記憶が戻ってから、ミニョンは自分の生い立ちのことを考えることが多くなった。今日も行きつけのジャズバーに来て、独りお酒を飲んでいた。実は自分が体験したと思ったことが体験したことではなく、先日から少しづつ思い出してきたことが、自分の本当の記憶だとわかったのだから、混乱するのも無理はないだろう。ユジンやキム次長はしきりと病院に行くことを勧めてくるが、そうしないと頭がどうにかなってしまうのではないかと不安に思う時がある。
思えば、ミニョンとしてアメリカで育った時も、得も言われぬ不安に陥ることがあった。母がいて、そのうち再婚した父ができたが、本当の父親は「幼いころに死んだ」としか聞かされていなかった。義父は優しかったが、心の内を話すまでの関係はできなかった。一方で、母親には、いつも遠慮というか距離を感じていたことも事実だった。母親は演奏旅行やらピアノのレッスンやら、家にいないことがほとんどだっだのだ。悩みや心配事を相談することもなく、いつも一人で解決しなければならなかった。頼れる人はだれもいなかったため、歯を食いしばって頑張らなければならなかった。しかし、それを見せずに笑って前向きにしていれば、人は寄ってくるものだ、という生きる術を身に着けていた。だから、友人や彼女はいつもいたけれど、表面的な付き合いで、心を許したことは一度もなかった。それなりに楽しかったけれど、青年時代のミニョンもまた、チュンサンと一緒で孤独だったのだ。それでも、母親は絶対的な存在であった。祖父母など親族と疎遠になっているミニョンにとっては唯一の血縁家族だったのだ。それに、母はいつも「ミニョン、あなただけが私の希望なの。だからお母さんは頑張れるのよ。」というので、母親を喜ばせるような立派な人間にならなければいけないと思っていたのだ。僕はいつも母さんを守らなければ、そばにいなければ、と子供心に踏ん張っていた。
チュンサンの記憶を取り戻してからは、母親に対する疑念が一気に膨らんできた。母親は、なぜ父親の名前を明かさないのだろうか。ミヒはそれでよいかもしれないけれど、ミニョンとしては知りたくて気が狂いそうになる時がある。それから、いくら幸せになりたかったからと言って、息子の記憶を書き換えたことも納得がいかなかった。おかげで、ミニョンとして生きてきた10年間は、芝居をしているような空虚な月日になってしまった。なんと薄っぺらく表面的な時間だったことか。自分の人生ではなかったような気すらする。これを「ごめんなさい」の一言で、すべてが許されることなのだろうか。ミニョンは膨れ上がるミヒへの怒りを「自分を産んで、育ててくれた母親なのだから」と呪文のように唱えて、心に収めるしかなかった。
一方で、記憶を取り戻してから、ユジンに対する愛情が、いっそう深まっていくのを感じた。ユジンは過去と今をつなぐ希望だった。チュンサンとミニョン、両方の自分をありのままに、別人としてそれぞれ愛してくれた。彼女はチュンサンのことを、ずっと忘れずに想ってくれた、、、。ユジンは、僕が願ってやまなかったのに、ミヒが決してくれなかった無償の愛をくれたのだ。ユジンのゆるぎない愛情のおかげで、僕は情緒不安定にならずに、正気を保てているようなものだった。もしもユジンを再び失ってしまったら、自分が自分であることの意味がなくなるだろう、ミニョンはそれぐらいユジンを大切に思っていた。先日母親はユジンに、とても冷たい態度をとっていたけど、彼女が僕にとって唯一の光だとわかっているのだろうか?ミニョンはこみ上げてくる怒りを酒で流し込んだ。一度噴出したミヒへの思いを消すことはできなそうだった。