3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
月乃和熊も賛同しております
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またまた、すんごい春の嵐ですね
先日は、鉢植えがゴロゴロ転がったので、小さいものは避難させて、大きいものはブロックに縛り付けたり、てんてこ舞いでした
この嵐は日本を席捲するそうですが、あまり被害がでないことを祈ります
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山本五十六記念館にて
新潟県長岡市の山本五十六記念館に行ってみると、大勢の小中学生が見学しているのに驚きました。
昨年(2011)末に映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を観ましたが、山本五十六に扮する役所広司と架空の新聞記者に扮する香川照之、玉木宏の掛け合いや、家族と食卓を囲むシーンが、いかに五十六が日米開戦を避けたかったか、開戦しながらも早期の戦争収束を願う苦悩を描写しているわけですが、真珠湾奇襲攻撃シーンや、山本長官が搭乗する一式陸攻の撃墜シーンのCGが、映像として意外にも素晴らしく、日米開戦に反対の立場を採とりながらも、止もう得なかった開戦、また開戦からわずか6ヶ月後のミッドウェイ海戦の惨敗、搭乗機の撃墜を呼び寄せてしまった南方視察の苦しみなどは、原作でも読まないと戦後の世代には伝わらないかもしれないですね。
この点、「硫黄島からの手紙」では、栗林中将が赴任したアメリカでの回想シーンがうまく挿入されていることで、アメリカのと工業力、経済力、国力の差があまりにも大きいことを描写し、カサブタのような小さな孤島に、置き去りにされながらも戦い抜かなければならない苦悩が、よく描かれていたように思いました。
さて、山本五十六は明治37年11月に海軍兵学校を卒業すると、少尉候補生のまま装甲巡洋艦日向に配属され、日露戦争における5月27日の日本海海戦に参戦し、左半身に砲弾の破片を受け、左手の人差指と中指を失い、危うく左腕を切断しかけるほどの重傷を負いました。
写真:いずれも日本海海戦後の装甲巡洋艦日進。
敵弾により前部砲塔が根元から吹き飛んでいる。
しかし砲塔内早発との説もある。
通常はこれほどの重傷を負うと、退役させられてしまうらしいのですが、五十六は海上勤務を経て海軍大学へ進み、ハーバード大学にも留学しました。
アメリカ駐在中の3年間(1919年~1921年)に、自動車・航空・船舶などの各産業、油田などに強い影響を受け、国力の差を目の当たりにするとともに、後にワシントン軍縮条約での艦船の不足を補うための航空機の活用、強いては航空機の活用した新たな戦術のヒントを得ていたのではなかろうか。
でも、本当にすごいのは、長岡市自体が戊辰戦争、第二次世界大戦での空襲で壊滅的被害を受けながらも、戦後、平和を願って毎年8月2、3日に花火大会を実施し、真珠湾攻撃を受けたホノルルとの交流を経て、今年2012年3月、ついにホノルルで平和の花火が打ち上にこぎつけた長岡市民の思いです。感服します。
さぞかし山本五十六長官も、草葉の陰で満足しているに違いありません。
戦艦三笠の雄姿 戦艦三笠の迫力!! 河井継之助記念館にて
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さて、山本五十六は明治37年11月に海軍兵学校を卒業すると、少尉候補生のまま装甲巡洋艦日向に配属され、日露戦争における5月27日の日本海海戦に参戦し、左半身に砲弾の破片を受け、左手の人差指と中指を失い、危うく左腕を切断しかけるほどの重傷を負いました。
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通常はこれほどの重傷を負うと、退役させられてしまうらしいのですが、五十六は海上勤務を経て海軍大学へ進み、ハーバード大学にも留学しました。
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