寝違いを起こす原因は必ずある。腹痛や風邪の時もそうだが、体調不良になると、すぐ原因を考えてしまう。12年ぶりの今回の寝違いの原因は、考えなくても、
(ああ、やっぱり)
と、すぐにわかった。
かといって、その原因で寝違いが起こるという想像は、少しも浮かばなかった。起こってみて、すぐ思い当たったのである。
前夜、右首に、痛みというほどではない首の凝りのような感覚があり、気になった。ふだん、首凝りとか肩凝りは経験していないが、この感覚は首の凝りに違いないと直感した。その数日間、アホな話だが、スマホ・ゲームに無我夢中で過ごしてしまったのだった。
写真画像の〈間違い探し〉のゲームである。スマホ画面の上半分と下半分の写真の中に、5箇所の違いを見つけてクリアする。オーソドックスなゲームで、クロスワード・パズルと同様、シンプル過ぎて単なる時間つぶしと、以前は興味が湧かなかった。
数年前に、〈ウォーリーを探せ〉という、イラストが可愛らしい間違い探しゲームを、半年間ぐらい楽しんでいた。
けれどゲームは必ず飽きる時が来る。やがて飽きてしまい、その後は間違い探しゲームに興味も湧かなかった。
〈Google Play〉の一覧で、ふと眼に止まった写真画像の〈間違い探し〉のゲームは、ほんの少しだけ楽しんでみるつもりだった。
始めてみたら、シンプル過ぎて単なる時間つぶしのつもりが、予想外に楽しくなってしまったのである。
スマホ画面の上半分と下半分に表示された相似写真のあちこちの細部を交互に見ては、違う箇所を見つけ、タップする。5箇所見つけるたびにクリアとなって画面が変わると、〈わーい、すごい!〉とか〈お見事!〉、〈よくやった!〉、〈がんばったね!〉、〈クール!〉などのどれかの文字と可愛いイラスト画面に変わって、〈次へ〉のボタンが表示される。そのボタンを、ついタップして、また5箇所見つけてはクリアし、〈わーい、すごい!〉などの画面。ヒントは使わず、あと1箇所でクリアするまで時間がかかることも、時々あった。そんな時、
(う~ん、どこどこ)
(あ~ん、わかんない)
(こんなゲーム、もうやめようっと)
(時間の無駄。他にやることいっぱいあるのに、こんな時間つぶしみたいなことしてる場合じゃないわ)
同じようなそんなセリフを、何度、呟いたかしれない。こんな非生産的なことをやっていないで、押し入れの中の断捨離とか映画鑑賞ブログを書くとか、読書や映画のほうが有意義で深く楽しめるとか、何度思ったかしれない。観たい映画や読みたい本は多くあるし、断捨離も遅々として進まない日々だった。
それなのに――。やめられないのである。どんなゲームにも中毒性があるから無理もないこととは言え、やめたくてもやめられない。そこで開き直って、
(人生には無駄な時間も必要なのよ)
(脳トレにもなってるわけだし)
(いずれ、飽きるのだから。こうなったら飽きるまでやるしかないわ)
昔の経験で言えばファミコンもそうだったし、パソコン・ゲームもそうだった。
そのうち、あることを決めた。そのアプリの出題数は1550で、1題5箇所だから、1550×5=7750問。全出題数7750問のすべてを解いたら、アプリを削除しようと、そう決めたら気分が落ち着いた。こんな非生産的な遊びなんてと思わず、落ち着いて楽しめるようになったのである。写真が新たに表示されるたびワクワクし、たとえば本の背表紙とかアクセサリーとか建物の屋根などだったら、すぐわかるが、たとえば淡いグレイの小さな針1本の写真などだと、なかなか見つけられない。ヒントを使わず、(わかんない、どこどこ)と何度も呟きながらも、
(あっ! ここ! ついに見~つけた!)
と呟く時の小さな達成感が、この上なく楽しいのである。かつて動画ゲームもいくつか遊んでみたが、最初は面白くても、すぐ飽きてしまう。やはり、じっくり考えたり見たりした後の小さな達成感が得られるゲームが好きなのである。小さな達成感は幸福感と同じと言っていいくらい。
ゲームをする時、近眼の加齢現象で、近視用メガネをはずして裸眼のほうがよく見える。画面表示のテキストサイズの設定を、〈中〉にしてあるのは、〈大〉にすると画面に表示される文字数が少なく、読みにくくて、もどかしい。メールやニュース速報ならメガネをはずさなくて読めるが、ゲームの時は、裸眼のほうが見やすい。ただし、ベッドでスマホを見る時は、読書の時と同様、裸眼の習慣。長年、ベッドの上でメガネをかけていたことは一度もない。測ったことはないが、裸眼の目とスマホ画面の距離は10センチぐらい。視力のいい人から見れば、
(そ~んなに近づけるの?!)
と、驚かれる距離だが、見やすいのだから仕方がない。
若いころに視力が良く中高年以降に老眼用メガネをかける人と違って、近眼の老化は近視用メガネをはずした裸眼だと、どんな小さなフォントの字も見えるのである。そのことが、スマホ・ゲームを延々と熱中させてしまう要因と言えるかもしれなかった。テキストだけでなくイラストや写真も同様である。
ちなみに近眼の加齢現象のため、外出用近視メガネとコンタクトレンズは、数年ごとに度数を落として眼鏡店で新しく買った。矯正視力1.2になるレンズを長年、使用していたが、眼鏡店で検査し、矯正視力1.0のレンズに買い換え、さらに数年後に矯正視力0.8のレンズに買い換えた。数年後にさらに買い換え、現在は両眼で0.6の視力のレンズである。
ここまで度数を落とすと、書類の字を見る時、焦点が合うので良くなったけれど、旅行などで遠方は見えないと思うが仕方がない。
在宅用近視メガネは遠くを見ないから、両眼で矯正視力0.6のレンズ。20年間に1回だけ度数を0.8から0.6に下げたレンズに買い換え、それ以降、長年、同じメガネを使用している。
1日のうちで、パソコンをする時、家事をする時、テレビを見る時は近視用メガネをかけ、昼食後の仮眠前と就寝前のスマホ&読書の時は裸眼だから、起床している時は近視用メガネをかけている時間のほうが長いことになる。けれど――。
ゲームに夢中になると、テレビの報道番組を聞きながらスマホ操作し、掃除の後や料理の後など家事をした後の休憩のたびにスマホ操作し、パソコンの途中に気分転換でスマホ操作し、外出中はできないから帰宅して落ち着くなりスマホ操作し、特に就寝前は長時間、スマホ操作し――という感じで、1日のうちの何時間をスマホ操作に費やしたかわからない日々だった。ソファかダイニングの椅子か机の前の椅子に座ってする時もあるが、夜は延々と時間があるのでベッドの上での時が一番長かった。
右手で操作するから、首の右側の筋肉に無自覚の緊張感と疲労感が蓄積されたのかもしれない。少しずつだが、首の凝りの感覚を自覚し始めた。けれど、もうすぐ〈間違い探し〉ゲームのアプリを削除するし、首の凝りなんて、すぐ治るわと楽観していた。
そんなふうに、考えが甘かったというか、ついに寝違いとなって痛みの起こる朝を迎えることになってしまったのだった。
その日はまだ、冷湿布を貼れば治るわと、またしても楽観。数日間で治るはずと、冷湿布と自然治癒力を過信していたのである。
さらに、原因のゲームを、やめなかった。その時点で、出題数1550のうち1300を越えたぐらい。あと250×5=1250問をクリアすれば、その時こそアプリを削除できる。他のアプリも最後まで解いてから削除する習慣なので、
(あと少し、あと少し)
と、毎日冷湿布を貼り、寝違いの痛みに耐えながら、アプリ削除&解放感を目標にゲームをし続けていた。2時間余りの充電中に、テレビで映画は1日1本は観るが、読書は1冊読みきる時間がない、という日々だった。幸運なことに私は目の疲れという感覚を、経験したことがない。長時間、本を読んでも映画を観てもゲームをしても、全く疲れない。多分、若いころからずっとだが睡眠時間が平均より少し長めの体質だからだと思う。なまじ目の疲れがないので、延々とスマホ操作してしまい、けれど筋肉の疲労と凝りが当然起こる、ということを忘れていたことになる。
病院で処方してもらったロキソニン湿布は、3日間貼って筋肉の痛みが完治した。頭痛は時々、小さな〈シクシク〉という感覚と、〈シ……ク……シ……ク〉という感覚が、さらに2日後まであったので薬を飲んで、ようやく完治した。寝違いの痛みのない生活って、何て快適なのかと、この上なくうれしかった。
賢明なら、寝違いの痛みに耐えながら、その原因のゲーム遊びなんてやめるわよねと自分で自分に呆れ、3日で治るどころか頭痛まで起こるという重症の寝違いを起こしてしまうなんて、アホと言われても仕方のない私。つくづく反省している。
(ああ、やっぱり)
と、すぐにわかった。
かといって、その原因で寝違いが起こるという想像は、少しも浮かばなかった。起こってみて、すぐ思い当たったのである。
前夜、右首に、痛みというほどではない首の凝りのような感覚があり、気になった。ふだん、首凝りとか肩凝りは経験していないが、この感覚は首の凝りに違いないと直感した。その数日間、アホな話だが、スマホ・ゲームに無我夢中で過ごしてしまったのだった。
写真画像の〈間違い探し〉のゲームである。スマホ画面の上半分と下半分の写真の中に、5箇所の違いを見つけてクリアする。オーソドックスなゲームで、クロスワード・パズルと同様、シンプル過ぎて単なる時間つぶしと、以前は興味が湧かなかった。
数年前に、〈ウォーリーを探せ〉という、イラストが可愛らしい間違い探しゲームを、半年間ぐらい楽しんでいた。
けれどゲームは必ず飽きる時が来る。やがて飽きてしまい、その後は間違い探しゲームに興味も湧かなかった。
〈Google Play〉の一覧で、ふと眼に止まった写真画像の〈間違い探し〉のゲームは、ほんの少しだけ楽しんでみるつもりだった。
始めてみたら、シンプル過ぎて単なる時間つぶしのつもりが、予想外に楽しくなってしまったのである。
スマホ画面の上半分と下半分に表示された相似写真のあちこちの細部を交互に見ては、違う箇所を見つけ、タップする。5箇所見つけるたびにクリアとなって画面が変わると、〈わーい、すごい!〉とか〈お見事!〉、〈よくやった!〉、〈がんばったね!〉、〈クール!〉などのどれかの文字と可愛いイラスト画面に変わって、〈次へ〉のボタンが表示される。そのボタンを、ついタップして、また5箇所見つけてはクリアし、〈わーい、すごい!〉などの画面。ヒントは使わず、あと1箇所でクリアするまで時間がかかることも、時々あった。そんな時、
(う~ん、どこどこ)
(あ~ん、わかんない)
(こんなゲーム、もうやめようっと)
(時間の無駄。他にやることいっぱいあるのに、こんな時間つぶしみたいなことしてる場合じゃないわ)
同じようなそんなセリフを、何度、呟いたかしれない。こんな非生産的なことをやっていないで、押し入れの中の断捨離とか映画鑑賞ブログを書くとか、読書や映画のほうが有意義で深く楽しめるとか、何度思ったかしれない。観たい映画や読みたい本は多くあるし、断捨離も遅々として進まない日々だった。
それなのに――。やめられないのである。どんなゲームにも中毒性があるから無理もないこととは言え、やめたくてもやめられない。そこで開き直って、
(人生には無駄な時間も必要なのよ)
(脳トレにもなってるわけだし)
(いずれ、飽きるのだから。こうなったら飽きるまでやるしかないわ)
昔の経験で言えばファミコンもそうだったし、パソコン・ゲームもそうだった。
そのうち、あることを決めた。そのアプリの出題数は1550で、1題5箇所だから、1550×5=7750問。全出題数7750問のすべてを解いたら、アプリを削除しようと、そう決めたら気分が落ち着いた。こんな非生産的な遊びなんてと思わず、落ち着いて楽しめるようになったのである。写真が新たに表示されるたびワクワクし、たとえば本の背表紙とかアクセサリーとか建物の屋根などだったら、すぐわかるが、たとえば淡いグレイの小さな針1本の写真などだと、なかなか見つけられない。ヒントを使わず、(わかんない、どこどこ)と何度も呟きながらも、
(あっ! ここ! ついに見~つけた!)
と呟く時の小さな達成感が、この上なく楽しいのである。かつて動画ゲームもいくつか遊んでみたが、最初は面白くても、すぐ飽きてしまう。やはり、じっくり考えたり見たりした後の小さな達成感が得られるゲームが好きなのである。小さな達成感は幸福感と同じと言っていいくらい。
ゲームをする時、近眼の加齢現象で、近視用メガネをはずして裸眼のほうがよく見える。画面表示のテキストサイズの設定を、〈中〉にしてあるのは、〈大〉にすると画面に表示される文字数が少なく、読みにくくて、もどかしい。メールやニュース速報ならメガネをはずさなくて読めるが、ゲームの時は、裸眼のほうが見やすい。ただし、ベッドでスマホを見る時は、読書の時と同様、裸眼の習慣。長年、ベッドの上でメガネをかけていたことは一度もない。測ったことはないが、裸眼の目とスマホ画面の距離は10センチぐらい。視力のいい人から見れば、
(そ~んなに近づけるの?!)
と、驚かれる距離だが、見やすいのだから仕方がない。
若いころに視力が良く中高年以降に老眼用メガネをかける人と違って、近眼の老化は近視用メガネをはずした裸眼だと、どんな小さなフォントの字も見えるのである。そのことが、スマホ・ゲームを延々と熱中させてしまう要因と言えるかもしれなかった。テキストだけでなくイラストや写真も同様である。
ちなみに近眼の加齢現象のため、外出用近視メガネとコンタクトレンズは、数年ごとに度数を落として眼鏡店で新しく買った。矯正視力1.2になるレンズを長年、使用していたが、眼鏡店で検査し、矯正視力1.0のレンズに買い換え、さらに数年後に矯正視力0.8のレンズに買い換えた。数年後にさらに買い換え、現在は両眼で0.6の視力のレンズである。
ここまで度数を落とすと、書類の字を見る時、焦点が合うので良くなったけれど、旅行などで遠方は見えないと思うが仕方がない。
在宅用近視メガネは遠くを見ないから、両眼で矯正視力0.6のレンズ。20年間に1回だけ度数を0.8から0.6に下げたレンズに買い換え、それ以降、長年、同じメガネを使用している。
1日のうちで、パソコンをする時、家事をする時、テレビを見る時は近視用メガネをかけ、昼食後の仮眠前と就寝前のスマホ&読書の時は裸眼だから、起床している時は近視用メガネをかけている時間のほうが長いことになる。けれど――。
ゲームに夢中になると、テレビの報道番組を聞きながらスマホ操作し、掃除の後や料理の後など家事をした後の休憩のたびにスマホ操作し、パソコンの途中に気分転換でスマホ操作し、外出中はできないから帰宅して落ち着くなりスマホ操作し、特に就寝前は長時間、スマホ操作し――という感じで、1日のうちの何時間をスマホ操作に費やしたかわからない日々だった。ソファかダイニングの椅子か机の前の椅子に座ってする時もあるが、夜は延々と時間があるのでベッドの上での時が一番長かった。
右手で操作するから、首の右側の筋肉に無自覚の緊張感と疲労感が蓄積されたのかもしれない。少しずつだが、首の凝りの感覚を自覚し始めた。けれど、もうすぐ〈間違い探し〉ゲームのアプリを削除するし、首の凝りなんて、すぐ治るわと楽観していた。
そんなふうに、考えが甘かったというか、ついに寝違いとなって痛みの起こる朝を迎えることになってしまったのだった。
その日はまだ、冷湿布を貼れば治るわと、またしても楽観。数日間で治るはずと、冷湿布と自然治癒力を過信していたのである。
さらに、原因のゲームを、やめなかった。その時点で、出題数1550のうち1300を越えたぐらい。あと250×5=1250問をクリアすれば、その時こそアプリを削除できる。他のアプリも最後まで解いてから削除する習慣なので、
(あと少し、あと少し)
と、毎日冷湿布を貼り、寝違いの痛みに耐えながら、アプリ削除&解放感を目標にゲームをし続けていた。2時間余りの充電中に、テレビで映画は1日1本は観るが、読書は1冊読みきる時間がない、という日々だった。幸運なことに私は目の疲れという感覚を、経験したことがない。長時間、本を読んでも映画を観てもゲームをしても、全く疲れない。多分、若いころからずっとだが睡眠時間が平均より少し長めの体質だからだと思う。なまじ目の疲れがないので、延々とスマホ操作してしまい、けれど筋肉の疲労と凝りが当然起こる、ということを忘れていたことになる。
病院で処方してもらったロキソニン湿布は、3日間貼って筋肉の痛みが完治した。頭痛は時々、小さな〈シクシク〉という感覚と、〈シ……ク……シ……ク〉という感覚が、さらに2日後まであったので薬を飲んで、ようやく完治した。寝違いの痛みのない生活って、何て快適なのかと、この上なくうれしかった。
賢明なら、寝違いの痛みに耐えながら、その原因のゲーム遊びなんてやめるわよねと自分で自分に呆れ、3日で治るどころか頭痛まで起こるという重症の寝違いを起こしてしまうなんて、アホと言われても仕方のない私。つくづく反省している。