奇乃堂

気になった文言 私が辞書の意味を主と捉える理由

 新語は出るし、言葉は流動的。
 とはいえ、伝えるなら、とりあえず辞書の意味が大切と考える私。
 それでも、間違って覚えていることはないとは言わない。そう覚えているから辞書引かない……場合は……反省……。

 伝えるなら辞書の意味を意識しだしたのは結構前だ。
 また、気にし始めたのは「こだわり」が良い意味ではなかったという話が出たあたりからかな? それと流動的って言えば「腐女子」と「歴女」あたりもあるね。言葉が難しいと感じ始めたのは。あとそうだネットで見る「それな」も実は私わかってない。

 先日、調べ物してネットのとあるページで「悪い効果はなく、よい影響はある」という表現を発見した。「悪い影響はなく、効果はある」でよいのではないか? わざとしたのか、書いた人にとって影響も効果も同じ意味なのだろうか、社会ではそうなのか?

 「影響」は古い辞書だと悪い意味だ。日常で使う場合、「影響=反応」という感覚があるのよね。語意を知って「悪い影響、良い影響」は眉間にしわが寄る瞬間はあるけど「まあ、そうだよね」と見流す部分はある。

 「効果」は辞書でも良い反応な感じ。「効」の字が「効く」だよね、もそもそも。だから、悪いことはないととらえられる。

 影響と効果の事例としてわかりやすいのは「薬」だろうか。
 薬を飲んで「効果があったか否か」と「影響があったか否か」。
 前者だと「薬が効いたか、効かなかったか」、後者は「副作用が出たか、出なかったか」という捉え方?

 まあ、言葉は流動的。
 だから、私は辞書に準拠していきたいと考える。とはいえ、私も正確かは怪しい……気になったときは引くけれどもね。

今後ともよろしくでございます。

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