東日本大震災から、5年となりました。
改めて、犠牲となった方の哀悼の意を表します。
また被災した方が身心健やかに、復興が一日も早くなされること、
いまだ行方不明となっている方が早く家族と再会できることをお祈り致します。
今年も宮城県石巻市(北上)まで行ってきました。
私たちグループはいつも早目に現地の法要に随喜しており、
今年は2月20日から1泊2日の日程にて。
同行メンバーは、震災直後からボランティアに携わってきた仲間と、
2ヵ寺の梅花講の講員さんたち。全員で30名ほど。
法要随喜が主であるため、新幹線とバスという交通手段です。
北上川の護岸工事も随分進みました。
毎年お世話になっている地元の葬儀ホール、観音樹さんです。
今年は主屋の隣に会食などでも使用できる小会場が建っていました。
今年も地元のお寺さんのお檀家さんが集まられました。
5年前に初めて、避難所・仮設住宅で会った方もいらっしゃいます。
当時は“地域の方”と思っていただけでしたが、
実はほとんどが同じお寺のお檀家さんという地域柄でした。
東京からは2ヵ寺のお寺さんの梅花講員さんも法要に。梅花の声に涙を誘われます。
法要後、一路、南三陸へと向かいます。
来る度に、復旧された道路が真っ直ぐに、フラットになっていきます。
南三陸防災庁舎を臨みます。
3階建ての建物のはずが、周囲のかさ上げ工事が進んでいるため、
これまでに無いほど小さいという印象です。
それだけかさ上げが高くまで達しているということです。
そして、今回の宿泊先「南三陸ホテル観洋」に到着。
こちらも震災発生時は津波にも襲われ一部水没したホテルです。
今回は、私たちが慰霊法要に随喜したものであることもあって、
女将さんから被災当時の体験談をお聞きしました。
《体験談メモ》
※緊急避難の様子。
高血圧・糖尿病の人のための薬がなかった。
観洋は寝泊まりするところがあり、食糧が確保されていたため、
直後に来た警察が言うには「最強の施設」と。
ただ、薬が十分ではなかったため、必要な人は備蓄のある施設ヘ移動した。
宿泊者は自宅へ。
従業員は車で数時間の地域でも、徒歩で帰るしかなかった。
帰すべきか、とどまらせるべきかの葛藤の中で見送った。
※生きる人の苦悩からのスタート。
電気、水が無い。
一杯の水が無いが、食・住に恵まれた旅館の特色。
ホテルは先代が創業した。元々は水産加工。
眺めがいいところで地場の水産加工品を提供する旅館を志す。
岩盤が良い所を立地としたことで、今回の避難所となった。
人口流出が続いている。2度3度と来てくれる人はまれ。
南三陸町7割が廃業し、仮設住宅を出られた人は4割。
店はないけど、納品します!という取引業者さん。裾野が広い旅館業。
被災者、復興支援の派遣者の受け入れ。
子育て世帯、会社経営者を優先して受け入れた。⇒復興の原動力となる人材。
水が無い。節水意識、約束。
自死防止にも留意しなくてはならなかった。⇒イベント開催
※勉強場所がない子どもたち。
ホテル内でてらこや活動を立ち上げ、教員ではなく大学生が指導にあたった。
ソロバン教室は57名が今でも通学中。昨年2名が全国大会ベスト4。大人の希望の力。
津波てんでんこ。自分の命は自分の判断で守っていく。
小1の甥は無事。
ホテル従業員は自分で考えて生きた。
マニュアル通りで亡くなった事業者もいる。
未曾有には規定通りではいかないのかもしれない。
※取り組み
「南三陸てんぽまっぷ」
観光客のためと思っていたが、地元の人たちのためにもなった。おもてなし表彰。
「語り部バス」
毎朝運行中。おもてなし特別賞。
初めて来た人は、被災前の状況がわからない。一人からでも運行中。
「語り部シンポジウム」
阪神淡路大震災の被災者から、5年目から心の問題が大きくなったとアドバイスを。
翌日。午後から年回法要の予定があったため
日の出前の午前6時。ホテルを後にして一路東京に戻りました。