写真:神田明神の神馬
乃木将軍の馬とは関係ないけど・・・日差しを浴びて眠そう・・・でも1頭で寂しそう
乃木将軍の馬とは関係ないけど・・・日差しを浴びて眠そう・・・でも1頭で寂しそう
いや、当たりました。宝くじ当たりました
なんて、年末ジャンボを40枚 12,000円を買って、
3000円が2枚、300円が4枚、合計7,200円・・・マイナスじゃないか
でもせっかくだから、半分は寄付の資金にします
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第1次総攻撃 第2次総攻撃 第3次総攻撃 28サンチ榴弾砲 空前の消耗戦
旅順要塞降伏
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第二軍 南山の戦いから始まった消耗戦
空前の消耗戦
第3軍が戦場に上陸する少し前、奥 保鞏(おく やすかた)率いる第二軍は、兵力約38,000を以って遼東半島の大連を確保し、旅順要塞を防備するロシア軍と遼東半島より北方に展開するロシア軍主力を分断する露払いとして、旅順要塞から約50Kmの地点にある金州城・南山を攻撃した。
対するロシア軍は、未完成とはいえ塹壕と鉄条網を巡らした防御陣地を築き、兵力約17,000人、
110門余りの野戦砲と機関銃を配備し待ち受けた。
奥は事前に重砲の配備および連合艦隊への支援を要請したが、大本営から早急なる攻略を指示され重砲の必要性は認めてもらえなかった。
重砲による援護のないまま、明治37(1904)年5月25日 第4師団が金州城を攻撃するが落とせず、第1師団からの援軍を得た3回目の攻撃で、ようやく攻略することができた。
翌5月26日は、早朝より南山への砲撃を開始し、続いて歩兵による突撃を開始したが、防塁と機関銃に阻まれ凄まじいい損害が続出。
しかし、奥は攻撃を続行させる。
夕方になって、ようやく金州湾に到着した海軍の砲艦から援護射撃を得て、午後8時ころようやく南山を占領した。
驚くべきことに、このたった1日の南山の戦において、10年前の日清戦争で全日本軍が消費した砲弾数3万4000発と同等の砲弾数を、消費し尽くしてしまったのです。
また、死傷者約4,300人を超える損害を被り、日本軍、ロシア軍の双方とも恐るべき消耗戦を経験することになっていくのです。
ちなみに、この戦いで乃木の長男 乃木勝典少尉(その後中尉)は機関銃で腹を撃ち抜かれて戦死しました。
連戦連勝の落とし穴
第2軍は重砲支援がないにも関わらず、半ば要塞と化した防塁陣地からの機関銃掃射による凄まじい損害を被りながらも、一日で南山を攻略できてしまったことで、旅順に籠るロシア軍の兵力を15,000人程度と不当に低く見積もっていた大本営は、旅順要塞に籠るロシア軍の約3倍に相当する兵力、約55,000人を乃木に与えたと思い込んでいるので、旅順永久要塞といえども歩兵の突撃・肉弾戦で短期間に陥落できるものと誤った判断を持ってしまったのではないのだろうか。
防塁陣地に配置された機関銃は、攻撃側にとって驚異的な兵器であることを思い知らされながらも、攻城戦というものを本格的に研究したことのない日本陸軍は、誰一人として正攻法による攻城戦を想定していません。
また南山の戦い後、乃木の第3軍は6月26日より開始された旅順要塞に至る進攻作戦で、7月30日の旅順攻囲網の完成までに、死傷者約4,000人とい損害を被りながらも、半ば要塞化された10拠点もの防衛陣地を約1ヶ月余りという極めて短期間で攻略した実績を残しました。
驚異的な損害を被りながらも連戦連勝を重ねてきた日本軍の誰れもが、総攻撃で損害の多少を覚悟していたものの、旅順永久要塞も短期に攻略できるものと思いこんでいたのでしょう。
日本軍は、旅順港を早期に占領し旅順艦隊を壊滅させることで、制海権を揺るぎないものにしなければなりません。
また、乃木の第3軍は速やかに旅順要塞を攻略し、北方に展開する主力軍に合流するとともに、来るべきロシアとの大会戦に備えなければなりませんでした。
旅順要塞への総攻撃を前にして、連戦連勝で意気益々盛んな日本軍。
国内では、旅順陥落の戦勝報告をいち早く報道するために、大本営へ押しかけ待機する多くのマスコミ、新聞記者。
日本の期待を一身に背負った乃木第3軍が、いよいよ旅順要塞攻撃を開始する。
第3軍は、ロシア軍より数の上で少し多くのホッチキス機関銃を保有しているものの、携行している砲は小口径なので、ベトンで鎧われた旅順要塞の前には無力だ。
大本営は、まさか砲撃による破壊効果があまり期待できないものとは想像もしていない。
そして、兵の損失、消耗戦を覚悟しながらも、速やかなる要塞の攻略を訓令する大本営。
塹壕をめぐらし、鉄条網を巡らした陣地からマキシム機関銃に狙われると知りながらも、歩兵突撃を慣行する以外に乃木の選択肢はなかったのです。
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第1次旅順要塞総攻撃につづく~
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