
長い長い夜も必ず明けて、朝はやってくる。ミニョンにとっても、昨夜は眠れぬ夜だったが、サンヒョクもまたまんじりともせず、夜を明かした。サンヒョクはミニョンのホテルの前に車を止めて、ホテルから出てくるユジンを待っていた。昨夜のミニョンの暗い声音からは、二人が甘い夜を過ごしたとは微塵も思えなかったが、今となってはユジンはミニョンがチュンサンだと知っている現実は変えようもなく、サンヒョクの心に重石のように乗っていた。サンヒョクの顔色は悪く、目の下には隈が出来ており、ホテルの入り口を今か今かと凝視していた。しかし、朝早くから誰も出てくるはずもなく、時だけが遅々として進まないのであった。

その頃、ミニョンはユジンの安らかな寝顔を見ていた。いつまでもそばにいたいが、そろそろ行かねばならないミニョンは後ろ髪を引かれる思いでもう一度ユジンの寝顔を見つめてから、そっとドアを閉めて歩きはじめた。

すると、ドアが閉まるひそやかな音にユジンがゆっくりと目を開けた。ユジンははじめどこにいるか分からなくてぼんやりとしていたが、ミニョンのホテルの部屋だと気がついて、辺りをキョロキョロと見回した。昨夜、ミニョンの腕の中でいつのまにか眠ってしまったらしい。そしてベッドサイドの小さなメモに気がついた。
『ユジナ、僕はあなたをそう呼んでいたんですね、、、ユジナ、、、でも僕は何も思い出せません。僕はあなたがあんなに会いたがっていたチュンサンではありません。何一つ思い出せない僕は、チュンサンとは別人なんです。記憶のないチュンサンに意味はありません。本当にすみません。それでも僕の失われた過去にあなたがいてくれたことに感謝します。ありがとう。さようなら。』
それを見て、ユジンは猛然と走り始めた。早くしないと、ミニョンが、いやチュンサンが行ってしまう。今度こそ見失ってなるものか。ユジンは必死でミニョンを追いかけた。

サンヒョクが車の中で過ごしていると、ホテルの入り口からゆっくりとミニョンが出てきた。大きなスーツケースを引いて、ぼんやりと歩いている。しばらくすると、今度はユジンが必死の形相で走ってきた。明らかにミニョンを追いかけている。サンヒョクは慌ててかけよって、ユジンの腕を掴んだ。しかしユジンはサンヒョクなど、まるで眼中になかった。サンヒョクの腕を怖い顔で振り解くと、あっという間に道路をかけだした。そんなユジンをサンヒョクは呆然と見送るしかなかった。もはや、後を追いかける気力すら湧かないほど、ユジンの心は遠くに行ってしまったのだった。

ユジンは大通りの向こうに、スーツケースを引くミニョンを見つけた。ミニョンは遠くを見つめてゆっくりと歩いている。ユジンは大通りを渡ろうとしたが、左右から猛スピードの車が次々と来ており、全く渡れる状態ではなかった。ユジンは大声で叫んだ。
「チュンサン!チュンサン!」
するとミニョンが気がついてこちらを振り返った。ユジンは意を決して大通りを渡り始めた。ユジンにはミニョンしか見えておらず、どんどん道路を横切る女性を見て、車たちは次々と急ブレーキをかけて止まるしかなかった。もう少しで道路を渡り切ることができる、ユジンがそう思ったとき、ブレーキを踏んでも止まり切れなかったトラックが一台、ユジンに向かって突っ込んできた。ミニョンはユジンを助けなければ、とただそれだけの思いで何も考えずにユジンに向かって走り始めた。そして、ユジンを思い切り突き飛ばしたのと同時に、自分の身体にものすごい衝撃を感じた。その瞬間考えたことは一つだった。

「ユジナ」
頭の中で走馬灯のように全てが蘇った。
初雪の中、子供のように戯れ合う二人。
焼却炉の枯葉を雪に見立ててユジンに降らせる自分。
そして、大晦日に車の前に飛び出したチュンサン。
全部思い出した、と思った瞬間、あっという間に目の前が暗くなり、闇が辺りを支配した。
ユジンは道端にうずくまりながら呆然としていた。何が起こったのか分からなかったが、気がつくと頭から血を流すミニョンが倒れていた。周りの群衆がやれ動かすな、だことの、やれ救急車だことの大騒ぎするのを、別世界のように見ていた。しかし救急車の隊員が
「お身内の方、乗ってください。」と言っているのを聞いて我に返った。あとは何がなんだか、病院につくとミニョンはあっという間にストレッチャーに乗せられて検査に向かった。あとに残されたユジンは呆然と立ちすくして見送るしかなかったのだった。