先日、テレビで、歌舞伎俳優・坂東玉三郎が出演する番組を見た。幼少時代や歌舞伎への思い入れや、女形や、美意識などについて語っていて、とても興味深かった。
テレビのトーク番組などに坂東玉三郎が出演すると、たいてい見ている。歌舞伎俳優の坂東玉三郎を見たいというより、トークが好きなのである。
先日のテレビ出演では、特に美意識について語っていたのが印象的だった。過去から現在までの映像からは、坂東玉三郎という歌舞伎俳優の気品のある色香を漂わせた美しく妖艶な姿もずいぶん見られたが、人生に対するはかなさとか虚しさとか、言葉の端々からそのようなものも窺い知ることができた。
私は歌舞伎ファンではないけれど、歌舞伎を観に行ったことはある。もう15年以上前、歌舞伎の好きな友人に誘われて、ほんの数年、10回近く行ったけれど、のめり込むほど夢中にはならなかった。坂東玉三郎の公演を初めて観た時は、長身で大柄な女形という感じが、イメージと少し違っていた。
私が歌舞伎に夢中にならなかったのは、演目の内容が、わかりにくかったり、あまり面白いと思えない人情話だったりということも、あるかもしれない。わかりやすい内容のもあったし、単純な人情話で楽しめるのもあったけれど。
友人は歴史が好きで詳しくて、いろいろと、よく知っていたから、歌舞伎を楽しんでいたようだった。それでも、開幕の時は結構ワクワクしたし、いつも1階の前方の席で、舞台は見やすかった。
私が一番好きだったのは、5代目中村勘九郎。現在の中村勘三郎だった。ユーモラスな世話物とか時代物、立ち姿の凛々(りり)しくて美しい立役も素敵だったが、女形の美しさにも圧倒され魅了された。この世のものとは思えない美しさ、という言葉が浮かぶほどだった。立役も女形も、その姿だけではなく、セリフ・声・雰囲気・しぐさや動作などに、現実離れした凛々しさと美しさに酔わされるような心地になり、中村勘三郎に最も魅了されたというのが、私にとってわずかな期間の歌舞伎鑑賞の思い出である。
映画やテレビにも出ているということで、いつか見たいと思っていたが、何年もたってからNHK大河ドラマ『元禄繚乱』で大石内蔵助役の中村勘三郎を見て、いっそう好きになった。ちなみに、NHK大河ドラマを最初から最後まで見たのは、その『元禄繚乱』だけ。私の周囲にはNHK大河ドラマを見る人が多く、
(このドラマのどこが面白いのかしら)
と、いつも呟くことになるけれど、最初の数回ぐらいは、話題が出た時のために、タイトルとストーリーとキャストを見ておくのだが、3回以上、見たことがない。
けれど、短期間の歌舞伎鑑賞ですっかり好きになってしまった中村勘三郎が主役の『元禄繚乱』は、本当に毎回毎回、面白かった。脚本も演出も素晴らしかったのだと思う。中村勘三郎のオリジナリティのある大石内蔵助のキャラクターと、その独特の演技が最高に素晴らしかったのである。
中村勘三郎の演じる大石内蔵助を、
(こういう大石内蔵助のキャラもありかも……)
と、そう思える面白さだった。それはリアリティということではなく、私が読んでいた忠臣蔵の大石内蔵助のイメージとは少し違うのだが、そこに中村勘三郎の個性とオリジナリティあるキャラクターと演技の魅力が感じられ、惹きつけられたのである。
『元禄繚乱』が放送された1999年1月から12月までの1年間、電話で中断ということもなくはないからビデオに録画もしながら、毎日曜日はその時刻を待ち兼ねてテレビの前に座った。NHK大河ドラマを毎回楽しみに見たのは後にも先にも、その1度だけである。それほど好きなら中村勘三郎の公演を観に行けばいいのにと誰かから言われてしまったけれど。
中村勘三郎も時々、テレビのトーク番組などに出ていて、たいてい見るが、トークのほうはあまり面白いと思わないのである。ユーモラスで楽しい話し方ではあるけれど、当たりさわりのないコメントが少なくないように感じられ、何か、個性的な印象的な言葉を聞けないことが多いからかもしれない。
坂東玉三郎のトークはいつも興味深く見るし、その表情や数々の言葉に惹きつけられる。歌舞伎俳優としてだけではなく、人間としての坂東玉三郎、と言いたくなるような、その鮮烈な個性や思想や人生がにじみ出ているようなトークで印象に残るし、公演も観てみたくなる。
テレビのトーク番組などに坂東玉三郎が出演すると、たいてい見ている。歌舞伎俳優の坂東玉三郎を見たいというより、トークが好きなのである。
先日のテレビ出演では、特に美意識について語っていたのが印象的だった。過去から現在までの映像からは、坂東玉三郎という歌舞伎俳優の気品のある色香を漂わせた美しく妖艶な姿もずいぶん見られたが、人生に対するはかなさとか虚しさとか、言葉の端々からそのようなものも窺い知ることができた。
私は歌舞伎ファンではないけれど、歌舞伎を観に行ったことはある。もう15年以上前、歌舞伎の好きな友人に誘われて、ほんの数年、10回近く行ったけれど、のめり込むほど夢中にはならなかった。坂東玉三郎の公演を初めて観た時は、長身で大柄な女形という感じが、イメージと少し違っていた。
私が歌舞伎に夢中にならなかったのは、演目の内容が、わかりにくかったり、あまり面白いと思えない人情話だったりということも、あるかもしれない。わかりやすい内容のもあったし、単純な人情話で楽しめるのもあったけれど。
友人は歴史が好きで詳しくて、いろいろと、よく知っていたから、歌舞伎を楽しんでいたようだった。それでも、開幕の時は結構ワクワクしたし、いつも1階の前方の席で、舞台は見やすかった。
私が一番好きだったのは、5代目中村勘九郎。現在の中村勘三郎だった。ユーモラスな世話物とか時代物、立ち姿の凛々(りり)しくて美しい立役も素敵だったが、女形の美しさにも圧倒され魅了された。この世のものとは思えない美しさ、という言葉が浮かぶほどだった。立役も女形も、その姿だけではなく、セリフ・声・雰囲気・しぐさや動作などに、現実離れした凛々しさと美しさに酔わされるような心地になり、中村勘三郎に最も魅了されたというのが、私にとってわずかな期間の歌舞伎鑑賞の思い出である。
映画やテレビにも出ているということで、いつか見たいと思っていたが、何年もたってからNHK大河ドラマ『元禄繚乱』で大石内蔵助役の中村勘三郎を見て、いっそう好きになった。ちなみに、NHK大河ドラマを最初から最後まで見たのは、その『元禄繚乱』だけ。私の周囲にはNHK大河ドラマを見る人が多く、
(このドラマのどこが面白いのかしら)
と、いつも呟くことになるけれど、最初の数回ぐらいは、話題が出た時のために、タイトルとストーリーとキャストを見ておくのだが、3回以上、見たことがない。
けれど、短期間の歌舞伎鑑賞ですっかり好きになってしまった中村勘三郎が主役の『元禄繚乱』は、本当に毎回毎回、面白かった。脚本も演出も素晴らしかったのだと思う。中村勘三郎のオリジナリティのある大石内蔵助のキャラクターと、その独特の演技が最高に素晴らしかったのである。
中村勘三郎の演じる大石内蔵助を、
(こういう大石内蔵助のキャラもありかも……)
と、そう思える面白さだった。それはリアリティということではなく、私が読んでいた忠臣蔵の大石内蔵助のイメージとは少し違うのだが、そこに中村勘三郎の個性とオリジナリティあるキャラクターと演技の魅力が感じられ、惹きつけられたのである。
『元禄繚乱』が放送された1999年1月から12月までの1年間、電話で中断ということもなくはないからビデオに録画もしながら、毎日曜日はその時刻を待ち兼ねてテレビの前に座った。NHK大河ドラマを毎回楽しみに見たのは後にも先にも、その1度だけである。それほど好きなら中村勘三郎の公演を観に行けばいいのにと誰かから言われてしまったけれど。
中村勘三郎も時々、テレビのトーク番組などに出ていて、たいてい見るが、トークのほうはあまり面白いと思わないのである。ユーモラスで楽しい話し方ではあるけれど、当たりさわりのないコメントが少なくないように感じられ、何か、個性的な印象的な言葉を聞けないことが多いからかもしれない。
坂東玉三郎のトークはいつも興味深く見るし、その表情や数々の言葉に惹きつけられる。歌舞伎俳優としてだけではなく、人間としての坂東玉三郎、と言いたくなるような、その鮮烈な個性や思想や人生がにじみ出ているようなトークで印象に残るし、公演も観てみたくなる。