今日のころころこころ

2018・11・21 東京の素敵な建造物 北区・青淵文庫

渋沢栄一資料館見学に飛鳥山公園へ。



飛鳥山は八代将軍吉宗が江戸庶民の行楽地として桜を植えて酒宴と仮装を認めた桜の名所。
渋沢栄一がなぜこの山の一角に邸宅を構えたあるいは構えることができたかは私にはよくわからなかったのだけど、明治12年に賓客接待用の別邸を構え、庭園を整備し日本館・西洋館・茶室などを配置したという。明治34年からはこの別邸が本邸となり昭和6年に亡くなるまで使用したという。
第二次世界大戦の空襲で建物の大半が消失したが、青淵文庫と晩香盧は現存している。





青淵文庫。

大正14年の建物。設計は中村・田辺建築事務所。施工は清水組。煉瓦壁をRCで補強。







内部の撮影は可能と禁止があるので係員さんに確認必須です。
階段が美しい(^^♪



照明器具もラジエーターカバーも当時のまま。



ステンドグラスも素晴らしい。







「青淵文庫」の扁額。

この建物は、竜門社(現在の公益財団法人渋沢栄一記念財団)が渋沢栄一傘寿と子爵昇格を祝って贈ったという。
だた、完成直前に関東大震災でこの文庫に収蔵予定だった多くの書籍・資料を失い、その後は主に接客に使用されたという。
翁はかなり落胆されたようだ。
この竜門社とはなんぞや?
どうやら、深川福住町に渋沢邸があったころにそこに寄宿していた青年たちが結成した同人会だったようだ。
ふと、思い出した。
高校生の時、社会科の先生が、その時は金持ちはケチだなぁと思いましたが後になってみれば理にかなっていましたねとおっしゃったことがあった。
どうやら先生の学生時代は金持ちの家に寄宿して大学に通っていたようだった。
よくわからなくて、下宿ではなくて寄宿ですか?間借りじゃなくて?と聞いてしまった。
後になってみたら、そこを詳しく説明すると先生はご自分の自慢話になってしまうと思われたのだろうと思う。なんかあやふやなお返事であった。
先生はご存命ならたぶん90代中ぐらいではないだろうか。
その頃は、家の経済状況等で進学が難しい同郷の優秀な青少年を自宅に居候させて学校に通わせる財界人がいたのだ。

コメント一覧

うさぎ
いそっぷさまこんばんは~(^^)/
ありがとうございますm(_ _)m
いそっぷ
こんばんは
https://blog.goo.ne.jp/isoxp-1939
ご返信のコメントを有難うございました。
花だより・・・には色々とカテゴリも揃えてありますので、機会があれば、ご臨場いただきたく、よろしくお願いします。
うさぎ
いそっぷさまこんにちは~(^^)/
ブログを他にもお持ちだったのですね!
素晴らしい写真で感服でございますm(_ _)m
全館公開日があるのですね。
さすが!!!
いそっぷ
こんにちは
https://blog.goo.ne.jp/isoxp-1939
良く歩かれましたね。
疲れたことでしょう。
でも街撮りは、すっかり極められて、どの記事を見ても素敵になじめます。
青淵文庫へも行かれましたね。
実は、私の基幹ブログにも載せています。
是非ご覧になって感想などをお聞かせくだされば幸いです。
この、私のブログ「写真道楽」のブックマークに 花だより・・・ (niftyココログ)としてリンクを貼ってありますので、お時間があれば、見てやってください。
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