月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

人形町 末広跡

2013-03-14 18:00:00 | 歴史こぼれ話
こんにちは!月乃和熊(ツキノワグマ)です!!
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
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人形町 末広跡

皆さんは「すえひろてい」と言ったら何を連想するだろうか?

新宿末廣亭と連想した人は立派な落語好き!

昭和45年(1970)に廃業した寄席の末広は、人形町交差点あたりにあった。
往時を忍ばせるのは、読売ISビルの入り口にある「寄席 人形町 末広亭」プレートのみなのであります。


人形町の交差点からみた読売ISビル


しかし、プレートには「末広亭」とあるが本当は「末広」であったという話も聞く。
客席がすべて畳敷きという江戸時代以来の古い造りをだったそうだ。

江戸時代の日本橋は日本一の繁華街であり、問屋街・商業地として発展した。
そして一日に千両を動かすのは、吉原、日本橋魚河岸と芝居町の3か所であったと言われが、芝居町にあった芝居小屋は天保の改革で浅草に移転させられた。

江戸末期の慶応3年(1867)、その芝居町のほぼ正面に寄席の末広が創業した。

ところで東京における現在の落語の定席は、新宿末廣亭、池袋演芸場、浅草園芸ホール、国立演芸場の4か所と思っていたが、最近はお江戸広小路亭、お江戸日本橋亭などもあるそうだ。

さすがは本職、まずは時世の話題で観客の興味を引いておきながら、自然に古典落語に引き入れていく話術が好きで、月乃和熊(ツキノワグマ)も昔は時々聞きにいっていた。

こちらは既に知っている噺と思っていても、手ぬぐいや扇子を小道具とした巧みな言葉の強弱やタメなどの話術に、今か今かと次の展開を待ち構えていると、ググッと目で引き入れられ「やられた~っ」とばかりに思わず声をあげて笑ってしまう。

現代よりも、ずっと娯楽の少なかった時代、さぞかし繁盛を極めたことだろう。

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