月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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鯉城(広島城)

2016-11-12 05:00:00 | 歴史こぼれ話
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鯉城(広島城)

広島城は、毛利輝元が天正17年(1589)より築城を始めて、天正19年(1591)に入城した。

室町時代、現在の広島市周辺は甲斐の武田の分家が治めていた。
最終的に毛利氏に併合されてしまったが、広島城の周辺は乙斐(こい)もしくは乙斐堀という地名だった。

甲斐に対する乙斐(こい)だったのかもしれない。

いつしか、「乙斐(こい)」が『鯉』となって別名を、鯉城(りじょう)と呼ばれるようになった。

慶長5年(1600)、西軍の総大将に祭り上げられていた毛利氏は、関ヶ原の戦いに敗れると防長二州に押し込められ、宇喜多攻めで功績のあった福島正則が、徳川氏よりおよそ50万石を与えられ入府した。

福島正則は豊臣氏を主筋として敬うが、家康と秀頼の会見時は同席せず、大阪冬の陣、夏の陣では、徳川氏にも豊臣氏にも味方しなかった。

家康の死後、正則は広島城を幕府に無断で修復したとして徳川秀忠の逆鱗に触れ、信濃国川中島の高井野に移封され、さらに4万5千石に減封されてしまった。

ちなみに、正則の死後すべての領地が幕府に没収されたが、幕府は正則の子、正利に3000石余りを与えて旗本として再興させた。

元和5年(1619)転封させられた福島正則に代わって広島城に入城したのは浅野氏だ。
浅野氏は、忠臣蔵で有名な赤穂浅野氏の本家でもある。

以後、浅野氏は明治維新まで広島を居城とした。

その後広島城は、明治27年(1894)に日清戦争時の大本営が置かれ、昭和20年(1945)8月6日、原爆によって破壊されてしまった。

そして、昭和33年(1958)広島市民は復興の願いを込めて、現在の天守閣を再建したのであります。

ちなみに、広島東洋カープのCARPは鯉。
再建した広島城、すなわち鯉城と復興の象徴として、チーム名を「CARP(カープ)」と命名したのであります。


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