2008年5月15日、30週2日、1008gで生まれた寛太朗の成長記録

生後535日目、寛ちゃんは突然お空へと還っていきました。寛ちゃんと過ごした日々は、ママの心の宝物♪幸せをありがとう。

一応…出来た。。。

2010年11月18日 07時32分00秒 | 天使ママ日記 2010.11~
『11月はSIDS対策強化月間です』

詳しくは大河くんママのブログをご覧ください

大河くんママのブログ


先日、某有名予備校のカリスマ講師の友達から依頼を受けた文章を、下手なりに、必死に心を込めて書いた。

記録として、ここにも載せておこうと思う。。。


『天使ママから若者へ伝えたい事』

私は昨年の秋に、最愛の息子を病気で天国へ還した。
亡くした当初は、荒れ狂うように泣き、叫び、生きている事がとても辛かった。

会いたい。贅沢は言わない、たった一目でいい…
抱きしめたい。永遠でなくていい、たった一度だけでも…
たった一目、たった一度ですら、誰も叶えてくれない。

私の心を救ったのは、自分が必死に育児をしてきたという自負。
悲しみや辛さはあっても、後悔は少なかった。
全身全霊をかけて我が子を愛し、我が子の為に必死にやってこれたという事。

早産・未熟児、たった1008gでこの世に誕生した息子。
NICUで半年を過ごし、その間、私は毎日病院に通った。
子どもと一緒に寝る、お散歩をする、普通の人が当たり前に出来ている事すら当時は夢だった。

小さな体で持っていた病気は20個以上…
どれも聞いた事のない病名ばかり…私は新しい病気を告知される度に、必死にネットで情報を得た。
この病気は何千人に1人、これは何万人に1人…どうして我が子が…どうしてこんなにも…
告知も何度もされると、命にかかわらない病気なら…あ~そうですか、くらいな感覚で聞くようになった。

1歳の誕生日を目の前に告知された病気、それは『急性骨髄性白血病』。
現時点では発症していないけど、近い将来発症する、そう言われた。
命が助かっても、将来この子は子どもを作る事は出来なくなる…と。
いろいろ考えた。
息子が大きくなった時、どう説明すればいいのだろう…もし好きな人との関係が、その事実で壊れてしまったら…
発症し治療が開始されたら、愛する息子が副作用に苦しむ姿を私は支えられるのか…それも不安だった。

そんな心配や不安を吹き消してくれるかのように、息子はいつも笑顔だった。
その時、『今を生きよう』と心に誓った。
未来への不安に心が押しつぶされそうに苦しんで過ごすのではなく、今を笑顔で明るく、必死に楽しく生きよう!そう思った。

病気があまりにも多く複数の科にかかっていたので、週に何度も通院。
成長がのんびり、口から飲む食べるという事が出来なかった為にリハビリにも通った。
家では在宅看護。
経管栄養(鼻から胃までチューブ)で、昼夜問わず3時間おきにミルクの注入や吸引。
とにかく、ちょっと特別な育児に必死で、ちょっと特別な育児を楽しんだ。

体調がいい日が続き、この幸せは永遠に続くのではないかと錯覚してしまうくらいだった夏、そして秋が来た。

ある日、突然、発熱した。
7時間後、息子は天使になった。

1年5ヶ月16日。
人からしたら、短い人生に思えるだろうが、息子の命・人生は深くとても濃いものだったと思う。
息子は自分の与えられた命を懸命に生き抜いたのだ。
私達親・家族・友人に大切な事をたくさん教えてくれた。

私が伝えたい事、それは、今を懸命に生きて欲しいと言う事。
今している努力は、必ず自分の蓄えとなる。
例えば、授業が終わった後に、先生に一つ質問をしてみるとか、勉強を終わろうと思った時に、あと10分だけ延長してみるとか。
そういう小さな努力の積み重ねが、人との差を大きくするし、大きな自信に繋がると思う。

未来に不安を感じる事もあるだろう、でも、一番大切なのは今をいかに生きるか、という事。

この先の未来、私は角を生やして『勉強しなさい!』と、息子にガミガミ言う事は出来ない。
そんなどの家庭でも当たり前の光景が、私には叶わないのだ。
だから、息子に言う事が出来ないので、これを最後まで読んでくれたみんなに言わせて欲しい。
『勉強しなさい!!』

今の努力は、必ず未来に繋がる。

天使 寛太朗の母 OO OOO

たくさんの天使ママが頑張っています!

(※厳密に言うとNとGだけど、Gと書いても学生さんにはわからないだろうから、ここではNICUと表現した)