私たち2人は、半年後の予約をお土産にして病棟を出た。
右手に迫る山の稜線に夕陽はしずみ、病院一帯は薄暗くなっていた。
ところが左手に広がる太平洋は眩しく輝いていた。
海の上には夏の名残り惜しむかのような大きな雲。
その雲が夕陽を照り返して、日暮れの海を薄茜色に染めていたのだ。
彼女は長い間、難病を抱えながら生きてきた。
数年前には一緒に暮らしていた家族を皆見送り、
「私が一家の最後です。これからは、両親の供養をしながら、
自分が亡くなった後のお墓のことなど、きちんとしておきたい」
という希望を伝えてくれていた。
そんな彼女に、長年の難病に加えて難しい癌が見つかった。
2度の手術では成功し回復が期待されたが、しばらくして転移が見つかった。
家族がいないので、医師からの説明には、菩提寺の住職として付き添った。
先生は癌の病状と手術の経緯、現在の状況をなど、よどむことなく説明をしてくれた。
そして最後に、彼女の命には限りがあり、それが差し迫っているということも告げてくれた。
それからの彼女は、精力的だった。
「“命ある限り”と悠長に構えてはいられない。
“身体の動くうちに”しなければならないことがたくさんある!」
と、悲嘆にくれる一日さえ惜しみ、すぐに歩みはじめた。
まずは、かれこれ17年に渡って難病を診てくれていた主治医がいて、
人生最後になるであろう診察を兼ねて、お礼とお別れをしに行くのだと。
半年に一回の診察予約が迫っていたのは何かの巡り合わせだと思えた。
その病院は日常的に通えるような距離ではなかったけれど、
これまでずっと、新幹線に乗って一人で通院をしてきたそうだ。
ただ今回は、癌の病状もあるので車で連れて行くことになった。
病院の具体的な場所を確認すると、東京からは2時間ほど、
目の前に海が広がる温泉地に病院はある、とのことだった。
診察当日は、小さな心配が現実のものとなってしまった。
ひとりでは新幹線に乗れないような痛みに、朝から襲われていたのだ。
出発前に、麻薬が含まれているという痛み止めの薬を飲み、
車中では目を瞑ったり、喋ったりが繰り返され、病院に着いた。
診察を終えて「もうこれでこの病院にも来ることもないわ…」
と17年間を思い出して感慨深げに会計を待っていると、
主治医とはまた別に17年間、彼女の担当だった事務職の女性が追いかけてきた。
「次の予約を入れましょう!」
今日が最後だと思っていた彼女は返す言葉に困っていたが、
女性は「住職さん。次の予約、入れていいですよね?」と私に同意を求めてきた。
病院の玄関を出たら、輝く海に目を奪われた。帰ることを忘れそうなほどだった。
しばらくして「春になったらまた来ましょう」と言って帰路に就いた。
途中、晩ご飯でいただいたおそばを、彼女は半分ほど残ってしまったが、
「美味しい、美味しい」と言ってとても喜んでいた。
彼女の体調は翌日になっても快復せず、入院することになった。
★何よりのお薬 《看取りの話2》