ミニョンが事故に遭って意識が戻り、そして記憶も戻ってから、ユジンはずっと神様に祈りをささげていた。ユジンの家はもともと敬虔なクリスチャンであったが、仕事を始めてからはすっかり教会から足が遠のいてしまった。しかし、10年ぶりに再会して、しかも最愛の人の命まで救われたことから、ユジンは運命だけでは言い表せない、見えない神の手の存在を感じていた。先日思いがけず立ち寄った教会で、ユジンは今日一日をチュンサンと過ごせたことを神に感謝していた。チュンサンが生きていてくれるだけで十分だったのだ。それだけチュンサンを失ってから過ごした10年間が苦しいものだったから。
ユジンは小さなころから、年下の者や小さいものの世話をするのが大好きだった。一言でいえば世話好き、お節介な長女気質なんだと自分でも思っていた。妹は10歳年下でいつも母親代わりに面倒を見ていたし、犬や猫、近所の子たちの面倒もよく見るタイプだった。だから、チュンサンを初めて見た時は、捨てられた子犬のように傷ついた眼をしていたので、お節介な気持ちが先立ってしまった。それぐらい彼はガラス細工のようにもろく見えていたのだ。そのあと仲良くなって南怡島に行ったとき、チュンサンは影の国の男の話をしてくれた。その男は存在を誰にも気づかれずに寂しかった、という物語とも言えない短いものだった。それがチュンサンのことで、彼は影の国で一人きりで暮らしているのだと気が付いたのは少し後のことだったけれど。父親は「常に正直であれ」とユジンに言っていたから、ユジンは他の人に対するのと同じように、チュンサンにありのままの自分で接していた。彼が人を信じて、友達を沢山作ればいいのになぁ、と考えていた。
でも、チュンサンが事故に遭ったあの日、二人の手は離れてしまった。ユジンはチュンサンが、永遠に影の国に閉じ込められて、体を丸めて泣いている姿を思い浮かべていた。事故からしばらくは、毎晩その夢を繰り返し見てしまい、寝不足の日々が続くほどだった。そして、あの日から自分自身も、影の国を彷徨っている気分だった。あまりの喪失感で、心の壁を作るようになっていった。いつのころからか、自分の意見もはっきり言わなくなってしまった。はち切れそうなエネルギーが、みるみるしぼんでいくような感覚だった。なんとなくサンヒョクに押されて恋人になり、婚約までしてしまった。このままなんとなく結婚するのだろう、と思っていた。また、チュンサンとの別れはユジンに大きなトラウマを植えつけていた。例えば、大晦日に一人で聴いた花火の音や、南怡島を思い出す景色や、初雪や、チュンサンの吸っていた煙草の銘柄のにおいや、二人で掃除した時の落ち葉のにおい、ピアノの音色まで、同じ体験をするたびに、心臓が早鐘のような鼓動を打って、パニックに襲われることが度々あった。
そして、初めてミニョンとしてあった日から、ユジンの人生は色づき始めて、生き生きとしたものになった。まるで光の国に戻ってきたように感じた。特に、ミニョンとしても愛されて、そのあとチュンサンの記憶が戻ってからは、チュンサンも光の国に戻ってきたのだと感じられて、本当に嬉しかった。むしろ、ミニョンとしては楽しい思い出ばかりあるようなので、失われた10年はあっても、かえって安心した。あの孤独な少年は、ずっと日の当たる場所にいたのだ、影の国に閉じ込められてはいなかったのだ、ユジンは神に感謝をしていた。
教会で永遠を誓ったあの日、ミニョンは未来を見据えて祈りをささげていた。でも、ユジンにはまだ未来は描けない。もちろんミニョンと結婚したいし、家庭も持ちたいと思う。でもそのビジョンがどうしても描けないのだ。それは、過去があまりにも辛すぎて、今がまぶしいほどに幸せで、1日1日を信じられないほど感謝しているからだと思っていた。ただ、チュンサンが生きていて呼吸して自分に微笑みかけるだけで十分だと思っていた。でも、最近思う。自分が未来を描けないのは、何かとてつもない嫌な予感を感じているのではなかろうかと。そして、ミニョンが未来ばかり夢見るように話すのは、決して現実にならない未来を望んでいるからではないだろうか。
ユジンは一つ身震いをすると我に返った。今が幸せすぎて、怖くてたまらない。幸せが手から滑り落ちてしまったらどうしよう、最近また悪夢を見始めていた。ユジンは胸のポラリスのネックレスを握りしめて、祈り続けるのだった。