60歳、還暦、定年を迎えてもしつこく会社に通うおっさんのブログ(旧:風に吹かれて)

60歳定年を迎えても我慢して会社に通う(働いているとは言ってない)おっさんの右往左往、沈思黙考する毎日。

2025/1/1謹賀新年

2025年01月01日 23時59分59秒 | 日記

あけましておめでとうございます。

 

年末から忙しい・・・・1日は忙しい・・・・2日の午後になったら少し余裕が出るか・・・・早く、「2025年にやりたい100のこと」をジブン手帳やらメモ帳やらAmazonで買ったモレスキンもどきに書いたり、「男はつらいよ」ほか録り貯めた映画を観たり、年末年始のテレビも観たいのだが。

HDDレコーダーの容量確保のために古かったりリアルタイムで観たり明らかに今後観ないことがあきらかな番組を消すときに誤って紅白歌合戦まで消してしまった。残念。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/30 コミックマーケット105へ行ってきた。

2024年12月30日 16時00分00秒 | 日記

コミケことコミックマーケットに行ってきた。

詳しくは後日。

 

さて、後日に書くことはできるでしょうか・・・・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/27 年内最終日

2024年12月27日 20時00分00秒 | 日記

多くの会社同様、弊社も27日金曜日が年内最後の営業日だったのだが、この日が「有休推奨日」で、前日26日に全社挙げての納会があるので、会社に行ったところで殆ど出勤しておらず、私のフロアも3人だけ。

なのに、バタバタと忙しく立ち回る。

諸般の事情で20時過ぎまで勤務して、淡々と帰る。

帰りの電車も空いていた。しかし外国人旅行者は場所と時間を選ばずどこにでも出没している・・・・・・

 

嗚呼、年賀状書かないと。30日は競輪グランプリとコミックマーケットだ。。

コミケの入場バンドは、2日目午後しか買えなかった・・・・まぁいいや。

 

普段使っている、日記帳代わりのノートが25日で終わってしまった。来年は、高橋書店の薄い日記帳を買ったので、こんな年末に新しいノートをおろすのもどうかと思うが、しかし書きたいことは色々ある。まぁやってみよう。明らかに日記帳とわかるものに大事な話しは書けない(笑)ので、どうしようかな。

 

それにつけても金の欲しさよ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/22 クリスマス礼拝

2024年12月22日 23時38分07秒 | 日記

今度の色はグレープ、のはずなんだがちゃんと出てるかなぁ。

 

クリスマスなので、教会のクリスマス礼拝へ。

本当はもうちょっと頻繁に行くべきなんだろうが、洗礼受けているわけでもないし。とはいえ日曜午前中は暇なんだが、「安住紳一郎の日曜天国」も聴かなければならないし。

幼稚園の時に祖母に連れられて行った教会で、祖母のことを知っている人がまだ通っている。ありがたいことである。

教会には、せめてクリスマスとイースターくらいは行かなければ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/20  第19回マムちゃん寄席へ

2024年12月20日 18時00分00秒 | 日記

※下記の日記、実は(ってどうでもいい)こことは別の日記サイトで書いていた。

ところが何故か「書き込み」ボタンを押すとエラーになってしまう。仕方ないのでテキストで保管しておいた文章をこちらに転載。積極的に公開したいわけではないが、書いたものは誰かの目に留まってほしいというのは矛盾しているな。

自分が死んで残るものは、高級腕時計と安物万年筆と、書き残したものだけど、身内はいないので読まれないし、どこかの誰かが読んで、何か思ってもらえばいいということなのだろうか。

そんなわけで、ただ今12月24日午前10時に転載作業をしています・・・・・・

------------------------------------------------------------------

 

実は今日は12/23 で午後の5時22分あたりなのだが、珍しく真面目に仕事をしたら疲れた。そして、思ったよりも仕事の進みが遅い。結局今日やったことといえば、封筒を170枚倉庫から出して配る、郵便物を仕分けする、備品(と当社では呼んでいるところの消耗品というか要は文房具)の発注をアスクルとたのめーるに行なう、とそんなもんだ。今日の日報を書いていても、自分で「え、こんだけしか仕事してないの、そもそもこんなアスクルへの発注なんか仕事なの?」と思うけど仕事なんだろうな。

さてそんなこととはまったく関係なく。
20日は、まず病院。30分遅くなると到着が1時間遅れる。
10時45分の予約なのに到着したのは11時30分。診察は・・・10分くらいかな。
ところがクスリをもらうのにやたら時間がかかる。なんでこんなに待つのだろう、と思ったが、この病院内の薬局は、正午から13時まで休憩なのだ。待ちくたびれた。

今日はここから横浜までいかなければならないのだが、駅までのバスが来ない。そしてバスは遅い。そして横浜は遠い。
「2時には着くよ」なんて安請け合いしていたら、着いたのは15時40分だった。そこから待ち合わせ場所へ。そして懸案の、台湾への荷物をどうにか発送する。

しかしここでのんびりしている時間はない。
ここから慌てて銀座中央会館ブロッサムへ。
今日は「第19回マムちゃん寄席」なのだ。

林屋二楽の紙切りから。

大きくなった山上兄弟の奇術。

三遊亭わん丈の落語。わん丈を聴くのは初めてかな。面白かった。さすが円丈の弟子。演題は「紙入れ」

そしてナイツの漫才。毎週土曜日朝9時からTBSラジオで番組を持っているだけに、ラジオネタ満載。リスナーなら大爆笑のネタもあり、いやぁ面白かった。

翌日の放送で、「このネタやってて一番受けた」と言ってたから、やっぱり大爆笑だったんだな。

マムちゃん寄席の目玉は、席亭 毒蝮三太夫による対談で、今回は玉袋筋太郎。

司会というか介護役は、来年1月に小倉弘子アナが退社するとTBSの女子アナ最年長になる外山恵理アナ。グレーのジャンパースカート(でいいのか?)に白いニットがステキで、この人は若いころよりも今の方がずっといい気がする。永六輔さんに鍛えられたんだろうなぁ。

対談というよりも鼎談の様相を呈して話しは進む。貴重なお話しばかりで聞き流すのはもったいないが表には出せない話しばかり。

まむしさんから散々言われていたタブレット純の歌と物真似。なんと大沢悠里氏の物真似を本人の目の前でやるという大胆不敵さ。そのほかにもTBSラジオゆかりの方々の物真似と実は元歌手の技量での歌と、この人も面白かった。

トリは一之輔。笑点ですっかりおなじみになったが、以前「たまむすび」で「まくらだけ話します」というコーナーを持っていた。

口開けが「こんばんは、臼井ミトンです」でつかみ、この日は「うどん屋」を口演。

毒蝮三太夫氏は今年88歳、来年は89歳、アタマは全然衰えておらず、機転の利き方、喋りその他など感嘆するばかりなのだが、さすがに足腰は弱ってきているようで、外山アナが支えて歩いていた。

告知自体がTBSラジオ内で2、3回ほどで、チケットもローチケのみでの扱いなのに、発売当日の夕方に申し込んだからすでに2階席だった。今年3月の前回も2階席だったので、次は1階席がとれますように。

----------------------------------------------------------------

という、12/20のネタを23日に書いて、アップするのが24日という。

そんなわけで「投稿日時」は20日の18時にしました。どうでもいいか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/18 もうこの会社にいることもそんなに長いことはないので。

2024年12月18日 17時31分59秒 | 日記

今日、会社に来たバイク便のヒトは白髪で、顔を見た限りそこそこお年がいっている感じだった。50代以上だろう。もしかしたら60代かもしれない。

まぁ幾つだか知らないが、この寒空、バイク便の仕事が好きならばいいが、若い者が多いこの仕事、大変だなぁと思う。

かつて作家・原作者の関川夏央のエッセイで、「求人情報誌を見ていても自分ができそうなのはかつて乗っていたオートバイを使ったバイク便くらい」ということを書いていた。

 

そんなこととはあまり関係なく。

 

今日も会社で仕事していて考えた。

この先、長くとも65歳で雇用は終了する。もしかしたらそれよりも早く打ち切りになる可能性はある。何しろ「お前は仕事ができないから平社員の一番上から降格ね」と定年3年前に言われた前歴がある。

たとえ給料4割減、15%は職安から支給だとしても、そんな不良社員を定年過ぎても雇用しておかなければならない義理は、まぁ法律的にはあるが、経営的にはないので、毎年の契約更新の際にクビにならないまでも、いやみの一つや二つや三つや四つは言われても仕方ないのかもしれない。

で、ですね、もうくびになるというケツは決まっているし、給料も4割減、6割支給、1割五分は職安から支給というのは変わらず、一生懸命仕事をしようが、遊んでいようが、偉くなるはずもないので、あとはもう遊びながら会社に通おうかなと。

会社の後輩たちも、社内では話しているけれど、どうせ俺が会社を辞めたらもう一生会わないのだ。だとしたら、せめて会社にいる間は楽しく、表面上だけでも仲良くやろうかと思う。

 

何しろ、会社を一歩離れたら、20代30代の若い女性と会話するためには専門のお店に行って1時間数千円~を払わなければならないのだ。それを無料で、さらには多少の給料をもらえるのだから。

向こうにしてみれば、60歳なんて「お父さんよりも年上」なのだから、不埒なことは考えない。当たり前である。ネットなどによれば、独身の大多数の男は30歳年下の女性とどうにかなるかも、なんて考えたり、結婚相談所に「本人55歳、女性の希望年齢は25歳~38歳、僕のために子供を産んでくれて共働きしてくれる人」なんて書くらしいが、結婚している男性からみれば「自分のこどもくらいの年齢と結婚しようとしている」と思われる。

独身で、年齢にふさわしい人生経験がないから、そういう風に考えてしまうのだろうなぁ。

会社にいる女性社員たちは、あなた(自分)のことは、ただの先輩社員、もう定年のおっさん、たまたま同じ職場でしごとをしているだけ、くらいにしか思っていませんよ、オフィスラブなんて夢のまた夢。

 

・・・閑話休題。

とにかく、そんなこんなで、真面目に、一生懸命にやることは人間として大事かもしれないけど、定年になったってことは長かった職業人生も一つのピリオドを迎えたということなのだ。ここまでに偉くなれなかったヤツはもう偉くなることはないし、経営の根幹を担う可能性もない。

淡々、粛々と働くか、会社を去ること、去ったあとの身の振り方などを考えることに重点を置くべきなんだろうなぁ。

 

それにしてもこの会社のパソコン、数万円の安物なのに、自宅で使っている30数万円のものよりも打ちやすく、アイデアが次々沸いてくる。なんでだろうな。

 

・・・明日はまた在宅勤務。少しは真面目に働こう・・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/17 缶しるこ礼賛。

2024年12月17日 23時59分59秒 | 日記

缶しるこが好きである。中学生のときの家庭教師(♂)の同居人(♂)が飲んでいるのを見たのが初めてだった。

「世の中には変わった缶飲料があるんだなぁ」と思った。

それ以来数十年、全然気にしていなかったのだが、50歳くらいになってからか、時々は缶しるこを飲むようになった。ストレスの影響だろうか。

 

アサヒ飲料、伊藤園、ダイドー、井村屋とあるようだが、ダイドーは近くの自販機からはなくなった。井村屋はあんまり見ない。

 

私の回りでは、アサヒ飲料の自販機が多いかな。

たまに地下鉄内の自販機でみたりするが、160円。ずいぶんと高くなった。

しかし、町中にいくと、価格はそれぞれ。

人通りが多くて目につきやすいところは150円や140円。

裏道では、100円、110円。

というわけで、安い自販機を探しては覚えて、会社帰りにグイッと開けて気合入れ直して帰るのであった。

 

缶しるこの空き缶を収拾して保管している人もいる。全国銭湯巡りというか銭湯のことになると必ず出てくる町田忍氏である。

この人、キャラメルの包装を時系列順にとっているとか、要は「なんでそんなもん集めて長年保管しているんだ」という人だが、こんなものでも長年かつ大量に保管しておくと民俗学的にも意味が出てくるのだろう。

しかし・・・死んだ後どうするのかね。家族にとってはただのゴミとしか思えないだろうし・・・・・・まぁ死んだら人間はゴミになるという人もいるが・・・・・・

 

そんなわけで今日は小豆色で。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/13 13日の金曜日に勤務先のOB達に会う

2024年12月13日 20時59分59秒 | 日記

今回はたいした話しではないです。

会社の先輩で近所の別会社に勤めているAさんから、宴会のお誘いをいただく。

3年くらい前に65歳の任期満了で退社したBさん、今年11月に65歳になって退社したCさんと呑むからお前も恋、いや来い、とのこと。

勤務終了後、錦糸町の繁華街へ急ぐ。すでに宴たけなわ。

なんだか話しがあっちこっちへ飛び、深まらないまま2時間が過ぎる。年末だからね、店から追い出され、二次会などないまま解散。そもそもこの4人、趣味が飲酒、という一人を除いては、みんなあんまり酒好きではなかった。

 

首謀者も来年6月で任期が切れて退任するとか。

今後の身の振り方の参考になるようなならないような宴であった。

 

やっぱり大事なのは健康だなぁ。

先日在職のまま60歳で亡くなったD女史、68歳で亡くなったと業界内の伝言で伝わってきたE(呼び捨て)の例をひいても、健康が第一。二番目は、俺にはもう縁がないが家族。配偶者、パートナー、子孫。三番目が金かな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/12 今日は小津安二郎監督の誕生日(1903)で命日(1963)

2024年12月13日 08時30分45秒 | 日記

独自の美意識とローアングルで知られる小津安二郎監督は生まれた日に亡くなったのだそうだ。これもまた監督自身の美意識の現れなのか。60歳丁度で亡くなったという事になる。

で、ですね、わたしも先日還暦を迎えたばっかりなんだけど、ということは小津監督が生きなかった60歳以降を生きているということなのだ。感慨深いというか驚くというか。

年齢のことでいうと、先日、バンダイナムコの社長だった石川祝男氏が亡くなった。享年69。

で、ナムコの創業者兼代表取締役会長兼社長(長いな)だった中村雅哉(呼び捨て)は、91まで生きた。

この違いはなんだろう?と考えてみたんだけど、雇われで死ぬほど働いて社長になった人と、起業して商売始めてたまたまうまくいったような人の違いなのかなぁと思う。中村は大田区に大邸宅構えているし、莫大な個人資産、会社株式を巧みに節税して親族に相続させた。

「金持ち父さん、貧乏父さん」を地で行くような話しだ。

閑話休題(そんなことはさておき)。

今年も北海道にある写真工房のカレンダーを買う。ここのカレンダーはその名の通り写真がキレイで、数年前に「世界一美しい街を散歩する」を知って買ってから毎年買っている。今年は「憧れのヨーロッパ」にした。

 

年末も押し迫ってきた。職場は忘年会をやるほど仲が良くないので、会社の補助を使ってランチを一緒に食べて忘年会としている。

 

それだけで終わるつもりだったが、OBからお声がかかり、一件だけ忘年会に呼ばれた。こういうご縁は大切にしよう・・・・・・

睡眠不足が続いている話しはまた今度改めて。

それにしても、60歳を過ぎてから急速にタッチタイピングの能力と効率と正確性が格段に落ちた。老化なのか、厄年の報いか。

 

今日は当番で早出したので、誰もいないところでのんびりとこのブログを書いているが、こんなことを書きたいはずではなかったはずなのだ・・・・・記憶力と記憶保持能力が落ちているのか。

 

ネタ帳作るかな・・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/10 ブックサンタ三たび(今回は丸の内丸善)

2024年12月10日 21時00分00秒 | 日記

ブックサンタをやりに丸の内丸善まで行ってくる。

地元の書店ではどうしても在庫が限られる(丸善でもそうだけど)ので、仕事帰りに大きな本屋で、手薄だと言われる小学校高学年向きの本を選ぶ。今回は4冊。

レジでよっこいしょ、と本を出し、「ブックサンタでお願いします」というと、店員さんの態度がちょっと違う(気がする)。

支払いを終えると、「ありがとうございます」と共にブックサンタのシールとパンフレットを渡される。

 

この本たちが、近いうち、どこかのこどもの手元に届き、喜んでくれますように。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/10 小倉智昭先輩亡くなる

2024年12月10日 09時00分28秒 | 日記

小倉智昭氏が亡くなったというニュースが流れた。

小倉さんは、秋田から東京に引っ越してきたときに入学した中学校が、私の卒業した中学校で、いってみれば大先輩に当たる。もちろん面識はない。

 

数年前だかに小倉さんの生い立ちを読んだかなにかで中学の先輩だと知った。

もう10年も前になろうかと思うが、所沢の国立職業リハビリテーションセンターで行なわれた何かの学会での講演で、氏の吃音についての話しが聴けた。実はワタシも吃音持ちで、喋りだすときに苦労しているのだが、吃音持ちでアナウンサーになった小倉さんはどうやって克服したのか、という話しを期待していたのだが実は全然克服されていなくって、テレビに出ていないところでは未だに頻繁にどもりが出るのだそうだ。

それで安心したとかいうわけではないけれど、その講演では苦労話も聴けて、ココロ晴れやかに帰宅したような覚えが

 

私の卒業した中学校は、ほかに浅野ゆう子、藤田朋子、滝沢カレンが卒業しているらしい。同級生たちとはいまやもう全然接点はなく、会うこともきっとないと思う。

小倉さんは、当時の仕事のためのほか、仕事をリタイアしたあとの楽しみとしてもCDやDVDを大量に保有し、自宅にリスニングルームやスクリーンを備えつけ、楽しみにしていたようだが、膀胱がんをわずらい、予定が狂ってしまった。

どこかの新聞だかに、「年取ったら映画や音楽や海外旅行を楽しみにしていたが、眼は衰えて観るものは楽しめず、海外旅行する体力もなくなった、こういうものは後のお楽しみにとっておかず、できるときにやらなければダメだ」という話しを語っていて、沢山の人がうなずいたと聞く。

 

ほんとう、その通りだよ、俺だって60になったとたんに体中がガタガタガタッとがたが来て、足腰急に弱りだしてスクワットもできなくなる、物忘れが激しくなってきて特に固有名詞、有名人友人問わず人の名前がぱたっと出てこなくなる。有村架純もえーとなんだっけ、あ、牧瀬里穂も出てこなくなる。テレビに映るタレントの殆どの名前が出てこないし、契約延長で勤めている会社の女性社員の名前もどんどん忘れる。あぁこうやってぼけていくんだなぁと思う。

折角なのでついでに言うと、まさか60歳と8カ月で使い物にならなくなるとは思わなかった。週刊現代だか週刊ポストだかが「死ぬまで○○○!」なんて特集を頻繁に組んでいたから、65過ぎても70過ぎてもそういうことは当然できるものだと思っていたよ・・・・・・

まぁ、余計な感情に左右されなくなったことはよいことだ、と肯定的に考えることにしているが・・・・・・

 

だ・か・ら、楽しみは後にとっておかずにできることはやっておかないとだめなんだよ・・・・・・ということを小倉先輩の闘病から教わりました。

 

あらためて小倉先輩のご冥福をお祈りします。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/12/6 古舘伊知郎「トーキングブルース」at EX THEATER ROPPONGI

2024年12月06日 19時00分04秒 | 日記

古舘伊知郎トーキングブルースを見てきた。

見てきた、というのが適切かどうか。2時間半ひたすら喋り倒しているのだから聞いてきた、または聴いてきた、というべきか。

落語は口演と言ったりするから、これもまぁ口演ということになるか。

落語は(たいていは)座って喋る芸、古舘伊知郎は立ってはいるが「スタンダップコメディ」ともまた違う。

 

話はあちらこちらに飛ぶ。必死でついていく。あっと言う間、といいたいが、この会場の椅子は移動できるようになっている仮設の椅子なので、ケツの痛さを必死で我慢して、ADHDの私としては意識があっちこっちそっちに飛ぶのを必死で元に戻して聞く。

 

今年70歳だそうだ。

「俺なんかどうせ68歳で死ぬんだし(未婚独身者の平均寿命は68歳だそうだ)」とうそぶいていたが、考えを改めよう。70になっても足腰しっかりしてぼけずに暮らしていけるように考えよう。

 

それにしても12月の金曜夜の六本木は華やかで、自分とはまったく無縁の人たちが笑いさんざめいていた。みんな幸せそうでいいなぁ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/11/27 風邪を、ひきました。

2024年11月27日 16時26分34秒 | 日記

久々にひどい風邪を引きました。

移したヒトはわかっています。

まぁそりゃあね、移りますよ。

しかし、39.3℃の熱が出るとは思わなかった。

この歳になると風邪を引くのも命懸け、というか、風邪を引くたびに体力が削られ、寿命が短くなっていくような気がする。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/11/2 会社の先輩が亡くなった。

2024年11月02日 15時29分20秒 | 日記

 

先日、弊社の先輩社員が在職中のまま亡くなった。
先輩とは言っても、入社は私よりも3年くらい早いようだが同い年だったようで、享年60。学年まではわからないが、同じか、もしかしたら向こうが下だったのかもしれない。

コロナ禍以降、弊社でも在宅勤務が当たり前になり、最後に姿を見たのは2カ月くらい前だったような気がする。会社前をゆっくりと歩いていて、「あれ、この人、こんなにゆっくり歩く人だったっけ?おかしいな」とは思ったが、そんなに仲がよいわけでもなかったので、話しかけるのもはばかられ、結局その日のその姿が最後となってしまった。

社員の家族ならともかく、社員本人が亡くなったというのに、「家族葬で」との遺族のご意向もあって、葬儀に参列した社員はごくわずかだったようだが、それにしても学卒後に入社して38年(多分)勤めた方の最後のお別れとしては淋しいものだった。昔の映画ではないが、「人情紙風船」とはこのことかと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024/10/31 カレンダーを買う。

2024年11月01日 03時00分54秒 | 日記


今年も壁掛け用のカレンダーを買うつもり。といいつつ実はまだ買っていない。
ここ5年くらい、札幌の写真工房制作のカレンダーを使っている。

12月になって社内各部署を回れば色々と手に入るが、もらいものをアテにするのも貧乏くさいかな、と思い、気に入ったものを買ってみようと思うようになった。
外国の風景で写真がキレイなものを丸の内の丸善で色々見比べてみて、山と渓谷社など色々あるうち、写真工房の「世界一美しい街を散歩する」を買うことにした。
写真はキレイだし、行ったことのないところばかり。いつか行きたいな、と思いつつ当然果たせていない。
年が改まっても捨てるのがもったいなく、今までの分は全部とってある。

コロナ禍以降なのか、丸の内丸善ではカレンダーの販売を止めてしまったので、池袋東武の伊東屋まで買いに行ったりもしてみたが、だんだん面倒になってきて昨年はAmazonで買った。こういうことをしていると小売店舗の息の根を止めそうなのだが、自分の行動範囲になければやむを得ない。自分でも残念だと思う。

丸善では、長年ジブン手帳も買っていたが、体調不良で外出できなくなった年には、南信堂というところのネット販売に頼った。ここ、ほかにも文房具を沢山扱っており、万年筆も2割引なので、近いうちに、この11月に値上がりした、パイロットのキャップレス万年筆を買おうかと思っている。渋谷伊東屋で試し書きしたときにはなんとも思わなかったが、一本持っておきたい気になった。

閑話休題。
で、この「世界一美しい街を散歩する」カレンダー、戦争前のウクライナのマリウポリの風景の月があったりして気に入っているのだが、マンネリを恐れる自分の気持ちもあり、今年は同社の別のカレンダーにしてみようかなぁ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする