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書籍-生方良雄著「箱根登山鉄道125年のあゆみ」

今回は書籍の紹介です。

JTBキャンブックス
「箱根登山鉄道125年のあゆみ」生方良雄著 2013年10月発行・定価1890円

キャンブックスの10月発売の新刊。私の家からほど近い場所にある「箱根登山鉄道」に関する1冊です。
箱根登山鉄道といえば、小田原・箱根湯本から強羅を結ぶ登山鉄道であり、温泉地箱根の観光鉄道として観光客に人気の鉄道。鉄道ファンには1000分の80という急勾配・半径30メートルの急曲線を走る、有数の山岳鉄道としても有名です。



38~67ページの第1章軌道編では、小田原~湯本~強羅間の「箱根登山電車」の開業前。
前身となる、東海道線国府津から小田原アクセスの為(当時の東海道線は御殿場線ルートであり国府津から小田原方面は未開業)に敷設された小田原馬車鉄道、その後の小田原電気鉄道についても解説されています。

登山電車の小田原直通以降も小田原~板橋間で昭和31年まで運行された路面電車の小田原市内線についても詳述されているのは興味深いです。
「小田原に路面電車があった」という話自体は見聞きすることはありますが、どのような車両がどういう運行形態で走っていたか。ということに関しては、まとめられている書物を見たこともなく、まれに鉄道書等で写真を見る程度・・。
でしたが、本書ではその辺りも時代ごとに解説されていて貴重かなと思います。

第2章鉄道編で「ザ・箱根登山鉄道」ともいえる、(小田原~)箱根湯本~強羅間の登山電車の誕生前から敷設工事、開通当初から現在までの歴代の車両解説が解説されています。
その中で大正12年に関東大震災では甚大な被害を受けたことも紹介されています。

ちなみに113ページ~123ページには小田原~箱根湯本間の小田急線乗り入れに関して前史から現在までの動きが解説されています。前史では大東急時代に五島慶太が将来計画で小田原線の湯本乗り入れ計画を掲げていたというちょっと驚きな話も。
昭和28年4月21日改正の新宿~箱根湯本間のダイヤ(部分)が掲載されているのも興味深いです。



大正6年11月5日改正ダイヤ(国府津~湯本間)
東京~国府津間の東海道線も併記されているのが特徴?当時は国府津~小田原・小田原~湯本それぞれ所要30分程度での運転だったよう。

今でこそ箱根登山鉄道は小田急箱根ホールディングスの傘下。小田急の完全子会社ですが、歴史としては昭和になってから開業した小田急よりもずっと古い存在。

京都・名古屋・川崎(現京急)についで全国で4番目に(電気で走る)電車が走ったのが、この小田原電気鉄道だったという先進性には驚くものです。今のパッとしない小田原の行政その他、歴史や小田急の努力に胡坐をかくことなくもっと頑張って欲しいですね。



さて本書の発売に関連してか??横浜・みなとみらいの原鉄道模型博物館で、9月21日~11月4日に「原信太郎と箱根登山鉄道」の特別展が開催されました。(特別展は撮影可能)



原鉄道博物館所蔵(原信太郎作)のチキ1型2号の模型。
チキ1型は大正8年の湯本~強羅間の登山区間の開業時に投入された形式。本書中では92ページに同車の昭和15年の2扉改造後の写真が掲載されています。
チキ1型は新造時、湯本から市内線経由で小田原直通を想定していたそう。正面中央に小さな方向幕が設置されているのは、当時の路面電車は法規制により方向幕設置が義務付けられていた為で、市内線直通を断念した後に投入されたチキ2型では方向幕が設置されていないそう。
この辺りのエピソードに関しては本書87ページのコラム「市内線直通が実現しなかった理由」で取り上げられています。



こちらはチキ2型8号の原信太郎作の模型。
チキ1型は屋根上に水槽が載っていたのが、チキ2型では屋根上が抵抗器になっているのが特徴?



出山信号所で使われていた信号・ポイントの操作盤。現在では遠隔操作化されているので不使用。
博物館の先生の話では「ダブルクロスにすれば全てスプリングポイントでOKなものの、そうではなく片渡りX2で組んでいるのは、線路間隔が狭くダブルクロスは挿入できないからだそう」です。

参考・本ブログの2009年5月7日の記事
http://yaplog.jp/kiyop/archive/1169

右奥のレール状のものは、チキ2型で使用されたカーボランダムブレーキの部品(1881年)
非常用ブレーキの一つでこの棒を圧搾空気でレールに押し付けて停車させる登山電車独自のもの。


一般に鉄道会社を取り上げた鉄道書では車両解説が大半になりますが、この本では車両解説以外だけでなく、成立前の敷設計画からの歴史にも多くのページ数を割き解説されています。
箱根登山鉄道に関して成立から現在までの流れを掴むにはいい1冊となっていると思います。値段は1890円と高めですが、読むところも多く価値があるかと・・・。

過去の貴重な写真や図版も多く使われている反面、近年の写真は少なめで、今は無きロマンスカー各形式の登山線区間内での写真や小田急6両通勤車の湯本直通時代の写真などはありません。
この辺りは少々残念な部分もありますが、小田急車両や現役で活躍している登山車両に関してはまた別途詳説されている書物があれば・・・と思います。


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2013/10/22 3:24(JST)

コメント一覧

八草きよぴ
小田原市内線に関しては今まであまり詳しい資料が無かったので、その部分の記述だけでも十分貴重なものだと思います。普通、箱根登山鉄道というとやはり登山電車の方が主体になってしまうので。
元小田原市内線の車両が長崎で残っているようなので見てみたいものですが、どうも普段は運用に出ていないようですね。

大正末期から昭和初めごろは、震災での被災に加え宮ノ下での暴走事故などのもあって経営がかなり苦しい時期もあったみたいですね。

箱根登山線は強羅までも含めて何回も乗ったことがありますが、1日券か旧街道1号線パスを買ってまた改めて乗って半径30mカーブなど観察してみたいなと思います。
足柄のカメ
生方良雄氏の箱根登山鉄道125年のあゆみを近所のツタヤで買いましたよ。
国府津~箱根板橋の路面電車などそういえば板橋まで国道1号線の道幅広いのは
路面電車の面影かとなるほどとか思いましたね。
強羅~※湯本を走る箱根登山電車以外と詳しくないんで勉強になりました。
昔は強羅~小田原でしたが数年前風祭車庫~小田原間の線路登山電車のレール剥がしましたね。
登山電車1435mmと小田急の1067mmを走らせる為の3本レールは
車体の大きさの違いやホームとの接触の問題で電車とホームとの隙間が広く
お客さんに乗降の不便をかけたり架線のメンテナンスが大変ですからね。

小田急(当時は小田原急行鉄道)は開通1927年昭和2年ですが
箱根登山電車は1919年大正8年開業と先輩なんですね。

戦後小田急電鉄の傘下になってある意味ラッキーでしたね、小田急のバックアップで
安心して乗れると言う感じなんで。。。。
地方鉄道は経営が脆弱で国や地方自治体のバックアップがないと
安全に急勾配の鉄道は運営は出来ないですからね。
以前福井県の京福電鉄の事故は確か急勾配の下り坂でブレーキ故障で
死亡事故で永平寺線廃線になり、残りの路線はえちぜん鉄道で第三セクター化
なんてこともありましたし。。。。
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