ひょんな成り行きからほんの一部だけどアートパラ深川の作品をめぐった。
方向音痴だからスマホのナビを入れておいて東京都現代美術館から深川資料館通り商店街を抜けて富岡八幡宮さまへと歩く。
あ!間宮林蔵先生のお墓だ。
さすがに自分がどこを歩いているのかわかった。
亀久橋で仙台堀川を渡って首都高くぐって。
そこ曲がれば富岡八幡宮さまだ。
ん?なんか橋がある。
いつも時間があまりない上に和倉橋にばかり気を取られてこの場所は知らなかったなぁ。
八幡橋遊歩道。
旧新田橋翁が余生を過ごす。
その先に赤い小さな鉄橋が見えた。
あれってもしかして旧弾正橋!!!
かつての物流は水運がになっていた。東京も運河の街だった。
かつて京橋区(現中央区)には楓川という運河があった。その楓川に明治11年(1878年)に架けられた東京市(現23区相当)で最初に架けられた鉄橋が旧弾正橋。東京府(東京都の前身)の依頼で工部省赤羽製作所で製造された。長さ15・2mで幅2mの単径間アーチ橋。アーチは鋳鉄製の5本の直材でつないでいるけど、他の引張材は錬鉄製という鋳錬混合の鋳鉄橋から錬鉄橋への過渡期の色々とユニークな橋。
名前はそばに島田弾正の屋敷があったから弾正橋。
そうして大正2年(1913年)に新しい弾正橋が架けられたから旧弾正橋。
その後関東大震災復興計画で廃橋となり、昭和4年(1929年)にここに来た。富岡八幡宮さまの東隣だから八幡橋だそうな。
国重文。
そして現役の人道橋。
逆光だからくぐってから眺める。
菊の御紋。早く渡りたくて写真忘れたからトリミング。
渡りに行く。
いいなぁいいなぁなんて素敵な橋なんだろ。
ちょうど下校時刻だったようで子供たちが次から次へとワッと渡って行く。
通学路にこういう橋があるのはとても素晴らしいことだ。
子供たちが来る方へと橋を渡れば富岡八幡宮さま。
拝殿へ行こうとしてハッと立ち止まる。
あれからもうすぐ三年になるんじゃないかな。
ずいぶんと傷付いただろう月日だっただろうしこれからも引きずるのかもしれない。
それでも粛々と時は流れ生きていく。