今回は善行を積むことについてです。
「一日一善」という言葉もありますが、他人のためにやると神様が見ていて、「おーよくやってるな。じゃあ、感謝できるようなことを引き寄せてやろう」という感じになるそうです。
同じ善行をするなら、さらに効果的な方法があるそうです。それは・・・
人に気づかれないようにやる
ということです。
陰徳陽報
陰徳ある者は陽報ありという言葉があります。人知れず善行を積む者には必ず、良いことが起こるということです。
人が見ているところでやって、感謝されたりする善行を陽徳といい、人が見ていないところでする善行をするのが陰徳というそうですが、神様から見て、後者の方がポイントが高いそうです。
陰徳を積むとはどういった行いのことでしょうか。
具体的にはこのようなことです。
道端に落ちているゴミを拾う
→ 人がいないうちにサッとさりげなく拾う
匿名で寄付をする
→ 誰も見ていないうちに募金箱に入れる
誰もいない神社仏閣の賽銭箱に入れる
ネットバンキングで匿名で寄付
使った公衆トイレをちょっと掃除していく
→ 個室などは誰にも見られないので、ちょっと便座をキレイにするだけでも十分でしょうか
もちろん、誰かの手助けをするのも立派なことだと思います。おそらく重要なのは、善行をする際の心構えにあると思います。
他人がいない場所で善行をするというのは、他人からの評価を求めないということです。
これやってあげたら感謝されて気分いい
これやったら、いい人だと思われるかも
これやってあげたら後で何かお礼もらえるかも
これやってあげたら後々自分も助けてもらえるかもしれない
善行をやった時点で、とても立派なのですが、残念ながら上記のような心持ちでやると「自分のため」つまり「エゴ」というカテゴリに分類されてしまうようです。
すると神様から見て「自分がよく見られるためにやったんだよね」となります。
また、他人からの評価、態度によっては、「何だよ。せっかくやってあげたのに、礼もなしかよ」なんて思ったとしたら、せっかくの善行も台無しです。
少し趣旨がズレますが、普段の生活でも、他人の評価や態度が介入しないように仕事や家事をすると、意外に気持ちのいいものです。
間違っても
この仕事やってやったぞ
この家事やってやったぞ
なんてドヤ顔で言った日には、言われた相手はどうなるか。
はぁ?そんなのこっちだってやってるし、ドヤ顔されても となるかもしれません。
せっかく善行したつもりが余計なトラブルにもなりかねませんし、やめた方が賢明です。
逆に、普段の家事や仕事についても気づかれないところで粛々とやれば、陰徳を積んでいることになるので、モチベーションも上がりますね。
ということで、今回は「善行は人の見ていないところでやる」ということでしたが、要は「心磨き」のつもりでせよ、ということでしょうか。
普段から、小さなことでも人のために何かできることはないかと探していると、必ず神様が見ていて、いざという時に助けてくれるかもしれません。
本日もここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!