この歳になってキャッチボールの楽しさに目覚めた。
と言っても3回しかやったことないけど。
「ボールを投げて受け止める」
それのどこが楽しいのか考えてみたこともなかったけど、やってみたらすごく楽しい。
ボールがこっち目掛けて弧を描いて飛んできて、それがグローブに「スパッ」とか「ボスッ」て収まる。気持ちいい。
これの何がいいって、
「対、人である。」
ということに気がついた。
多分、器械から飛ばされたボールだったらここまで楽しくない。
“キャッチボールと心”
これって結構密接な関係があると思いません?キャッチボール好きのみなさんよ。
「会話のキャッチボール」という表現もメジャーやし、私が思い出したのはBUMPの「キャッチボール」という曲のこの一節。
上手くなって 距離を置く
心は近づいていく
君の声は遠くなり
君のコエが近くなる
「キャッチボール楽しかったな〜!!」
という興奮が治まった2日後、この一節を思い出して納得した。
「だからキャッチボールは楽しいのか」
って。
ボール投げて受け止めてってしてる時は、別に悩み相談とか難しい話、面白い話をしているわけじゃなくって、むしろ無言に近かったり「そんなところ飛ばす〜!?」とかツッコんで笑ってるだけなんやけど…、、
「受け取ってくれる」と信頼してボールを投げる。
「受け取るんだ」と思ってボールを待つ。
その時の自分の顔と相手の顔は、ボールに集中してるか笑ってる。
その空間には、私の嫌いな、
「自分すごいアピール」「マウンティング」「笑顔でいつつ腹の探り合い」「自分を大きく見せようとする」「ゴマすり」「相手を攻撃して自分の心を守る」「かけひき」
そういうのが漂っていない。
健やかで伸びやかな人と投げ合ったから、尚更胸に響いたんだろうか。
その人そのもののようで。
あの人の言葉は、そのまま真っ直ぐ受け取れる。
安心して受け止められる。
疑わなくていい、怖がらなくていい。その言葉通り信じていい。
こんな形の癒しがあるんや。って、ジ〜ンとした。
私の欠けているところに、ちょうど収まる。
と言っても3回しかやったことないけど。
「ボールを投げて受け止める」
それのどこが楽しいのか考えてみたこともなかったけど、やってみたらすごく楽しい。
ボールがこっち目掛けて弧を描いて飛んできて、それがグローブに「スパッ」とか「ボスッ」て収まる。気持ちいい。
これの何がいいって、
「対、人である。」
ということに気がついた。
多分、器械から飛ばされたボールだったらここまで楽しくない。
“キャッチボールと心”
これって結構密接な関係があると思いません?キャッチボール好きのみなさんよ。
「会話のキャッチボール」という表現もメジャーやし、私が思い出したのはBUMPの「キャッチボール」という曲のこの一節。
上手くなって 距離を置く
心は近づいていく
君の声は遠くなり
君のコエが近くなる
「キャッチボール楽しかったな〜!!」
という興奮が治まった2日後、この一節を思い出して納得した。
「だからキャッチボールは楽しいのか」
って。
ボール投げて受け止めてってしてる時は、別に悩み相談とか難しい話、面白い話をしているわけじゃなくって、むしろ無言に近かったり「そんなところ飛ばす〜!?」とかツッコんで笑ってるだけなんやけど…、、
「受け取ってくれる」と信頼してボールを投げる。
「受け取るんだ」と思ってボールを待つ。
その時の自分の顔と相手の顔は、ボールに集中してるか笑ってる。
その空間には、私の嫌いな、
「自分すごいアピール」「マウンティング」「笑顔でいつつ腹の探り合い」「自分を大きく見せようとする」「ゴマすり」「相手を攻撃して自分の心を守る」「かけひき」
そういうのが漂っていない。
健やかで伸びやかな人と投げ合ったから、尚更胸に響いたんだろうか。
その人そのもののようで。
あの人の言葉は、そのまま真っ直ぐ受け取れる。
安心して受け止められる。
疑わなくていい、怖がらなくていい。その言葉通り信じていい。
こんな形の癒しがあるんや。って、ジ〜ンとした。
私の欠けているところに、ちょうど収まる。