心と体をつなぐものがイノチです。
イノチに、霊魂(心・意識)に付属する生命と肉体に付属する命の二つあります。
二つのイノチが合わさって融合しています。
霊魂はあの世のモノであり肉体はこの世の物ですから、
あの世とこの世はいつも一緒・ワンセット・一体です。
ですから、私達はあの世とこの世に同時に存在しています。
いつも言います様に「あの世とこの世はヒトツ」です。
ただ肉体があるか無いかだけです。反省や修正や是正できるのは肉体がある今の内です。
更に、あなたは宇宙の本質と宇宙と等価値です。
また大神といつも一緒ワンセット一体とは母胎の関係です。
解らない方は恥ずかしがらずセミナーで質問してくださいね。
ほとんど解らないかピンときていませんから。
解る方は、次のステップに進みましょう!
この世にいる間は、自分の心と身体を大切にして周りを愛してあげましょう。
ただ魔に負けたり悪い人間にダマされない様にしましょう。
人生を明るく楽しく創造する為に、強烈な霊的個性を持つナンモノヒカリ・ワールドを活用してみてください。
イノチが心と体をつなぎ、それも二つあるなんて云うと、歴史上誰も言わない思わない事ですから、
歴史上また世界一の気違い扱いにされるでしょうね。
大宇宙を癒す秘密の言霊
アヤナワン・アリンガトワ!
A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA
あやなわん・ありんがとわ
ナンモノヒカリさんの口から出る言葉は六十兆の細胞の言葉でもあります。
細胞は空気、火水、太陽、月、星、食事と自然界、に存在するものと宇宙バイブレーションにより生かされ一体化されております。
一つナンモノヒカリさんの変化は、質問をしてくださいと言う点が良いですね!
多くの人は、私たちが今生きているこの世界だけが現実であり、この物質世界の他には私たちが存在するところ(界)はないと思っているようです。この世とあの世という概念を持つ人々でさえ、あの世というものを正しく認識している人は、ごく少数、もしくはほぼ皆無と言ってもよいほどでしょう。しかし、この世とあの世、あるいは仏教の用語で此岸と彼岸という言葉があるように、この世とあの世は確かに存在するのです。この世界、すなわち私たちが現在生きている物質現象界と、あの世、すなわち私たちに死が訪れ、肉体を落として霊となった私たちが赴くところである霊界があります。
霊界とは意識世界のことですから、肉体を持たず意識そのものである霊は、自己が創り出す無碍自在な意識世界のうちに存在しています。しかし、この世に生まれ出る霊(魂)は、肉体という衣をまとって、物質の世界で生きていくことになります。と言うのは、霊である魂が物質現象界で生きるためには、物質である肉体を持たなければ人間として存在できないからです。そして肉体を持って生きるということは、意識そのものである霊とは違って、物質界の物理法則の制約を受けるということを意味しています。
霊はなぜ、生きる上でさまざまな制約を受けるこの束縛の世界、物質現象界に生まれてくるのでしょうか。それは人間の思量を超えている事柄のようで、現在のところ私たちは、それが霊の在り方であるとしか言うことができないでしょう。しかし、肉体をまとった霊である私たち人間は、この現象世界へ生まれ出てさまざまな経験を経て人間として成長していきます。従って、種々様々な経験を得ることが、私たち人間がこの世界に生まれ出る目的の一つであるとも言えるでしょう。経験を通して学ぶことが、人間という形態を採る霊(魂)にとって、自己が進化成長するための貴重な機会なのであり、そしてまたこのことが、物質現象界を経験世界と呼ぶ所以なのでもあるでしょう。
この世界で私たちが持つ経験には種々様々なものがあり、人間の、地上での経験は、実質的には無限であると言ってもよいほどでしょう。人間が一つの生だけで得られる経験は限られていますから、魂は数知れぬほど多くの転生を経て、この世での経験を積み、そして魂自身の成長を果たしていくのではないでしょうか。換言して、輪廻転生の真義とは、この有為転変の現象界で人間として生きることによって得られる種々様々な経験を積むためであるということ、そしてそのことによって魂は、自己の意識進化を果たすことができるということなのでしょう。
ダルマ(理法)とは、この物質現象界や不可視の霊の世界をも含めて、宇宙のあらゆる一切のものを律する全宇宙の絶対法則、あるいは究極絶対神と呼んでもよいものでしょう。ダルマ(理法)という宇宙の絶対法則が存在するゆえに、私たち人間やこの世界やこの物質宇宙、また不可視の世界が存在できるのです。理法は、一切なる宇宙を宇宙として在らしめている絶対法則です。宇宙が宇宙として在る法則は、私たち人間の思量を超えた、ただ不思議、不可思議と言ってもよいほどのものでしょう。現象の物質宇宙ではなく、それをはるかに超越している、永遠無限に存在する偉大なる全宇宙、偉大なる絶対法則、偉大なる究極絶対神を、人間の現在の知性レベルで思惟することなどは、ほぼ不可能と言えるのではないでしょうか。
<秩序と調和>を、宇宙の絶対法則、ダルマ(理法)と言ってもよいでしょう。<秩序と調和>という理法が存在しないならば、そのとき、宇宙はカオス(混沌、無秩序)であり、私たちが目にしているこの現象世界や宇宙は存在しないでしょうし、また私たち自身も存在することはあり得ないでしょう。<秩序と調和>という理法が存在し、そしてそれが全宇宙を統べているからこそ、宇宙が存在し、私たちが存在するのであり、全宇宙が永遠無限に存在しているのです。
私たちが理法に反した生き方をしないかぎり、私たちはこの世界において幸福な生を楽しむことができるでしょう。けれども実際には、多くの人々が悲哀や苦悩という苦しみを心に抱えて不幸な人生を送っているようであり、この現象界は、<苦の娑婆>という言葉が示すように、生き難いところのようです。なぜこの世は生き難いところなのでしょうか。くどいようですが、理法に則った生き方をしている人たちにとっては、この世は生き難いところではありませんが、理法に反する生き方をしている人たちにとってこの世は生き難いところとなってしまうのです。これは当然の理です。どうして人々は理法に反する生き方をしてしまうのでしょうか。それは、人間が我欲という自我を持つからであり、人間は自分第一に考えて、自己の損得勘定を以って物事を処するからです。
物質界に生きる人間の多くが、<秩序と調和>という理法から外れた利己主義的な生き方をしてしまうので、人々は悲しみや苦しみなどの苦痛の経験を味わうことになるのです。ですから、理法に則った生き方を体得すれば、人間は苦悩や悲哀を味あわなくても済むことでしょう。理法に則った生き方とは、すなわち、物質界の法則を遵守し、一切のものと調和して生きるということです。そのためには、我欲という自我を滅することが非常に重要なことになります。我欲に基づく利己主義があるかぎり、人間は、自己の周囲にある他のもの、換言して宇宙と調和を欠くことになるからです。人がこの現象世界で個人として生きるうえで、決して自分と切り離すことができず、常に巻き込まれていることがあります。それは人間関係です。言葉を換えて、社会とは有機的な人間関係で成り立っているものであり、この世界は有機的な人間関係によって成り立っていると言ってもよいでしょう。
物質現象界というこの経験世界において、私たちは経験が持つ意味を理解し、そして経験を、より良いもの、あるいは自己にとって望ましいものとしていくために、人はそれぞれに、人間がこの世界で生きることの根本的な意義とその目的について思惟を深めていくことが何より大切なことではないでしょうか。そして、人が自己の人生を幸福なものにしたいと願うとき、人はすべてのものと調和した生き方を導いていくことの重要性を悟ることでしょう。人が、<秩序と調和>という、宇宙の絶対法則に則った生き方を常に心がけているならば、その人の心は決して乱されることなく、常住平安で、精神と霊性において向上の生にあることでしょう。