その時は必ず来てそして必ず去って行く

頭の中でうるさい独り言たちを昇華させる場所としてOPEN!ようこそようこそ。

深夜のひとりごと

2021-01-15 00:05:00 | 私と私の対談

体調不良で休職したという先輩にLINEを送ろうとして、手を止める。


私がLINEを送ろうとしている、その本当の理由は?



私は、


「心配だから」

「送りたくなった」


のではなく、


休職した時に心配してくれなかった人リストに入りたくないから」

「送った方がいいと思った」


というのが本心だ。



今までそういう生き方をしてきて、結果、じわじわ自分を苦しめてきたんじゃんか。



LINEを打つ手を止めよ。



そんな理由で送るなんて、相手に不誠実だ。




非情だと思われたっていいじゃないか。



だって元来、私は非情な人間なんだから。




あ、



文字にすると、急に楽になった。




私、本心に嘘をついて生きることが何よりも苦痛なんや。



本心に嘘をついて生きて「立派な人間」と思われるより、


正直にダメ人間をさらけ出して「ダメ人間」と思われた方が楽なんやわ。




江戸だろうが令和だろうが私一人分の一生を

2020-11-03 16:29:00 | 私と私の対談

最近、


「現代人が一日で受け取る情報は江戸時代の人の一生分」


という言葉を目にして、それがずっと心に残っている。


この言葉のどこに反応するかは人それぞれだろうけど。


「江戸時代の人の生活は、同じようなことの繰り返しだった」のだろう。


「同じことの繰り返しの日々」というフレーズは、現代ではマイナスのニュアンスで使われる。


そうなんかな、あかんことなんかな、


って、心に問い続けている自分がいる。



情報をたくさん持っていても不幸な人もいるだろう。

もちろん江戸時代を幸せに生きた人もいるわけで。



ちょっとスマホを触れば、人と会えば、たくさんの情報が流れ込んでくる。


それに対応出来る人はいい。

上手く捌き、取り入れ、学び、批判し、成長し、繋がれるだろう。


でも、そんな人ばっかりじゃないから。



新しい事がわっと入ってくると、キャパ越えしてしまう人もいる。はい、私。


「情報過多によるキャパ越えって、一体なんだ?()


と自分でも呆れるのであるが、でも実際脳みそがパンクするような感覚になるのだ。


どうして情報を入れると暗い気持ちになるのか考えてみたところ、原因は「焦り」だ。 


毎日誰かの一生分の情報が当たり前に” 流れ込んできたら、そりゃ「あぁ、私にはもっとすべき事があるのに全然出来ていない、私はダメ人間だ」 と思ってしまうのも無理ないよ。


でも冷静に考えようよ。


私は一人。


どうやったって一人分の人生しか送れないんだから、胸を張って一人分の人生を送ればいい。


もちろん、欲張っても良いのかもしれない。

せっかくたくさんの情報を得られる現代に生きてるんだから。

それが出来る人はそうした方が楽しいし、より納得できる一人分の人生を歩めるでしょう。


「どうやらそういう生き方はしんどいみたい(・∀・)


という私は、情報との付き合い方、情報を得た時に焦る自分との付き合い方を分かっておかなきゃだ。



情報をなるべく入れないように、心に不穏な波を立てないよう意識している私の生活は、周りから見たらひどく単調でつまらなく見えると思う。


でもね、紅茶の味が、天気によって違うんだよ。


道端に落ちている犬の糞が、日に日に微生物に分解されてゆく様子を見て、感動するんだよ。


「こんな所にいたら危ない」と思って移動させた芋虫が、夜に同じ場所で死んでいるのを見て、自責と後悔と人のエゴと虫の一生に想いをめぐらせてるんだよ。


そういうことにいちいち震える自分の心を、私は大切にしたいんだ。


そんな心、他の人の目にはなんにも映らないけど。

でもそこを手放したら、そこの感度を下げたら、私は自分の人生を生きられないと確信している。


情報を無理して追って、無理して適用しようとして、心の感度を下げるようなことになるなら、私には要らないや。




欲張らずに、自然と自分の手が伸びる情報を手に取って、同じようなことの繰り返しの日々の中で心を震わせて、私の一生を生きたらいい。









たまには盛大に愚痴ったっていいじゃない

2020-10-27 15:39:00 | 私と私の対談

私、仕事中に話しかけられることが苦手なのだ。


黙っていても、常に頭の中では

「次にあれしてこれして

状態やのに、そこに話しかけられるとパニックになる。


中でも苦手なのが、


①独り言を言われ、こっちの「どうしたんですか?」待ち


②「どうでもいい事なんですけど、」と話し始められること


ですね!!(大声)(‘ω’ )


①の「どうしたんですか?待ち」は、心を鬼にして


「私は仕事をしに来ているんだ、この人のおもりではなく業務遂行にエネルギーを注ぎたいんだ」


と、爽やかに無視!(極端)


「ちゃんとした用があるならきちんと話しかけてください。」


と思いながら、反応せずに黙々と仕事をしています。


意地悪したいんじゃなくて、話しながら仕事するとミスするんよ…('3_)_



まぁそんな空気の中でも構って欲しい独り言を言い続ける人は、私以上に面の皮が厚いというか鋼メンタルというか、話し続けるからね


この手の話で一回「うへぇ」っとなったのが、


「え~~そうなんや

「はははっ!」


という独り言をスルーし続けた結果、


「どうでもいい事聞いていいですか?」


と話しかけられ、「なんですか?(視線はパソコンのまま)」と対応したところ、


「スマスマって、何年までやってましたっけ?笑」



はい、私プッツンー。



それ、仕事してる人の手を止めてまで聞くこと!!??



さすがにイラッとしたぞ。


「いや、知らんがな!!」


と叫びたいのを堪えた。



問題は、②っすよ


「しょうもない話していいですか?笑」


と、話しかけられること。これがほんと苦手。



これ、来る前に


「あ、もうすぐ話しかけられるな」


って分かるんよ。


で、その予感がした後に実際話しかけられた時、ゾワッと鳥肌が立ったりキーンと耳鳴りがしたり、まぁそんな感じで身体が反応する。

よっぽどストレスなんやろね。笑



最近びっくりしたことは、この「どうでもいい事聞いてもいいですか?」多用の人が、


「今の聞きました?関係ないんですけど~…”って。笑 関係ないなら言うなって話ですよね。笑笑」 


えーーーーー!!(д)


あ、あんたが言う~~~~!!!?(゚д゚)



思わず目ぇひん剥いて、言葉を失ったぞ。


「自分を客観的に見るって難しい


そう思ったね…



その人の事を「キー!」と言っている私こそ、どうなのだ?胸に手を当てて考えてみる。


私もきっと人をイラッとさせたり傷つけたりしてて、「しょーもない人間やなぁ」と思われたりしているんやろう。


そういう風に思っとくくらいでちょうど良いのかもな。|ω`)


町・土地・場所 その相性。

2020-02-01 23:01:00 | 私と私の対談
私は全然霊感とかはない方なんやけど、ある土地・場所に対しては「なんかここには縁がないのかも…」と思うことがしばしばある。

何度か(はっきり覚えているだけでも三度、)わくわくした気分で

「何か新たな発見とか楽しいことあるかも!今日はあそこに行ってみよう♪」

と向かった先で、人がお漏らした&人が嘔吐した場面に遭遇してテンションだだ下がったことがある。

そ、そんな場面、なかなか遭遇しませんよ…。

別にお漏らしした人を責めるつもりはないし、体調悪くて嘔吐しちゃったんやろうけど、それでも次またそこに行くかといったら、どうしてもその場面が思い浮かんじゃって、

「あぁ、漏らしてた神社か…」
とか
「あぁ、吐いてたカフェね…」
とか、ちょっとトラウマちっくになっちゃって足が向かない。あえてまたそこに行こうとは思わない。

そういう場所は、残念だけどなんか縁がなかったのかなって思う。


部屋(住居)・空間(職場)に関してもそうだな。

前に結婚していたときに住んでいた家は、なんかあかんかった。

これには陽当たりと湿気もすごい関係していると思う。

その部屋は1階の角部屋で、あんまり明るくなくて、なんせ湿気がすごかった。
クローゼットの中のカバンや下駄箱の中の靴まで、あらゆるものをカビでダメにした。
キッチンの壁にもカビがうっすら生えているのを見つけた時の衝撃といったら…

あの頃の私は、というか私が着ていた服からは独特な臭いがした、と母親は言う。

毎日その中にいたら気がつかなかったけど、確かに離婚して実家に帰った時にそれは思ったな。
なーんか服が湿っぽくて変な臭いしてた。全部洗濯するまで気持ちが悪かった。

どうやら部屋全体がカビっぽくなっていたようで、最後家を空ける時に呼んだ便利屋さんに「すごいカビの臭いですね…!」と驚かれたほど。

やっぱりそんな家にはあんまりいたくないというか、居ても気持ちよくなかったもんで、休みの日はない時間と体力を振り絞って絶対電車乗ってどこかしらに出かけていた。
帰ってからヒーヒー家事で苦しむんやけどね。
でもどうしても外に出たくって。
まぁ湿気だけが原因ではなかったんやろけどさ。



それに引き換え!!!


今の家の居心地の良さといったら!!!!


この世にこんな快適な空間があったのかと思うくらい!!!!(言い過ぎ?)


南側に窓がないから、南向きにこだわる人は部屋探しではじく物件なんやろうけど、南以外の方角に窓がある。
東・西・北に、それも大きめの窓があって、周りに高い建物がないため、もう光もしっかり入るし風通しも良いし、窓の外眺めても誰とも目が合わないし、その代わりにコンクリートの壁というわけでもないし。(難波に住んでた時は、窓開けたら目の前がラブホやったな…)

ちゃんと“風景”なのよ。

だからよく窓の外を眺めてる。空が広いから、写真もよく撮ってる。とても気持ちが良い。

そんな家だとやっぱり帰りたくなる。

私のスマホのロック画面もホーム画面も、部屋から写した空の写真。

仕事中にそれを見て、「あぁ、我が家に帰りたい…」と思っているのです。

仕事だからそう思うんじゃなくて、例えば人と外で会っている時や実家にいる時もそんな調子だから、私にとってこの家はほんとに「パワースポット」なんだと思う。


そうだ、ついでに言うと、家は生きている。
絶対に心がある。

以前近隣トラブルに巻き込まれて、一ヶ月ちょっと家を空けたことがある。

1〜2週間に1回は空気を入れ替えるために足を運んでたんやけど、その時の…部屋に漂う悲しさといったら…。

なーんかね、寂しげで物悲しかったわ。
住んでいる時と物の配置は変わってないのに。

「ごめんね」って言葉が出たもん。

あの時に思ったわ。

家は生きている。

家は、人が住んで生かされる。


そのことをきっかけに、家に愛着が湧いたな。

無事戻ってきてからは、もっと大事にするようになったし、なんというか、家に向かって「行ってきます」「ただいま」を心をこめて言うようになった。自然と。

そしたら自惚れかもしれんけど、やっぱりこの家は幸せそうにしてるって感じるよ!

外で辛いことがあった時、
「家に帰りたい」
と思い、家に着いたらホッとして
「ここは安全だ」
って思えるのは、家が守ってくれてるからだと思う。よってやはり、家は生きている。


これは土地にも言えることで。

私が生まれてから30年暮らしていたニュータウンを出て、今住んでいる地域は、ちょっとごちゃっとした地域。

週末の夜中になればうちの裏のカラオケの駐車場に輩が集まって、たまに警察が来ちゃったりする地域。

でもね、なんか好きで。この町がすごく。

ニュータウンの方が空気がキレイだったけど、この町の方が息がしやすい。

不思議な感覚だ。


実は去年くらいから脳裏でうっすら、数年後に県外へ引っ越すことを目論んでいるのだが、

・この家が好きすぎる
・この町が好き
・引っ越そうと思っていた町に試しに行ったら、なんか暗い気持ちになった(そして帰りに吐いた。)

という3点がネックになり、踏ん切りがつかずにいる。

こんなに家や土地に気分が左右される人間なんだから、ここを軽く見ちゃダメだよね、きっと。

自分の第六感に、耳を澄ませる…。


今更ながら今年の抱負を語る

2020-01-21 21:08:07 | 私と私の対談
昨年の健康診断で『要受診』と診断されたまま放置していたのですが(ていうか忘れていた)、本日ちゃんと検査受けてきました。( 'ω')/ 

昨年末から年始にかけて、友達と会ったときに友人自身の病気の話とか、家族の病気の話とか、正月実家に行ったときにはどこそこのおじさんがああなったとか、じいさんがこんな具合だから今年は来れないとか、、

もう本当に、体!健康!命!について考えさせられた年末年始だったのよ。

全っ然…、他人事じゃない。

というわけで、

自分のためにも、家族や友人と今後も笑い合うためにも、今年は健康管理に今まで以上に気を遣おうと思う。

というか、日々を健康に暮らすことは得意なので、きちんと「必要に応じて病院に行く」や「予防接種」を受ける。そういうこと。面倒くさがらずにね。


それと関係なくもないんやけど、今年は『家族との関係』に向き合おうと思う。

具体的には、

(自分比でいいから、)
•今までより連絡をする。
•短時間でもちょこちょこ実家に顔を出す
•言いたくないこと以外は近況報告をする

これら、自分に刺さる言葉でざっくりまとめると、

『甘えない』

これに尽きるわ。

干渉されるのが嫌で、放っておいてほしくて、構われたくないから実家と距離を置いていた。

でもそれって、「両親が元気であることに甘えている」状態だ。


年末年始、いろんな人に会って話して、みんながみんな病気や健康、命にまつわる話題になって…。
しみじみと、

「あぁ、お父さんお母さん、いつまで元気でいてくれるのかな…。」

とか考えちゃって。

私は今「極力実家に行きたくない!」なんて言ってるけど、それは親が元気だからなんだよな。

今は「あれこれ詮索されているようで嫌だ」なんて思うけど、急に病に倒れて会話ができなくなったら、再婚を望む話でも何でもいいから、声が聞きたいって神様に祈るんやろな。


そう思ったら、子供じみた態度はやめて、自分の気持ちには折り合いをつけて、親とコミュニケーションを取る時間をもっと持つようにしなきゃって。

思ったんだ。


年末、私の大好きな人が家族と向き合っている姿を見て、それに影響を受けたのもある。


「こんな私じゃ、この人の前で堂々といられない…!」

そう思ってね。

大好きな人の前で胸を張れる自分でいたいから、今年の目標は、

『今まで見て見ぬふりしてきた問題を、いっこいっこ潰していく。』

この表現がベストなのかは分からないけど、私にとってはこの言葉が一番しっくりきた。潰していく。

見て見ぬふりしてきた問題を潰さねば、いくら新しいことを習得したとしても、今までとは変われない気がする。
不安定な地盤に高層ビル建ててもね。


見て見ぬふりしてきた問題、幾つかあるけど、心に常に引っ掛かっているラスボスはやっぱり「両親との付き合い方」だ。

勉強や習慣、お金で叶えられない目標を立ててしまつたよ。

腰も気も重くはあるけど、今まで目を逸らしていたことにどこかで後ろめたさを感じてたんだろうね、「向き合わなくちゃいけない」と認めたら、ある意味楽になったよ。
なんだか少しずつ、強くなれているかもしれない。