先日、友人から贈呈された著書が送られてきた。四六判ハードカバーで、約400ページ。定価2千数百円。自費出版の本である。ジャンルは純文学。ライフワークとして1千枚の長編を書いているという手紙が来たのが、2年前のこと。
(とうとう書いたのね、1千枚……!)
友人の著書を手にして、私は、感無量だった。エンターテインメントと違って、純文学の1千枚の長編は改行も会話も少なく、ていねいな描写で、びっしりと書かれている。もともと、長編ばかり書く人だったから、1千枚という原稿枚数よりテーマがライフワークということなのだと思った。長編書き下ろし経験のほとんどない怠惰人間の私にとって、1千枚の純文学小説は気が遠くなるような枚数で、一体、何年かかるのかしらと手紙を読んだ時は思ったものである。
(この本が何冊目かしら……)
ふと、考えた。ほとんど毎年のようにS氏は自費出版していたから、20冊以上、30冊近いかもしれない。
S氏とは20数年以上前までの同人誌仲間。詩集であれ小説の本であれ自費出版する仲間は何人かいた。けれどS氏ほど頻繁に本を出す人は、いなかった。ある時の会合で、誰かが費用を聞いたことがある。私の予想では150~200万円ぐらいと思っていた。ところが、予想をはるかに超える費用に、一瞬、言葉を失うほど驚愕させられた。年収の多い職業の人だから、毎年のように出せるのだと仲間たちも冷やかしたりしていた。
私が同人誌をやめた後しばらくは、手紙やハガキのやり取りと、贈呈の同人誌や著書が送られてくるだけだった。その後、久しぶりに会ったのは、2人が共通して親しかった同人仲間が亡くなったことを、S氏から知らされる電話だった。入院していた病院も知っていたし、お見舞いに行くつもりだったのに間に合わなかったと私は激しいショックを受けた。
私とS氏はその仲間の家へ、お線香を上げに行った。
その夜、久しぶりに飲んだ。再会の夜は、同人仲間の噂やら近況やらで話が尽きなかった。
その再会後、時々、電話がかかってきて、会うようになった。
アルコールを飲みながら、ある時、彼は冗談半分に言ったものである。
「色っぽくなったねえ、恋愛体験を重ねると、女性はこうも変わるものかねえ」
その言葉に噴き出させられながらも、
「20代の私は全然、魅力なかったのね」
と、私も冗談半分に拗ねてみせた。初めて会った時、私は20代後半、S氏は40代半ば。それから約20年も経っていた。
食事を共にした後、カラオケ・バー、クラブ、ダンス・パブなどへ連れられて行き、酔った勢いでキスの真似をされたりしたこともあったが、彼はフェミニストであり紳士だった。しばらく連絡がないと思っていると、病気で入院や手術をしたことなどを書いてある手紙が、治ってから送られてくるため、その時、初めて知った私は、お見舞いに行ったことは1度もない。
現在のS氏は週に1日の仕事で、あとは息子さんに任せているらしいから、執筆に専念できるようだった。ライフワークの著書の後も、S氏はきっと本を出し続けるに違いないと私は信じている。
(とうとう書いたのね、1千枚……!)
友人の著書を手にして、私は、感無量だった。エンターテインメントと違って、純文学の1千枚の長編は改行も会話も少なく、ていねいな描写で、びっしりと書かれている。もともと、長編ばかり書く人だったから、1千枚という原稿枚数よりテーマがライフワークということなのだと思った。長編書き下ろし経験のほとんどない怠惰人間の私にとって、1千枚の純文学小説は気が遠くなるような枚数で、一体、何年かかるのかしらと手紙を読んだ時は思ったものである。
(この本が何冊目かしら……)
ふと、考えた。ほとんど毎年のようにS氏は自費出版していたから、20冊以上、30冊近いかもしれない。
S氏とは20数年以上前までの同人誌仲間。詩集であれ小説の本であれ自費出版する仲間は何人かいた。けれどS氏ほど頻繁に本を出す人は、いなかった。ある時の会合で、誰かが費用を聞いたことがある。私の予想では150~200万円ぐらいと思っていた。ところが、予想をはるかに超える費用に、一瞬、言葉を失うほど驚愕させられた。年収の多い職業の人だから、毎年のように出せるのだと仲間たちも冷やかしたりしていた。
私が同人誌をやめた後しばらくは、手紙やハガキのやり取りと、贈呈の同人誌や著書が送られてくるだけだった。その後、久しぶりに会ったのは、2人が共通して親しかった同人仲間が亡くなったことを、S氏から知らされる電話だった。入院していた病院も知っていたし、お見舞いに行くつもりだったのに間に合わなかったと私は激しいショックを受けた。
私とS氏はその仲間の家へ、お線香を上げに行った。
その夜、久しぶりに飲んだ。再会の夜は、同人仲間の噂やら近況やらで話が尽きなかった。
その再会後、時々、電話がかかってきて、会うようになった。
アルコールを飲みながら、ある時、彼は冗談半分に言ったものである。
「色っぽくなったねえ、恋愛体験を重ねると、女性はこうも変わるものかねえ」
その言葉に噴き出させられながらも、
「20代の私は全然、魅力なかったのね」
と、私も冗談半分に拗ねてみせた。初めて会った時、私は20代後半、S氏は40代半ば。それから約20年も経っていた。
食事を共にした後、カラオケ・バー、クラブ、ダンス・パブなどへ連れられて行き、酔った勢いでキスの真似をされたりしたこともあったが、彼はフェミニストであり紳士だった。しばらく連絡がないと思っていると、病気で入院や手術をしたことなどを書いてある手紙が、治ってから送られてくるため、その時、初めて知った私は、お見舞いに行ったことは1度もない。
現在のS氏は週に1日の仕事で、あとは息子さんに任せているらしいから、執筆に専念できるようだった。ライフワークの著書の後も、S氏はきっと本を出し続けるに違いないと私は信じている。