こんにちは
今回も私自身の経験も踏まえて、「苦労」と「努力」について考察したいと思います。よろしければ、個人的で若干ネガティブなお話にお付き合いください
前回までのお話です。大学を卒業した私は就職活動に失敗し、街角で見た「これからは英会話とITスキルが必要」という文言に共感してしまいます。そのまま苦手意識の高かったこの2大巨塔に真っ向から立ち向かうことにしてしまったのです。
これが波乱の幕開けでした。
苦しみ抜いた一年目
こうしてシンガポールのIT企業にて社会人一年目をスタートしました。予想通り、訳のわからないITの専門用語が英語で飛び交ってくる、新卒なので仕事のノウハウも一から、住む所は自分で探さなければならないという過酷な状況でした。
来る日も来る日も嫌いな英語とITの勉強、その合間に英語のネットや新聞で家探しという生活。それでも一年が過ぎた頃には、あれだけ苦手だった英語もITも仕事も形にはなってきたのです。住むところも結局4回引っ越す羽目になりましたが、こちらもようやく落ち着き、何とか危機的状況は脱し、一定の気流には乗りました。一定の評価をもらえるようになり、「英語話せるITエンジニア」の肩書きは手に入れました。
あれから15年程が経ちましたが、英語もITも相変わらず全く好きではありません。情熱もわかないので、なるべく時間を割きたくないですし、取り組むには「それなりの気合」が必要です。新しい境地に挑むことも億劫です。
つまり…
人間、嫌いなものはどうやったって嫌いなのです
個人差もあると思いますが、嫌いなものを無理に克服しようとしてもなかなかそうはいかないということです。強い意思で、それを好きであるとだまそうとしても、潜在意識が拒否反応を示します。「これはあなたの道ではありません。すぐに変えなさい」と言ってくるのです。
これを無視し続ければどうなるか。耐え難いものに耐え続けているので、そのストレスは強く、やがて心身に来ます。続けた先に待っているのは、倒れた自分です。
苦労とは
苦しみながら無理をして嫌いなことに取り組む、もしくは努力することが「苦労」ということだと考えます。
「苦労」の先にあるのはどこまで行っても「苦労」です。嫌々ながらやっているので、それを乗り越えても、また更なる苦労が待っています。そして「これじゃない感」がずっと付きまといます。
それでも、自分で選んだ道だ。必要な苦労なんだと考え、耐えに耐えてきました。
結果…
入院して動けない身体になってしまいました!
持病の腰痛が悪化し、激痛で救急搬送されました。2階から降りられず、レスキュー隊まで来て頂く始末。自宅の前には救急車と消防車が停車し、日も落ちた夕飯時にご近所を大いに騒がせてしまいました。
検査結果は「椎間板ヘルニア」っぽいとのこと。
ポイって何やねん!と突っ込み入れたくなりますが、CTもレントゲンもMRI検査も受けましたが、根本原因は不明。
その後2日程で退院しましたが、現在も下肢に強い痛みがあり、歩行困難な状況です。どの医者にも「ヘルニアは大したことないのに何でそんなに痛いのかわからない」などと言われ、痛み止めだけ出されサジを投げられました。
一時期は杖をついても歩くのが困難で、痛みで眠れない日々も続きました。現在はリハビリを続け、少しの距離は歩けるようになりましたが、長距離は休み休みでないと歩けず、遠出はできなくなりました。
根本原因は未だ不明ですが、一説には「脳が痛みを出している」のだそうです。すると考えられるのは強いストレスでしょう。「苦労」の代償です。
今振り返ってみると、新卒時点での選択には大きな「誤り」があったことがわかります。この選択をもっと慎重にしていればこんなことにはならなかったかもしれません。
さて、誤りとは何だったのか。明日はこちらを考察してみたいと思います。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました