番楽特攻隊長(こっき)

富根のいろいろ!
感じるままに、楽しんで!

私が番楽を始めたのは・・・第2話。

2014-05-14 08:33:30 | 番楽
こっきです。

昨日に続きまして、第2話をお送りします。

1話でお伝えしたのは、きっかけになった出来事でした、今回はその後をお送りします。

夏の二週間程の練習は、アッという間に終わり、次に集まるのは11月の能代市民俗芸能発表会。
そんな年に二回の集まりしかない状態が3年ほど続きました、その間何度か、子供たちの後ろについて踊りを練習してみたりしましたが、練習期間があまりにも短く、とてもものになる状態ではありませんでした。

何もできないながらも、行っていたのは、その当時の区長さんに言われた一言がきっかけです、
それは、「酒ばし、飲んでだってだめだったで」の言葉でした、正直カッチンきました。
この言葉で私は「今は、何もできなくても、年よりしかいないんだから、必ず俺の時代が来ると」その様にとらえたのです。
今考えると、吾ながら凄い解釈をしたもんだ、と思っています。
しかし、この考え方が私を支えたのでした。

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そうして雑用をこなしてるうちに、徐々に師匠達にも存在を認知されていきました。
その頃、町内の役員として同級生でもあるタカヒトさんが入ってきました。
この方との再会がのちに新たな展開を生みます・・・。

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その後まもなくして、番楽に動きが出てきます。
ミツグさんが、保存会を町内会から離して単独にしたいというものでした。
師匠達は反対しました、しかしミツグさんは、「自分が会長としてやるから・・・」っと説き伏せて保存会が立ち上がることとなりました。
そこでまずは例会なるものを月に2回、第2、第3水曜日に集まって練習や話し合いを行うことを提案、これが新たなエネルギーを生むこととなります。

この会は、番楽についての各々の考え方などを話し合う場となりました、時には深夜まで及ぶこともしばしば・・・
マサヒデさんと、酒も入り、意見がぶつかることもありました。

私個人が、子供の頃に番楽をやっていないために、子供の頃からやっていたマサヒデさんとは、考え方が違うのは感じていました、目指すところは同じでもそこまで至るプロセスが違っていたんだと思います。

その当時のマサヒデさんの考えは、何とかして残していかななければいけないと必死でした、ブログや動画配信など・・一人で頑張っていたからです。
一方私はと言いますと、何もできないながらも、自分の考えは持っていました、私のポリシーは「楽しくなければやる意味がない」っというものでした。
それは番楽だけの話だはなく何事もなんですが、無償で自分の時間を削ってイベントやら、でるんで自分たちで楽しまないと続かないと思っているからです。
そこは、大分、マサヒデさんとはぶつかった記憶があります。

例会には様々な年代が集まります、80代~30代までの幅広い年代で意見を交換します、そうしているうちに化学反応でエネルギーが生まれてきます。
くすぶっていたものが燃え上がるまでには、そんなに時間のかかるものではありませんでした。

第2話は、ここまでとします
第3話は、このエネルギーが生んだ新たな動きをお送りします。


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