気の広場

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身体壮健バカ ③ ・・・ せつない現実 

2010-04-14 19:52:58 | Weblog
あるとき
老人ホームへ講演に行ったら
葬式とか
死ぬという言葉はタブーだから
絶対つかわないでほしい
  ・・・ とクギを刺されました。

老人ホームという
これから先死を待つだけの老人ばかりの社会で
死とか葬式という話題を禁句としているというのは
    なんともせつない現実 ・・・ ではあります。

死を切り捨てた
  「生存」だけを課題としてきた人たちが
その「生存」の終末期において
死という絶対に訪れてくる事実を認識して
  ひたすら回避することにのみ
           生存の支えをもち
周囲もまた
そのことに細心の注意を払うことを
  最大の親切として心を砕いているという光景は
もはや
「荒涼」としか ・・・ 言いようがありません。

だから
老人の日に
幼い学童なんかが
  ホームに慰問にやってきて
    お見舞いのプレゼントなどを贈ったあと
「お爺ちゃん、お婆ちゃん、
    いつまでもお元気で長生きしてください」
  などとメッセージを読みあげると
お年寄りたちは
    思わず手で目頭をおさえた
  などという報道は
        一つのパターンになっています。

このメッセージが
  先の制約と全く無関係に成立したものである
    と強弁するならば ・・・
この学童を
  背後であやつっている教師なりPTAといった連中は
偽善という行為感覚に対して
  完全にマヒしきっている ・・・ といわねばなりますまい。

所詮
ウソで固めた世界 ・・・ なのです。





身体壮健バカ ② ・・・ 安楽死願望 

2010-04-14 17:58:58 | Weblog
老いに向かった人の

  恐怖心のあらわれが

ほかならぬ

  安楽死願望であり

「ぽっくり寺」の大繁盛という現実

            ・・・ に外なりません。


どうせ使いものにならぬなら

  いつまでも雨ざらしにしておかず

早く誰かが始末してほしい ・・・ という

まさしく

  粗大ゴミ的発想であり

使い捨て時代の

  「姥捨(うばすて)」現象であろう ・・・ と思われます。


「自分」と思っていた「人体」の使い捨て時代 ・・・ なのです。










身体壮健バカ ① ・・・ ヌケガラを惜しんでどうなる

2010-04-14 17:26:04 | Weblog
自ら本格派をもって認ずる人のために
ジョギングなどという言葉があります。

いい年をしたお爺ちゃんが
派手な運動着などを身に着けて
エッサエッサと走っています。
どこまで走りつづけるか
ご本人も知るまいが
ともかく走っています。
ひとえに
「丈夫で長もち」のため ・・・ です。

まだあります。
ビタミン
強壮剤
自然食品
サプリメント
飲むヒア○ロン酸○潤 ・・・ などなど ・・・
みんな
自分が
自分のあと残り少ない人体を飼育することに
                ・・・ 晩年の事業を賭けています。

しかしながら

人体は

  やがて ・・・ 倒れるときがきます。

いくら金持ちでも

  いつまでもグリーンの上で

棒を振りまわしていることもできないし

本格派を自認していても

ものの半年も寝込もうものなら

  エッサエッサときたえつづけた足腰は ・・・ 立たなくなります。

ビタミン剤も自然食品も

  体が受けつけなくなったら ・・・ おしまいです。


老人たちは

その時を

    もっとも恐れています。

「自分という人体」が

「自分」の意のままにならぬ

始末におえぬ人体と化したときを想うと ・・・

それこそ叫びたいような気になる ・・・ のでしょうね。







2010-04-14 15:25:03 | Weblog
わたしは海が大好きです。


育ったところも海岸の村でした。

今住んでいるところも海岸近くの町です。


「海は広いな、大きいな」という小学唱歌がありますが

それは見た目に感じた海の姿でしょうが

わたしは

なにもかものみこんでしまうこの海は

  「広い」とか「大きい」というよりも

わたしどもが見習うべき偉大な教師

・・・ だと考えているのです。


それにくらべて

わたしども人間は

なんと

  「狭く」 「小さい」 ・・・ のでしょう。


あれが好き

これが嫌い ・・・ とダダをこねます。


小さいのはダメ

大きいのがイイ ・・・ と文句をいいます。


自分さえよければ ・・・ とケチな根性おこします。


まったく・・・ 情けないことです。