥野ビルには唯一建築当時ままの部屋がある。
306号室。
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1932年(昭和7年)の竣工とともに306号室に入居し美容室を開業したのは、須田芳子さん。スダ美容室。須田さんは最先端の自立した職業婦人だったのだ。美容室は昭和60年代に廃業したものの、その後は住居としてここに住み続け、2009年に100歳で大往生された。
銀座奥野ビル三〇六号室プロジェクトは、306号室の経年劣化に意図的介入はせずに、劣化受け入れながら当時のままの状態で維持していこうというユニークな試み。
ギャラリーなど様々に活用されている。非営利だからお気持ちを募金箱へのお気持ち。
11月25日~11月30日まで、「押田清正写真展~子供の情景Ⅱ~」。
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押田美保氏の祖父・押田清正氏は明治33年(1900年)に木更津に生まれた。やがて兄と二人で横須賀日本海軍の御用商人となり大きな店を経営してた。趣味の写真にも糸目をつけずにお金をかけることができたようだ。
当時はフィルムが出る前でガラス乾板。ドイツやイギリスからの輸入品を使用していたという。軍事機密になるので横須賀の風景は撮影禁止だったから、主に家族写真を撮っていたという。
でもそういう商売だったから敗戦と同時に無一文なったこともあったという。
一族の中で唯一写真の道に進んだ美保氏に清正氏は多くのガラス乾板を託し、美保氏はそれを整理し、暗室でバライタ印画紙プリントしてよみがえらせた。
なかなかイケメンなお祖父さんである。
と言ったら、当時の写真は修整しまくり!あ。今も同じか!と孫。
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昭和初期~令和まで生き延びてきた306号室に同じく歩んできた写真。
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きっと疫病前だったら、押田氏への土産ばかり考えていて、展覧会そのものは、ほぉ!レトロ♡くらいな感想で終わっていた思う。
乗り越えてきた建物と家族写真が力をくれる気がした。
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