月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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【乃木大将】番外編=機関砲=

2012-03-28 23:43:33 | 乃木大将
  司馬遼太郎氏の「峠」の主人公 河井継之助はブーツを履いていた
  幕末にブーツを好んだのは、龍馬だけではなかったようです

法事で新潟に帰省したついでに、長岡にも寄り道してきました
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  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
   月乃和熊も賛同しております
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【乃木大将】番外編=機関砲=

日本軍の機関砲を調べてみると、司馬遼太郎氏の「峠」の主人公でもある、越後長岡藩の河井継之助が、ガトリング砲を2門購入していることがわかる。

ガトリング砲は手動式の機関砲で、中心の軸に複数の砲身が束ねてあり、ハンドルを回すと1回転する間に弾丸の装填、激発、排莢(はいきょう)される仕組みで、1分間に200発程度を連続して発射することができた。

長岡の河井継之助記念館に展示されている、ガトリング砲のレプリカを見る限りでは、装輪式になっていて砲身を上下に向けることはできるが、左右には振ることができない。
長岡城防衛戦の折に継之助自らが射撃したとも伝わるが、なんとなく、あまり効果が発揮できなかったのではないかと思う。

   
 河井継之助記念館のガトリング砲

明治になって、日清戦争を経験した日本軍は、迫りくるロシアの脅威に対抗するためフランスのホッチキス機関砲に目を付けた。
(フランス語では「オチキス」という)
明治30年(1897)に口径8mmのMle1897ホチキス機関砲を購入し検証を重ねた結果、三十年式実包が使用できるよう、口径6.5mmでの仕様を要求し、明治34年(1901)にライセンス生産を開始。
翌明治35年(1902)より保式機関砲として正式に採用、配備が進み、旅順攻囲戦の第3軍の第3次総攻撃時には装輪式、三脚式と合わせて70門以上あった。

ロシア軍が採用したマキシム機関銃に比べて、故障が少なかったといわれるが、給弾のための保弾板を再利用するときには、保弾板匡正器で変形箇所を修正しながら使っていた。
また、砲身は1000発を目安に交換が必要だったといわれ、保弾板の装弾数は30発なので、保弾板を33回交換すると砲身の交換も必要になった。
なお、大いに日露戦争の勝利に貢献した保式機関砲は、後継の三八式機関銃の母体にもなっている。

◆どこかの記事で装弾数は24発と書いたような気がします。
オリジナルのオチキス機関砲の口径は8mmで保弾板の装弾数は24発でした

その後、ぐぐっと年代が下がり1950年代半ばに、油圧モーターを取り付けたガトリング砲を、航空機の地上攻撃用の機関砲として搭載が研究され、日本の陸上自衛隊も採用した攻撃ヘリ、AH-1Sコブラなどに20mmM197三銃身機関砲が搭載されていました。
  

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