切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

きょうは、乙訓の神社、三ヶ所

2017-05-14 23:54:30 | 撮影
 乙訓の三カ所の神社を回ってきた。
 長岡京市にある角宮神社。
 わかりにくい場所だけど大きな幼稚園の隣にあった。かなり古い歴史を持ち、起源は飛鳥時代と言われ、続日本紀にその名前が出てくる。大宝律令が制定された頃で、平城京の少し前。もちろんその後、いろんな変遷があって、本殿などの建物は、後年に再建されたもの。特に文化財と言われるものはない。住宅街の中にあって静かな雰囲気。
     

 次に少しだけ離れた、赤根天神社に行く。長岡京市による立て札の説明では、あまりよくわからない。おそらく江戸時代以前に私家の鎮守のために建てられたらしい。応仁の乱で焼けて、その後再建。ひっそりして誰もいなくて、拝殿と本殿が市の有形指定文化財。     
 

 三カ所目は大山崎町に行く。
 もう40年ほど前の最初の赴任校がある町だ。山沿いに大きな団地があり、その一番上のところに、小倉神社というのがある。
 ここは勤めていた当時、遠足など校外学習で山歩きをするときの、集合解散の場所だった。何十年ぶりかで行って見て、当時の自分の記憶とちょっと違ったような雰囲気。すぐ近くに新しいマンションが建ってたりして、まぁ静かは静かだけど、神社そのものも参道が新しくなったり、本殿が修復工事中だったりして、何かえらいきれいになっていた。

 平安時代に創建されたようで、延喜式の中にその名前が出てくる。大山崎町には小倉と言う地名は無い。名前の由来は定かではないけど、米を収納するお蔵から来たとも言われるし、山裾のお暗い所、と言う説もあるが、どうなんだろう。
 拝殿には江戸時代に奉納された大きな絵画が掲げられ、文化財と言える程のものだと思う。他にも江戸時代の石灯籠や、中には鎌倉期のものと思われるものも。また石鳥居には元禄二年と彫られている。1689年で、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅をした年だ。神社の横には古墳もある。この地域で最も古いと言われる神社らしい。
 勤務していた当時は、この神社がいろんないわれがあり、かなり有名なところだとは全く意識せずに来ていたが、自分とか生徒たちにとっては、天王山登山の、ハイキングコースの出発点でありゴール地点であるという認識だった。
       

 なお最初の勤務校は、京都縦貫道のインターチェンジができたために移転新築され、とてもきれいな校舎になっていて、まさに隔世の感がある。今日は野球部の生徒たちが大きな声出して練習していた。町内には大勢の教え子の家があるが、今も町内に残っている子はどのくらいいるんだろうか。
コメント
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