泥より出でて泥に染まらず

人生を引き寄せ、好転させるには?自身が何十年も苦しみ抜いた経験と、様々な文献から日々考察していきたいと思います。

【52】束縛の愛と無償の愛

2023-05-20 08:43:00 | 引き寄せ
こんにちはニコニコ


朝から「束縛の愛は本当の愛ではない」というインスピレーションを得ましたので、本日はこのことについて考えてみたいと思います。



人間関係、特に家庭環境でトラブルを起こしそうな「束縛の愛」というものですが、具体例を考えてみます。



「あなたのために〇〇を買ってあげた」


「あなたのために〇〇してあげた」


「あなたのために払ってあげた」


「良かれと思って忠告してやってる」



一見、他人のために奉仕しているように見えます。


ですが、「〜してあげた」「〜してやった」という気持ちが入っているので、「してあげた」と思っていることが裏切られたり、思った反応と違ったりすると、その反動でネガティブになります。



「あげたものをいらないと言われた」


「あげたものを使ってもらえない」


「〇〇してあげたのに感謝がない(足りない)」


「良かれと思って言っているのに、言うことを聞かない」



こうなると、怒りが湧いてきて、さらに相手が望んだ反応になるようにしたいと思ってきます。


これがエスカレートすると、完全に相手を何としてもコントロールしたいという状態となります。



さらに悪いことに、本人にとっては「相手のためにやってあげている」という状態のため、歯止めが効きません。



単に自分よがりの正義感を相手に押し付けているわけですが、その人にとっては、相手に対して愛を持ってやってあげているんだと思っている状態。



従って「本人にとっては」非常にポジティブな行動になっています。


しかしやられた方にとっては、こんなにはた迷惑な愛はありません。まさに「余計なお世話」です。



子育てにおいても、「子供のために〇〇してやってる」「教えてあげている」「習い事にお金払ってやっている」んだから、「ちゃんとやらないとダメでしょ」という状態になりがちです。


子供が納得しているならば良いですが、これでは単なる親の価値観の押し付けです。


親のエゴでコントロールしようとしているだけに過ぎません。



これでは真の愛とは言えず、本人が良かれと思っても、人間関係に歪みを生むことになりかねません。



人に施そうとする時、とりわけ子供に対しては、何もかもやってあげないととなりがちです。


しかし、そこにエゴがないかどうか、相手を束縛しようとしていないだろうか、自分に問いたいものです。



束縛の愛の反対は、無償の愛ということになるでしょうか。


見返りを求めず、ただ施すことは「与える」ということになり、非常に徳の高いことでもあります。


基本的にこの考え方で日々過ごしたいものですね。



ここまで読んで頂き、誠にありがとうございましたニコニコ