告別式で、「あなた!本当にお疲れ様でした。天国で永久に安らかにお眠りくださいね」と涙ながら見送り、
一年も経たない内に、「あなた!天国から私をシッカリと見守ってくださいね」って祈っています。
亡くなられた霊は思った。
「寝るのか、起るかハッキリして欲しい」と。
「死人に口無し」とばかり、人間の都合のいい様に霊が使われています。
先祖供養とは、子孫が先祖の霊を慰めるのではないか!
慰めるとは、天国でなく地獄に堕ちているからという事ではないか。
では、先祖が子孫を守る事と反しないですか?
そもそも天国がどこにあるか、日本人全員が不明確です。
天国が上の方にあるという認識では、
北極と南極では指さす方向が真逆になりませんか。
日本人一人残らず「天国の定義」が分からないのが実態です!
「天」から分からないのです。
示と申にてなる「神」の字源も知らず、「神様ちょっとだけお願いします」なんて言っています。
すると、〈天〉照大御〈神〉が「天」から分からないのに、
天照大御神が語られてきたのではありませんか。
法図(サトリ)の真解とは、「天と神」の真解と「真実の自分の思い出し」に尽きるです。
神の道を外れたのは私達の責任ではありません。
方向性を間違えた人間にあります。
「天」が分からないのに、どうして天国で安らかに眠れるのでしょうか?
錯覚・妄想・幻想からいい加減に目覚めなさい!
さぁ!私達と一緒に、今日も明るく健やかに、
家族と命あるものを大切にし、
一つ一つ丁寧に、楽しく生きましょう!
∞恩返しと恩送りがあります。
恩返しは、受けた恩を直接その相手に返えします。
恩送りとは、別の第三者に返す事です。
他人に親切にすると、他人に親切になれた自分を発見します。
視野が狭く、他人に気遣いができず、
周りが見えない、思い込みの強い、
自己中心の人間であっていいのでしょうか。
∞法図の教えのアリンガトワを、日常生活に染み込ませる様に、意識的にすることです。
∞正しい現実を認識するには、
ここはドコ?今はイツ?私はダレ?
この認識が、その人の現実です。
現実は変わります。なぜなら、現実認識が変わると、変わるものが現実だからです。
また、宝くじが当たる方も、食べ物や車にあたる方も思います。
なんで私がと!私も思った事が何度もありました。
幸不幸も何でもあるのが我が人生です!
先ず、厳しい現実を試練として受け入れる!
試練とは、心の強さや実力の程度が厳しく試されるような苦しみ。あることを成し遂げる過程や人生のある局面で遭遇する苦難です。
かって、私も事故に遭ったり、パニック症候群になったり、幽霊に憑依されたり、
いろいろ何年間も本当に苦労しました。
一日一日生きる事が辛い修行でした。
それで思いました。決められたその日まで、人間は弱いから強く生きねばならないのだと。
私の敵は私自身でした。今は老いてそれなりに味方をしてくれています。
身体にもかなり苦労をかけました。
ですから、我が身体は生き死にを共にする戦友だと言っています。
さぁ!今日も哀しみ辛さを乗り越えて笑顔のありがとうでスタートです!