たつのこ半畳記 350

坐禅会情報・四季折々の様子を伝えるときどき日記。
令和3年に開創360年を迎えている起雲山大龍寺のブログです。

★★令和6年・年末のまとめ(4)雰囲気激変!欄間のちから

2024年12月28日 | 震災ボランティア
能登半島地震で被災した七尾市の友人宅から欄間を譲り受け、
拙寺の書院(1階・2階)に据え付けました。

きっかけは被災後に現地にお邪魔した時のことです。
「自宅を解体する時には仏間に据え付けてある欄間も、
 家屋と一緒に壊さざるを得ない。手の込んだ欄間だけれど、
 今の状況ではわざわざ保管することなどできない。」
と聞きました。


そういうことなら…と、
ご自宅が解体される前に欄間を取り外して退避させ、
今夏8月に受け取ってきていたのです。



7枚の欄間は、微細な組木細工のものや、
大胆迫力の彫刻のものなどそれぞれ雰囲気が異なります。
ためしに、防火ガラスのあるところに仮付けをしてみたら、
部屋全体の雰囲気がガラリと変わりました。



 
微妙に大きさが異なるものを現場に合わせて調整する必要があり、
大工さんにきちんとお願いしたので時間はかかりましたが、
ようやく据え付けることができました。


設置場所には消防法の規制がかかっているため、
耐火ガラスを入れておかなくてはなりません。
「通気性」が欄間の機能のひとつにありますが、
ここは残念ながら2枚の対価ガラスで欄間を挟む形にしました。


ここも消防法に遵守して、耐火ガラスで欄間を挟んでいます。
雰囲気と採光がガラリと変わりました。


玄関に入ってすぐの飾り棚。
垂れ壁風に欄間を据え付けて、存在感たっぷりです。



この欄間を譲り受けたことによって、
・北陸の優れた彫刻技術を後世に伝えていくこと。
・欄間を間近にした方が被災地への思いを新たにすること。
・能登の方たちとのつながりを感じる場とすること。
そのような気持ちをもって、貴重な欄間と接していきたいと思っています。
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★七尾市の町の夏祭り(令和6年8月)

2024年10月16日 | 震災ボランティア
復興ボランティアで通った能登半島。
七尾市ぬし町の夏祭りに行きました。

私たちは助けてもらうだけじゃダメだ。
この8月には、コロナで中止していた夏祭りを復活させる。
その時には、皆さんに遊びに来てほしい!

そんな地元のみなさんの声をいただいて、
8月のお盆があけた頃に現地に行きました。





お祭り当日の朝8時。
地元の氏神様(天神さま)をお迎えるお神酒所を設営します。
鎮守さまの倉庫から木材を持ってきて屋台骨の組み立て。
以前のやり方を知っている年配の方が主に指示を出し、
若手が身体を動かして木材を組み立てていきます。
多世代が共同作業で進めていく姿が良かったです。

お神酒所を設営する場所は公民館のピロティですが、
傾斜のある場所なので、水平をとるのにコツがいりました。




夕方。鎮守さまにてお祓いを受けて天神さまを御神酒所にお連れし、
ヘトヘトになった状態で、町内のお祭りがスタートしました。




スーパーボール、水風船、宝探し、お神輿、盆踊り、花火てんこ盛り☆
今回は「お祭りに遊びに来てね」とは言われましたが、
花火と、スーパーボールすくい、水風船釣りなどで賑やかしの一助に。
花火は石巻・北上の復興支援での経験が役に立ちました。





町の人たちが帰った後、お神輿を担いで町内をくまなく巡り、
そのまま天神さまを鎮守のお社にお戻しして、
そしてお神酒所の解体もその日のうちに。




翌朝8時に再集合。
解体したお神酒所の木材を倉庫にしまって、一連のお祭りは終了。

「家屋の解体時に一緒に処分せざるを得ない」という欄間を譲り受けて、
拙寺の書院に取り付けさせてもらうことになりました。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


お祭りの合間に、地元の方たちの案内により、他地域の視察もしました。







七尾市塗師町の皆さま、七尾市の皆さま、
ボランティアの皆さま、ご縁をいただいた全ての皆さま、
ありがとうございます。お疲れさまでした。

その後、9月21日の大豪雨が発生しました。
七尾市の被害は軽微であったと聞きましたが、
能登半島は更に大変困難な状況にあり心が痛みます。

命を落とされた方の安らかなることを祈り、
不自由な生活を強いられている方たちの復興と
平穏な毎日を過ごすことができるよう念じております。
これからも折々に関わりを持っていきたいと思います。
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★能登半島地震 ボランティア活動2(余話)

2024年02月01日 | 震災ボランティア
東京から能登に向かう行程には選択肢があります。

ひとつは、上信越道か関越道経由で日本海側に出てしまう道。
もうひとつは、東名(新東名)経由でアプローチする道。

当日は、日本海側の天候・路面状況が心配だったので、
新東名で名古屋まで行き、その先は東海北陸道か北陸道を選ぶことにしました。

そんな時に発生したのが、東海北陸道の玉突き衝突事故でした。


2024/1/16 8:30a.m.



今回現地に行かなかった仲間が情報収集をしてくれて、
名古屋から先は、北陸道の一択となりました。


玉突き事故や、渋滞に巻き込まれなかったのにはホッとしましたが、
北陸道を進んでいると、いきなりフロントガラスにバシッと衝撃音が。
そして、直径3センチくらいのヒビが入ってしまいました。



(事故直後。運転中ですが、助手席からの撮影です。)


飛び石です…


出先でどうすることもできないので帰京後修理に出すと、
ヒビ部分の補修では対応できず、フロントガラスを交換することになりました。
ボランティア活動の一環であったので保険で対応できるだろうと思っていたら、
そもそも、往復の自動車事故はボランティア保険の対象ではないそうです(T_T)


飛び石、気をつけましょう。いや、どうやって…



★能登半島地震 ボランティア1
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★能登半島地震 ボランティア活動1

2024年01月25日 | 震災ボランティア
新年元日に起こった能登半島地震。
様々なご縁をいただいている地域での震災です。

支援品の提供、被災住宅の片付け等のため、
1月16日から17日の一泊二日で石川県七尾市に行って参りました。



七尾市在住で被災した方によると、例年に比べて今季は温暖で雪がないとのこと。
たしかに、往復の能越道は除雪が完璧で、市内の残雪もゼロでした。

つい24日には北陸道の通行止め、関ヶ原付近の車の立ち往生、
北陸地方の大雪など大変厳しい降雪による被害が報道されていました、
雪かきの必要性や、活動内容の変更等、天候に大きく左右されることを思うと、
今回の活動は天候面では恵まれていました。



今回の支援先となった七尾市は半島の手前地域で交通の便もよかったです。
自動車2台で支援物資を運び入れましたが、全く問題ありませんでした。
現状では人手が足りないことが復興の妨げになっていると感じられました。

当時、個人ボランティアは受け入れいない状況でしたが、
被災者との個人的な縁によって、事前に現地の窮状を把握することができ、
支援先・支援内容を事前に固めたことで、求められている活動をすることができました。



被災住宅の片付けなどもさせていただきましたが、
お仏壇や素晴らしい彫刻が施された欄間などは、
被災直後、これから復興というときには二の次、三の次。
責めるのではありませんが宗教文化・伝統技術の危機を覚えました。



なお、能登半島には曹洞宗寺院も多いという土地柄、
曹洞宗両祖のおひとり、瑩山禅師の700回大遠忌の年を迎えて
ゆかりの寺院、總持寺祖院さまも大打撃を受けたと聞いています。

これからたびたび、伺うことになると思います。







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★あれから6年半の石巻。【3】

2017年09月26日 | 震災ボランティア
【お知らせ】

★大龍寺こころの旅(11/20~11/22)お誘い






石巻市内の幼稚園で開催される「夏まつり・花火大会」のサポートを主目的に、
2泊3日で宮城県石巻市・岩手県陸前高田市に行ってまいりました。

★あれから6年半の石巻。【1】

★あれから6年半の石巻。【2】





◆平成29年8月27日(日)

前日の夏まつり・花火大会を終えて、
陸前高田経由で東京に戻る、3日目、最終日です。




桃生にある曹洞宗のお寺さんです。
震災後に初めて復興支援のため北上に行った際に、
ベースキャンプとして宿泊場所を提供して下さいました。


 
 こちらは、2011年の撮影動画です。




7回忌にあたって震災犠牲者の供養塔と、
全国からの支援に対する感謝の銘板が建てられました。




大谷海岸には、地域交流?の資料室がポツンと。




気仙沼湾の入口にあたる階上(岩井崎)にある「海の殉難者慰霊塔」を参拝しました。
こちらは震災ということではなく、昭和50年(1975)に建設され、
毎年9月26日に地域のお寺さんによって法要が行われているとのこと。

 この記事をアップした日がちょうど法要当日になりました。
 http://jifukuji.blogspot.jp/2017/09/blog-post_26.html 




車中でお昼ご飯のオニギリを頬張って、陸前高田の広田半島へ。
先端部分にほど近い未舗装路を進んでいくとそこには…




円筒形の赤いポストがありました。


ここは「ガーデンカフェ森の小舎」という喫茶店ですが、
実は「漂流ポスト」と銘打って、震災でお亡くなりになった方への手紙を受けつけている所です。

漂流ポスト




見るからに高原の別荘という感じです。
蚊がいるところさえ注意していれば落ち着くカフェです。




私は2度目の訪問となりましたが、初めての方もメンバーにはいましたので、
店主の赤川さんにはお時間を割いていただいて、お話をお伺いすることができました。





個人的に来られなかった年もありましたが、
ずっと同じ所でご縁をいただいて時々の変化も感じていました。

悲しみの中にありながらも街並みは少しずつ新しくなって、
場所によっては嵩上げ工事がビックリするほど進んで
知っていたはずの町で道に迷う感覚に襲われたり、
そもそも迷う道すらなくなっている所もありました。

でも、悲しい思いまでもがなくなってしまったのではなくて、
いま進んでいる日々の生活についても取り組んでいかなくてはならない、
地に足をつけて歩んでいかざるを得ないという覚悟のようなものも感じた3日間でした。



次回は年が明けて寒い季節の訪問を予定しています。
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★あれから6年半の石巻。【2】

2017年09月24日 | 震災ボランティア
【お知らせ】

★大龍寺こころの旅(11/20~11/22)お誘い






石巻市内の幼稚園で開催される「夏まつり・花火大会」のサポートを主目的に、
2泊3日で宮城県石巻市・岩手県陸前高田市に行ってまいりました。


★あれから6年半の石巻。【1】





◆平成29年8月26日(土)

午前中、今回の参加者20数名の大半は、南三陸などの視察学習に出掛け、
数名が本日の会場となる法山寺・法山寺幼稚園に直行しました。




園庭では、地元の役員さんたちと一緒に会場づくりが始まりました。


夜暗くなってから行う花火の準備も進めています。




教室では、ハンドマッサージの練習をお互いに行っています。




皆さんをお迎えする部屋の準備もバッチリです。




エレキギターをスコップに持ち替えて…ノリノリの演奏です。




地元のよさこいグループ舞綺踊さんのパフォーマンス。
大きな旗が3つも大空に向かってはためいています。




6年半を経て、改めて7回忌法要をお勤めしました。




祈りの想いは今でも変わらずここにあります。




2011年の夏休みの最後に第1回が開催され、今年で7回目となりました。
火力も本数も通常はでは考えられないほどの花火を用意して、
大勢が花火を安全・短時間で楽しむための段取りも板についてきました。




手持ち花火、吹き出し花火などを楽しみ、最後は打ち上げ花火で〆となりました。
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★あれから6年半の石巻。【1】

2017年09月21日 | 震災ボランティア
【お知らせ】

★平成29年秋季彼岸法会のお知らせ・今年の行事お知らせ

★秋のお彼岸に「桜 供養会」を勤めます。

★大龍寺こころの旅(11/20~11/22)お誘い






石巻市内の幼稚園で開催される「夏まつり・花火大会」のサポートを主目的に、
2泊3日で宮城県石巻市・岩手県陸前高田市に行ってまいりました。

夏まつりに丸1日掛かりますが、余裕をもって往復することと、
前後にこれまでご縁のあった所を巡拝する行程を含めての3日間でした。





◆平成29年8月25日(金)

朝7時、自動車に分乗して浅草出発。
今回初めて、常磐道を使って石巻へと向かいました。
途中、一車線区間もありますが、東北道より交通量・走行距離が少なく、
思っていたよりも負担なく現地に到着することができました。
食事、トイレ休憩など含めて午後2時には移転した南三陸さんさん商店街へ。




周囲のかさ上げ工事がかなり進んでいる南三陸の防災庁舎です。
かつて街全体を眺めることができた3階建ての庁舎が隠れそうです。




旧大川小学校校舎です。震災遺構として保存されますが、
数日前、恒常的に建物内は立入禁止とすることが決まりました。


裏山の斜面に、津波到達地点の表示ができていました。




リニューアルオープンした女川駅です。


女川駅は、駅舎・売店・日帰り温泉(有料)・足湯(無料)があります。


被災直後の新聞が掲示されています。


女川は素晴らしい復興プランの元で工事がすすんでいます。
駅舎から一直線に伸びる下り坂の下に、「海」が見えるのです!
津波被害に遭った地域が、軒並み高い防潮堤がそびえ立っているのも
今後の津波被害を抑えるために意義はあると思いますが、
それでも、このように海が見えるというのは嬉しいものです。



そして夕陽を追いかけて、石巻市内の宿舎へ向かいました。
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★熊本、避難所へ。

2016年06月19日 | 震災ボランティア
熊本での2日目。

朝8時。SVAと協働で焚きだし(避難所への配食)をしている
玉名市の蓮華院誕生寺のボランティア会議へ参加しました。



こちらでは、各避難所へ「温かい汁物」の配食をしています。
そして被災から1ヶ月がたち、県内の日帰り入浴施設と避難所の
送迎バスを運行させるという活動を始めるタイミングでもありました。
当初の話では、こちらのボランティア活動に随喜する筈でしたが、
残念ながらこの日は私たちが参加できる活動がないとのこと。





山内の様子、活動の要領などをお聞きして益城町のボラセンへ向かいました。



 

益城町では、永平寺の先輩が現場を仕切っていたこともあって、
避難所での喫茶活動(傾聴活動)をさせていただくことになりました。
避難所での写真はないので、町内の様子をお伝えします。(写真は加工してあります。)







遠目には被害がほとんど無いように見えますが、
建物調査の結果は、赤い表示が貼られています。
赤い表示は「危険」という判断です。
確かに、建物は強固にできているようですが、
その下の地盤部分は堅固さがまったく失われています。





こちらは黄色判定。要注意です。でも人の気配はありません。





被害が無いと思いながら近づくと、
車では越えられない段差が…。







施食会の際にご参列いただいた檀信徒皆様からお預かりしたご寄付は、
益城町ボランティアセンターにて、同町社会福祉協議会へと寄附をしました。
こちらがその領収書です。







帰る間際、飛行機の時間まで間があったので、
地表に現れた断層に立ち寄りました。
田んぼの中の断層に「大地は動くのだ」と自分の常識が揺らぐ思いをしました。







僅か1泊2日で果たして現地のお役に立てたのか。
東日本大震災同様、これからも関わっていけたらと思っています。
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★熊本、大慈寺へ。

2016年06月19日 | 震災ボランティア
気がつけば、このところブログをまったくアップしていませんでした。
順を追って大龍寺の様子を伝えさせていただきます







5月下旬の1泊2日で、熊本に行って参りました。
1日目は活動の下見と縁のある寺院のお見舞い拝登。




飛行場の周辺は阿蘇の高原野菜畑?
のどかな風景が続いていますが、民家が目立つようになると、
その民家にはブルーシートが掛けられているものもあります。









まず1ヶ寺目は熊本市南区にある大慈寺。
ここは私にとっては、法系の祖である寒巌義尹禅師が開かれたお寺。
また、大龍寺の歴代住職で中興27世に列せられる哲巖孝道大和尚さまは
この大慈寺の住職をしていたこともあるという深い縁のお寺です。





大慈寺は、熊本市の南方、2本の川に挟まれた地区に建立されています。
寒巌義尹禅師はこの南北交通の難所に橋を架けるため
九州一帯を托鉢勧募でまわり建設資金を拈出したそうです。
後にその功績から橋を架けた地区に一寺を建立したとのことです。
通常であれば水害に襲われないか心配な地域ではないかと思いますが、
そのような経緯によりこの地に建立されたことを知り感慨深いです。





大龍寺とも、私自身とも縁の深い所でありながらも初拝登であり、
それが地震被害を受けたことによるとは、申し訳ありません。

伽藍(建物)もご本尊さまも被害を受けています。




大慈寺の山門。




稲荷堂。正面の軒が完全に脱落してしまっています。




開山堂。このような状況ですが、拝登させていただく事が出来ました。












そして仏殿のご本尊さま。重要文化財に指定されていたため、
「被害があってもそのままにしておくこと」と役所から指導があったそうです。
そうは云っても毎日礼拝するご本尊さまですから、
そのままの状態にしておけないとご本尊さまを全て回収したとのこと。

文化財として考えるか、信仰の対象として考えるかということ。
お寺にとってはどちらの立場にあるか、そしてどうすべきか。
どちらの立場に立つか、もう明白な気もします。






2ヶ寺目は大慈寺様の近くにある観音寺。
ここは道元禅師が中国から戻られて船を寄せた帰朝の地、川尻です。

和尚さまと偶然お目に掛かる事が出来て、
いろいろとお話をお聞きすることができました。

大慈寺から車で数分という近距離にありながら、
逆三角形の石碑も、本堂も地震の被害を感じない様子です。












最後は熊本城に立ち寄って初日は終了。










続きます。
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★平成28年熊本地震の募金活動をしています。

2016年04月28日 | 震災ボランティア
今回の熊本地震で自分の属する法系の源となるお寺も大きな被害がありました。
多くの方々が全国から集まり支援活動をしている様子が伝えられています。
にもかかわらず、大龍寺では、5月8日に山門施食会があり、
今すぐに熊本にまで行ける状況ではありません。


 
ということで、今できることとして募金活動をすることにしました。
募金箱にくまモンのイラストを貼り付けようと思いながらも念のためと確認すると…。

くまモンのイラストを使用するには事前の許諾申請が必要であることと、
宗教団体に対しては許諾が下りないとのことなのですが、

   「熊本地震支援のための募金活動、

    チャリティーイベント等で使用するポスター、のぼり、チラシ、募金箱等」

における利用については、届出をするだけでOKとのことでした。
参照サイト https://kumamon-official.jp/



さっそく届出を提出した後、募金箱を作成しました。
法要があって現地に行かれないなら、その法要でも募金を呼びかけようと思います。



今日から玄関に置いています。


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★お見舞申し上げます。

2016年04月19日 | 震災ボランティア
この度の熊本県・大分県で発生しました平成28年熊本地震において
被災されたすべての方にお見舞いを申し上げます。
 


甚大な被害状況に言葉を失いますが、
行方不明となっている方ご家族の再会、
避難されている方たちの身心の健康、
被災地全体の早期復旧・復興を心より願っています。


 
現地に赴いての災害支援等は準備が整っておりませんが、
いま現在、出来ることをしていきたいと思っています。
募金についても、現地の復興に最大限有効な力になるよう、
宗派に関係する機関に託すことで考えています。
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★どこにも、5年という歳月が流れている。

2016年03月11日 | 震災ボランティア
東日本大震災から、5年となりました。

改めて、犠牲となった方の哀悼の意を表します。
また被災した方が身心健やかに、復興が一日も早くなされること、
いまだ行方不明となっている方が早く家族と再会できることをお祈り致します。





今年も宮城県石巻市(北上)まで行ってきました。
私たちグループはいつも早目に現地の法要に随喜しており、
今年は2月20日から1泊2日の日程にて。

同行メンバーは、震災直後からボランティアに携わってきた仲間と、
2ヵ寺の梅花講の講員さんたち。全員で30名ほど。





法要随喜が主であるため、新幹線とバスという交通手段です。





北上川の護岸工事も随分進みました。





毎年お世話になっている地元の葬儀ホール、観音樹さんです。
今年は主屋の隣に会食などでも使用できる小会場が建っていました。





今年も地元のお寺さんのお檀家さんが集まられました。
5年前に初めて、避難所・仮設住宅で会った方もいらっしゃいます。
当時は“地域の方”と思っていただけでしたが、
実はほとんどが同じお寺のお檀家さんという地域柄でした。

東京からは2ヵ寺のお寺さんの梅花講員さんも法要に。梅花の声に涙を誘われます。





法要後、一路、南三陸へと向かいます。
来る度に、復旧された道路が真っ直ぐに、フラットになっていきます。





南三陸防災庁舎を臨みます。
3階建ての建物のはずが、周囲のかさ上げ工事が進んでいるため、
これまでに無いほど小さいという印象です。
それだけかさ上げが高くまで達しているということです。






そして、今回の宿泊先「南三陸ホテル観洋」に到着。
こちらも震災発生時は津波にも襲われ一部水没したホテルです。
今回は、私たちが慰霊法要に随喜したものであることもあって、
女将さんから被災当時の体験談をお聞きしました。











《体験談メモ》


※緊急避難の様子。

 高血圧・糖尿病の人のための薬がなかった。

 観洋は寝泊まりするところがあり、食糧が確保されていたため、
 直後に来た警察が言うには「最強の施設」と。

 ただ、薬が十分ではなかったため、必要な人は備蓄のある施設ヘ移動した。

 宿泊者は自宅へ。
 従業員は車で数時間の地域でも、徒歩で帰るしかなかった。
 帰すべきか、とどまらせるべきかの葛藤の中で見送った。


※生きる人の苦悩からのスタート。

 電気、水が無い。
 一杯の水が無いが、食・住に恵まれた旅館の特色。

 ホテルは先代が創業した。元々は水産加工。
 眺めがいいところで地場の水産加工品を提供する旅館を志す。
 岩盤が良い所を立地としたことで、今回の避難所となった。

 人口流出が続いている。2度3度と来てくれる人はまれ。
 南三陸町7割が廃業し、仮設住宅を出られた人は4割。
 店はないけど、納品します!という取引業者さん。裾野が広い旅館業。
 
 被災者、復興支援の派遣者の受け入れ。
 子育て世帯、会社経営者を優先して受け入れた。⇒復興の原動力となる人材。
 
 水が無い。節水意識、約束。
 自死防止にも留意しなくてはならなかった。⇒イベント開催


※勉強場所がない子どもたち。

 ホテル内でてらこや活動を立ち上げ、教員ではなく大学生が指導にあたった。
 ソロバン教室は57名が今でも通学中。昨年2名が全国大会ベスト4。大人の希望の力。

 津波てんでんこ。自分の命は自分の判断で守っていく。
 小1の甥は無事。
 ホテル従業員は自分で考えて生きた。
 マニュアル通りで亡くなった事業者もいる。
 未曾有には規定通りではいかないのかもしれない。


※取り組み

「南三陸てんぽまっぷ」
  観光客のためと思っていたが、地元の人たちのためにもなった。おもてなし表彰。

「語り部バス」
  毎朝運行中。おもてなし特別賞。
  初めて来た人は、被災前の状況がわからない。一人からでも運行中。

「語り部シンポジウム」
  阪神淡路大震災の被災者から、5年目から心の問題が大きくなったとアドバイスを。





翌日。午後から年回法要の予定があったため
日の出前の午前6時。ホテルを後にして一路東京に戻りました。
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★東日本大震災から4年の石巻・北上へ

2015年03月19日 | 震災ボランティア
東日本大震災から4年が経ちましたが、
その約3週間ほど前の2月21日(土)~22日(日)の日程で
宮城県の石巻・北上へ行ってきました。

目的はこの4年間ずっとお付き合いをしていただいている
現地のお寺さんの檀信徒皆さんの合同法要へのお手伝いで、
その前後は現地の様子を見つつ、お参りをして巡りました。




●平成27年2月21日(土)


東京駅集合、くりこま高原駅からバスで移動。
南三陸さんさん商店街で昼食休憩。
軒を連ねる飲食店では「きらきら丼」という
海鮮づくしのどんぶりメニューが充実していました。




さんさん商店街を出発して南三陸防災庁舎をかすめ通りました。
後方ではかさ上げ工事が進められています。
これから太平洋岸に沿って、南下していきます。




白浜にある曹洞宗の寺院です。
震災直後の瓦礫が片付けられた状態で3年が経ち
プレハブの仮設本堂と慰霊塔から変化はありません。

この集落はそっくりそのまま高台移転が決まっており、
移転先が決まり宅地造成をしているそうなのですが、
お寺の敷地は造成してはもらえず、全額自己負担となるそうです。
集落の人たちがそのまま西蔵寺の檀家さんであるため
各家に費用負担を求めることは非常に難しい状況で、
お寺の復興は全く先が見えないようです。




石巻市役所北上総合支所の跡地に設けられた礼拝所です。
被災前の資料をみたところ木質感のある明るく近代的な建物だったようです。
2階建てで津波の避難所として指定を受けていたはずが、
今回の津波に対しては全く太刀打ちできなかった場所です。

http://miyagi.fukkou-tourism.com/ishinomaki/higai/
こちらのページの11番目に北上総合支所が掲載されています。




白浜のお寺さんの全檀家さん対象の合同法要です。
本堂がないため、地域の葬儀所を貸しきって法要を営みました。

今回も東京の2ヵ寺の梅花講の講員さんと同行しています。
私たち僧侶による読経と、講員さんたちによる詠讃歌の奉詠を行いました。
お檀家さんたちによる詠讃歌のお唱えに心揺さぶられます。




北上川の対岸に渡り、被災した大川小学校の旧校舎を訪れました。
昨年10月に大龍寺こころの旅で参拝をして以来です。
私たち以外にもお参りの方が絶えることがありませんでした。




石巻市街まであとわずか。女川町に来ました。
目の前に見えるのはかつての町立病院の高台です。
津波はこの高台のさらに1.8メートル上にまで達したそうです。




これは高台の建物の柱です。
震災当日の津波高さが記されています。




かつての市街地から建物は無くなり
ひっきりなしにダンプカーが往来していますが、
手を合わせる気持ちが離れる事はありません。

この日は石巻市内のホテルに宿泊しました。





●平成27年2月22日(日)


これまでであれば、早朝からボランティア活動に向かっているところを、
今回2日目は各地を巡拝しながら東京に帰るばかりです。

石巻は何度も訪れてはいるのに、石巻駅に行ってみたのは今回が初めて。




石巻市役所は仮面ライダーがお出迎え。
庁舎はもともと駅前百貨店だったそうで震災の1年前に役所となったとか。
以前は多くの自治体から視察に来られていたそうです。

http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010080701000512.html




市街地には豊川稲荷の分霊社も。

南無豊川だきに真天。おんしらばったにりうんそわか。

この後、地元の和尚さんの案内でバスにて石巻市街を巡りました。
4年が経ち、外来の私でも見ればわかる変化と、
地元の人に直接聞いてはじめてわかる目に見えない変化がありました。
多くの人たちの思いがグルグルと募る中での復興には、
明るい希望と同時に一足飛びにはいかない難しさも感じられました。






今回、一番の驚きはJR野蒜駅庁舎の変わりようです。
ずっと立入禁止で被災したままであったのですが、
今回行ってみた所、きれいに改装され半分は震災の展示室となり、
もう半分はコンビニエンスストアとして営業をしていました。



この後は、松島の瑞巌寺参拝、海上遊覧船で塩釜まで渡り、一路東京までの道のりとなりました。
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★大龍寺こころの旅(石巻・北上) その3

2014年11月29日 | 震災ボランティア
◆平成26年10月23日(木)

こころの旅も3日目最終日となりました。
初日、2日目と天候に恵まれませんでしたが、
この日になってようやく良い天気となりました。

山間部の一軒宿、追分温泉。湯屋の煙が朝日を浴びています。
出発間際に集合写真。震災以来、何度もお世話になってきました。
この玄関前で、何枚の写真を撮ったかわかりません。







前晩に演奏をして下さった渋谷さん。
3日目のお昼までは時間が取れるということで、ご同行下さいした。
渋谷さんの自家用車を私が運転し、渋谷さんにはバスに同乗していただきました。

写真は、にっこりサンパーク。
宗派のお坊さんたちと一緒に炊き出しにお邪魔し、
そして渋谷さんとのご縁もいただきました。





白浜の西蔵寺さんにて、読経供養。
般若心経読誦の後に、渋谷修治さんによるアメージンググレイス。

西蔵寺さまはお仕事の都合でご一緒できませんでしたが、
前晩にお聞きしたお話しを思い出し、そして現場を目の当たりに。





南三陸を間近にすると、モアイ像がお迎えをしてくれます。





こちらは南三陸さんさん商店街のモアイ像。





南三陸防災庁舎は取り壊しという議論もあるようでしたが、
今のところそのまま残されています。

ただ、周囲のかさ上げ工事は着実に進められています。
防災庁舎の背景にはかさ上げによる造成地がうかがえます。





以前から交流のある和尚さんが取り組んでいる
被災地での子ども養育支援活動の現場を訪問しました。

今回、私たちの檀信徒からたくさんの絵本を提供していただき、
子供たちのために贈呈をさせていただきました。







現地で行われている活動、日々の暮らし向きについてお話を聴きました。







今回のこころの旅、最後の行程は「一の蔵酒造」の工場見学。
一の蔵の菱形は、「4つの人」が組み合わされているそう。
なんでも、4つの酒蔵が合併して現在の一の蔵酒造がスタートしたことにちなむのだと。

お酒造りの工程を一通りおさらいし、最後は利き酒タイム。





古川駅にて新幹線に乗車し、一路東京へと向かいました。









「被災地に行くなんて不謹慎ではないか」
「せっかくの旅行だから楽しいところに行きたい」などなど…

こころの旅の企画を進めるに際して、様々な意見をいただきました。



震災から3年半を経て、東京での便利な生活に慣れてしまうと、
被災地での出来事、そこに暮らす人たちの苦労が薄らいでしまうかもしれません。
誰もが、自分たちの生活、様々な悲喜交々に忙しく過ごしています。



1000年に一度の災害と言われ、そしてその時代に生きた私たちが、
現場そのものを見ていなければ、後世に語り伝えることは出来ません。

その一歩は、まずは現地を見ること。
そして現地に暮らす人々の心を知ること。



今回の旅に参加した方からは口を揃えて言っていたことは、

「テレビで見るのと実際に見るのは全然違う」
「現地に行って見て様子がわかって良かった」
「震災はまだ終わっていないんですね」

という率直な感想ばかり。
企画時にいただいた様々な意見の一部は、
見ていない人特有の思考なのかもしれません。
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★大龍寺こころの旅(石巻・北上) その2

2014年11月29日 | 震災ボランティア
◆平成26年10月21日(火)

女川の朝は雨でした。
NHKの朝イチでは偶然「石巻&女川」特集!





そして旧女川町立病院の高台に立ち寄りました。
この高台はバスで上がるとバックで引き返すしかないので、
念のため崖下から歩いて高台に向かいました。

この高台は標高16メートル。
誰もがここまで津波が来るとはと思い避難していたところを、
17.8メートルの津波が襲い、病院の一階まで浸水したそうです。




海岸から山間部にかけてを見渡すと、津波の高さがうかがえます。
津波が来なかったある高さから上には民家が密集しています。





女川中心部からバスで一本道を南下します。
途中、瓦礫が撤去されただけの集落や、
海岸際の道路だけがかさ上げされた地域を通り抜け、
およそ40分ほどかけて到着したのが、
東北電力女川原発原子力PRセンター
震災発生時には、国家に関わる機密施設であるにもかかわらず
避難してきた住民を受け入れ、避難所としての役割を担っていたそうです。

こちらには、大学の時にお世話になった先輩が赴任中。
通常の業務とは異なり、私たちのために時間を割いて下さいました。
施設の説明と、震災発生時の現場の様子等をお話下さいました。









そして再び同じ道を引き返し、女川町の復興の大きな力となっている
笹かまぼこの高政へ立ち寄りました。

ここは工場が併設された店舗で、笹かまの製造ラインをガラス越しに見ることができます。
地元若者の雇用にも一役買っているとのことです。







そして、2日目の最後の訪問地は大川小学校でした。
これまであった慰霊碑とは異なり、石段で上がる大規模なものとなり、
犠牲となった子供たち全員の名前が刻まれています。
ここで全員揃って般若心経をお唱えし、犠牲者への追善とさせていただきました。

旧校舎は取り壊されること無く、そのままの状態で残されていました。








この日の宿泊先は、北上の山中にひっそり佇む追分温泉。

地元の和尚さんと再会を果たし、
また、拙寺の施食会にてギター演奏をしてくださったこともある
渋谷修治さんと追分温泉館主さんとのコラボ演奏をお聴きしました。

被害に遭った場所を目の当たりにし、縁ある人たちからお話をお聞きしました。
3年半の時を経て、ようやく他人に話すことができることもあるのだそうです。
人との縁を結ぶこと、手と手を携えて同じ思いを共有すること、
そういう基本的なことの大切さを、誰もが心に抱いた1日となりました。




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