こんにちは
今回も自己肯定感を下げるものについて考えますが、今回は、私には絶対当てはまらない、全力でそんなことはないと否定したくなる内容となっております
半分冗談だと思いながらご覧下さい
不幸のフリは、本当の不幸を呼ぶ
大して不幸でもないのに、不幸のフリをしたがる人がいます。そんなわけないと思うでしょうが、現実にいらっしゃるのです。
初めは幸せそうに笑ってるなんてお花畑とか、何となく不幸の方がカッコいいとか安心なんだなどと不幸ぶっているうちに、やがて本当に不幸になってしまう危険な行動を見ていきたいと思います。
その① 中二病的不幸好き
アニメやドラマ、映画、小説のようなフィクションを見すぎたことによる弊害です
物語の主人公はストーリーの展開上、浮き沈みの激しい人生となっています。時には絶望のどん底にまで叩き落とされます。もうダメだ…どうしようもないという状況から、一条の光が。
見事主人公は窮地から脱し、その後はこれでもかというくらいの幸福的展開となります。どん底の展開に陥れた仇敵をドラマティックに打ちのめし、主人公の悲願が達成される。不幸に包まれた世界(環境)は劇的に好転し、光あふれる世界へと変化し、主人公たちは幸せに暮らしましたとさ。
王道ものであれば、SFだろうがミステリーだろうが、人間ドラマであろうが、そのような展開になります。
これを現実と混同してしまうパターンがあります。悪いことが起きると、突如として自分を悲劇のヒーロー、ヒロインへと変身させる。
「あー、なんて私は不幸なんだ。人から見てもかわいそうなくらい不幸でしょ。あーかわいそうな私!」(まるで、悲劇のヒロインのようじゃないか!でもきっと救世主が現れてくれる!)
一旦不幸のどん底になる、もしくはそれをキープすることで、劇的な幸運舞い込むのを期待するパターンです。しかし、現実はどんどん不幸になるだけです。あなたは決して悲劇のヒロインではありませんので、自分でできることを一つずつやって速やかに不幸な状況を脱して下さい。
その② あまのじゃくな不幸好き
みんなが楽しくやっているパリピ状態のところへ加わると何だか知らないけど逆のテンションや立場をとりたくなる。
連休やみんながイベントで浮かれているときに、わざわざ仕事や予定を入れてみたくなる。
※本当に仕事をされている方もいらっしゃいます。ここでは本来仕事を入れる必要がなかったのにという意味です。
何かの集まりの際に、忙しさを装い、遅れたりドタキャンしてみたくなる
みんながワイワイやっているところから外れて、集団を遠目にしながら、1人外れている自分を嘲笑する。楽しんでいる人たちに向かって皮肉の一つも言いながら「フッ」とやってみたくなる
本人は周りに流されない、一匹狼とばかりにちょっとかっこいいと思っているかもしれませんが、周りからはただの暗い人、空気の読めない人、もしくはただただ迷惑な人にしか見えません。みんなが楽しくやっている時は、全力で一緒に楽しむか、できなければせめて水を刺さないように気を遣いましょう。そもそも自分に合わないか集まりであれば最初から参加しないようにするべきです。
参加している限りは他の人と場の空気を共有しています。そんな中で一人不幸な顔をしていれば、その場の良い波動も下げますので、人に迷惑がかかっているということを自覚しましょう。それが他人への思いやりでもあります。あなた自身の波動が下がって、カッコつけているつもりが本当に不幸になりますよ。
その③ 幸運の後には必ず不幸が来ると思っている
何か運のいいツイてることが起きると、反動で同じくらいの不幸が後で来る、と思ってしまう人がいます。幸運がくれば嬉しいが不幸が来るのはもっと嫌だということで、シーソーで言うところの均衡を保った状態をキープしようする。幸運な状態が来ると不安を感じてしまい全く喜べない、感謝しないので、気がつくと不幸の方へシーソーが傾きます。
更に状況が進行すると不幸な状態である限り、次に来るのは幸運だと思っているので、次第に不幸な状態の方が心安らぐという歪んだ状態にもなりかねません。幸運の後に不幸が来るなんてことは迷信ですので、幸運は素直に喜び感謝しましょう。
逆も然りです。不幸の後に幸運が来ると思うのも間違いです。元々不幸な状態にいるので、いつもは当たり前のことでも、相対的に今よりも幸福に思えるというだけでこちらも気のせいです。
幸運と不幸は対になってるわけでも因果関係にあるわけでもないので、このような考えは捨てた方が良いと思います。
その④ 運の量は決まっていると思っている
人生において使える運の量は決まっているという考え方です。なので、できるだけ温存したいということで、こちらもその③と同様に、細かい幸運に感謝をせず、むしろ「チェッ、こんなつまんないことで運使っちゃったよ」と不機嫌にすらなります。これも不幸愛好者の典型です。
その⑤ 自分には不幸こそふさわしいと思っている
幼少期に受けたトラウマ、家庭環境、身近な人たちが不幸であるなど恵まれない状況が長く続くと、それがさも当たり前のように感じてしまい、自分には幸せになる権利がない、幸せになってはいけないなどと思ってしまう。幸せに対して鈍くなり、不幸に居心地の良さすら感じている状態です。
人間には全て幸せになる権利があります。自分は不幸であることが当たり前、不幸な状況こそ自分にふさわしいなどと恐ろしいことを考えることはやめましょう。周りの人も不幸にするということを自覚しましょう。
いかがでしたでしょうか。全く当てはまらないという方もいらっしゃると思います。
最初はそんなこと思ってなかったのに何となくその場の流れでとか、魔がさしたなどの軽い動機で始めた「不幸のフリ」かもしれませんが、やがて本物になります。
また、このような考え方をして行動すれば、周りの人の迷惑になります。それを自覚しましょう。逆に自分が幸せの良い波動を出すことは人のためにもなると思うといかがでしょう。人のためになるなら、と幸せになる自分が想像できるのではないでしょうか。
次回はコミュニティの中で発生する「不幸のフリ」が始まるケースについて考察したいと思います。
最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました