月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

【乃木大将】携帯電話

2012-05-14 22:13:57 | 乃木大将
りっくんランドの戦闘指揮所。机の右端にあるのが野戦電話

  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
   月乃和熊も賛同しております
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【乃木大将】携帯電話
日露戦争時、特に旅順攻囲戦で効力を発揮したのが野戦電話だが、実は当時、野戦電話と言わず「携帯電話」といったらしい。

日露戦争が終結に向かうころ、明治38年7月に新設された第15師団と16師団に「携帯電話」を支給するという公文書を発見!
携帯電話 10台
被覆線 20,000m
予備電池 30個
その他に電話設置のための必要部品が支給されており、直線距離で最長20km、携帯電話1台あたりでは平均2kmの範囲内で利用が可能だったと思われる。

旅順要塞攻囲戦では、腰を据えて攻城戦を展開しており、観測砲撃などで重砲部隊司令部には、第3軍司令部より多くの「携帯電話機」が引きこまれていたという。
問題は「有線」なので砲撃によって、ちょくちょく切断されたようで、そのたびに工兵は銃砲弾が降り注ぐ中、決死の覚悟で復旧作業に向かったのであります。

現在の電話は、明治23年ごろに東京~横浜間でサービスが開始され、最初は映画「となりのトトロ」に出てくるような受話器と送話器が分かれている電話機が使われ、サザエさんに出てくるような黒いダイヤル式電話が一般的に普及したのは、自動交換機が国産化した第二次大戦終了後のことで、それでも月乃和熊の子供のころの電話は、電話機の横についているクランクハンドルを回して交換手を呼び出し、目的の電話番号へつないでもらっていた。

現在の携帯電話ともなると、それこそ野戦電話から発展したもので、りっくんランドに展示されている野戦電話の通話範囲半径30kmが基になっている。

インターネットだって、そもそもは戦争で電話局が破壊されても、通信を確保できるように開発された軍事技術だ。

震災時には、インターネットが世界をつないだ。
協力を呼び掛けることもできた。
その後の様子を、発信し閲覧することもしている。
やっぱり平和利用がいいね。

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 【乃木大将】乃木の戦略 につづく~ 
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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<一人寂しく歴史クイズぅ~>
ちょうど1300年前の和銅5年(712)に編纂されたといわれる、日本最古の歴史書は?
次の3つの中から選んでください。
 古寺記 
 魏志倭人伝
 古事記 
月乃和熊のブログをよく読むとヒントがあるかもよ
答えは次回のブログで

2012/5/13の母の日=家事は重労働=の回答: 桶狭間
川中島は、上杉謙信と武田信玄の戦いだし、関ヶ原は実質徳川家康の天下取りだしね
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乃木希典は愚かな将軍と思いますか?(2012年5月31日まで)
気が向いたらポチッとな
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