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今日のころころこころ

2024・2・6 どうでもいいちょっとした違和感

昨夜は降りしきる雪に雷ゴロゴロで、朝は車のチェーンの音で目が覚めた。
けど今回の雪は水っぽくとけるのも早い。





さて。
昨日出先のトイレでもらってきたトイレットペーパーの芯と、家のトイレットペーパーの芯を比べてみた。

私は伝書鳩のような性格なのかもしれない。
トイレットペーパーもずっと同じのを使ってる。
クリネックスの。
ところが、最近トイレで使うたびに、なんか違和感がある。
使い心地ではなくて、幅。
使用するのにはなんの不便もないんだけど、気になりだしたら気になって仕方ない。
狭くなってるんじゃないだろか?
駅のトイレをお借りしてもつい観察。
横浜市営地下鉄のトイレは回収した切符の再生紙。
そうだよな。
トイレットペーパーってこの幅だよな。

ただ、今の公共的なトイレのトイレットペーパーは大半がコアレスだからじっくりと比較するチャンスを狙っていたのだった。

やっぱり5mm違う。
たった5mmなのに違和感を感じる。
人が本来持っているセンサーって思っている以上に正確なのかもしれない。
なんてわけのわからんどうでもいいことを思ったりなんかした。
それにしても、5mmの意味ってなんだ?
ひと巻きが長くなって交換の手間が省けるということらしいけど…
やはり、なんだ、日本国のこれからはトイレとトイレ関連事業で世界を目指すが吉なり。







コメント一覧

kinntilyann
彩女さま
こんばんはでございます(⁠^⁠^⁠)/

私の若い頃のベテラン主婦さんたちって、惣菜作るときに計量スプーンを使うのを忌み嫌う傾向がありました。
おっかなびっくり計量スプーンではかっていたのでは美味しさが半減しますとまで宣うのまでおられました。
でも、どんな人でも、たとえプロでも、無意識に自分の計量って持ってるんですよね。
この鍋この分量この醤油差しで3回まわし入れるとか。
かといって集団生活を営む上ではやっぱり基準がないと無理。
王様の腕の長さでもなんでもいいけど、共通の基準がないと。共通の基準はたとえ言葉が通じなくても共同作業ができます。
でも今のように数値至上はどうなんだろ?
本来持ってる能力はどんどんと衰えていくのでしょうね。
トイレットペーパーからどんどんと離れて行くな(⁠^⁠^⁠:⁠
あ。
空手は極真ですので寸止めはありません。
痛い思いしたくなければ己を錬磨するしかないかな(⁠^⁠^⁠:⁠(⁠^⁠^⁠:⁠
otikomi
身体で覚える重さや長さ、って、ずっとついて回りますよねぇ。
幼かったあたしに、亡母が、飼っていた鶏の卵を握らせて
『これが、50グラム』と、何度も繰り返したこと、思い出しました^^;;
小学校に上がると、指の長さとか、いろいろ、身体を使ってできる計測方法を教えてくれてました。
そういえば、キュビトって、肘までの長さ、でしたっけ?
ひとひろ、って、両手を広げた長さだよね。とか。
まったくもって、昔の人そのもの、ですわ(冷や汗)もはや、古代人の範疇(大笑いもの、です)
着物を縫うときは、見た目の長さの感覚はとても大事。
うさぎさんの5ミリって、突きが入るところを、どこで寸止めするか、の、とっても大事な感覚なんだね^^
肋骨、快癒ですか?無理してない?
雪とかだと、痛くなりませんか??心配。
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