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『超空想ベースボール』など 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 5月 2日(金)04時53分58秒 返信・引用 編集済
主題歌、声優II
70年代アニソン四天王(水木一郎、佐々木功、子門真人、堀江美都子)が梶原、水島野球アニメでどういう歌を唱っているか。
梶原作品
「侍ジャイアンツ」唱;水木一郎(松本茂之名義)
「サムライ番場蛮」唱;水木一郎(〃)
「王者!侍ジャイアンツ」唱;子門真人
「行け行け飛雄馬」(「新巨人の星」)唱;佐々木功
「よみがえれ飛雄馬」(「新巨人の星」)唱;佐々木功
「心に汗を」(「新巨人の星II」)唱;水木一郎
子門真人は他の梶原作品でも「柔道讃歌」、「空手バカ一代」のOP主題歌を担当。
水木一郎は「タイガーマスク二世」の主題歌を担当。
水島作品
「野球狂の詩」スキャット;堀江美都子
「勇気のテーマ」唱;堀江美都子
「北の狼 南の虎」唱;水木一郎
「かあさんの灯」(「野球狂の詩」)唱;水木一郎
「栄光の彼方へ」(「野球狂の詩」)唱;水木一郎
「一球さん」唱;堀江美都子
「青春フィーバー(コンバット・マーチ)」(「ドカベン」)唱;コロムビアオールスターズ(水木一郎、佐々木功、堀江美都子、大杉久美子、かおりくみこ、こおろぎ'73)
梶原、水島野球アニメCD
超空想ベースボール
侍ジャイアンツ ミュージックファイル
水島新司の世界
「男どアホウ甲子園」の主題歌は「超空想ベースボール」というオムニバスCDで聴けます。
もともと、水木一郎の「心に汗を」('79年「新巨人の星II」OP)が目当てで買ったのですが、倉田まり子の歌('83年「真夏のランナー」)をCDで聴けたのは意外な収穫でした。「真夏のランナー」はあだち充「ナイン」の歌でした。
「真夏のランナー」というとマラソン選手を想い出しましたが、一応、野球選手も試合の中で「ランナー」になりますから、関係ないことはありません。
このCDでは、水島アニメ関連で言うと「ドカベン」、「男どアホウ甲子園」、「一球さん」、「野球狂の詩」の曲が入っています。
「野球狂の詩」は堀江美都子のOPのスキャット(♪「トゥトゥトゥ、ララララララ~」)と水原勇気編のEDだけで、水木一郎が唱った「北の狼南の虎」とその後のキャラクター編のEDなどは入っていません。
一方、「水島新司の世界」というCDでは「ドカベン」、「一球さん」、「野球狂の詩」のテーマソングが「超空想」より多く収録されており、「野球狂」の場合、堀江美都子歌唱の2曲だけでなく水木一郎の歌3曲も入っています。
しかし、タイトルが「水島新司の世界」と言いながら、「男どアホウ甲子園」の歌だけ収録されていないのが残念です。
'70年代の「アニ(メ)ソン(グ)四天王」(佐々木功、水木一郎、子門真人、堀江美都子)と梶原&水島野球アニメの関連をまとめますと、梶原&水島、両方にかかわっているのは佐々木功と水木一郎の2名。
「ドカベン」の後半の主題歌の中で、「コンバットマーチ」を主題歌風にアレンヂした「青春フィーバー」では佐々木、水木、堀江の3名が加わっています。大杉久美子、かおりくみこ、こおろぎ'73も参加していますが、子門真人は加わっていません。
水木一郎は梶原作品では「侍ジャイアンツ」、「サムライ番場蛮」、「心に汗を」、水島作品では「野球狂」、「ドカベン」関連の曲を唱っています。
子門真人は「王者!侍ジャイアンツ」を唱っており、あるいは野球以外の梶原作品(「空手バカ一代」、「柔道讃歌」)で主題歌を担当しています。
「空想」では「侍G」の歌は前半の水木一郎と後半のローヤルナイツ(orロイヤル~)のOP2曲のみ。
「侍ジャイアンツ・ミュージックファイル」では子門真人版と、水木とローヤルナイツのED計2曲も聴けますが、ローヤルナイツの「王者!~」のみフルコーラス収録されている以外は、テレビ用の短縮ヴァージョンになっています。
堀江美都子は梶原作品には縁が薄いようで、水島作品(「野球狂の詩」、「一球さん」、「ドカベン」)で唱っています。
80年代JPOPアーティストベスト20 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 5月11日(日)02時48分52秒 返信・引用 編集済
80年代JPOPアーティストベスト20 2008/ 5/11 2:46 [ No.4128 / 4128 ]
深夜にたまたま、つけたテレビで『スマステ!!』(テレビ朝日2008年5月10日~11日)を観たら、J-POPで80年代にヒットした歌手、グループのベスト20をやっていて、私は爆風スランプのあたりから見始めました。
www.tv-asahi.co.jp/ss/
スタヂオで観ていた香取慎吾と友近も1位のBOΦWYが終わったあたりで、「終わっちゃった」という感じで物足りなさそうでした。
プリプリが入ってSHOW-YAがないことを友近が指摘していました。
また、サザンオールスターズはどうしたとも言いたくなります。桑田佳祐は86年のクワタバンドのときからゴダイゴの Tommy Snyder に英語作詞を頼むようになりましたが、その前は英語に関して小林克也から助言を得ていたようです。
しかし、それだけの80年代はヒット曲を飛ばした歌手の宝庫でした。
視聴者からのメールではC-C-Bのファンもいて、それによると、学校でC-C-B派とチェッカーズ派で分かれていた話もありました。
ランキングを観ると70年代にデビューした人たち、90年代にもヒットを飛ばした人たちが結構、いますね。
1 BOΦWY→氷室と布袋のソロ、COMPLEXも紹介。
2 オフコース(Off Course)
3 レベッカ(REBECCA)
4 チェッカーズ(THE CHECKERS)
5 渡辺美里(WATANABE Misato)
6 THE BLUE HEARTS→「リンダ リンダ」と「TRAIN-TRAIN」がかかった。
7 プリンセス・プリンセス(PRINCESS PRINCESS)
8 TM NETWORK→他局ながら「シティーハンター」の映像つき。
9 尾崎豊(OZAKI Yutaka)→「15の夜」のライブ映像。
10 米米クラブ(Kome Kome Club)
11 徳永英明(TOKUNAGA Hideaki)
12 YMO(Yellow Magic Orchestra)
13 浜田省吾(Hamada Shogo)
14 RCサクセション(RC SUCCESSION)
15 DREAMS COME TRUE
16 爆風スランプ(BAKUFU-SLUMP)
17 ユニコーン(UNICORN)
18 佐野元春(SANO Motoharu)
19 松任谷由実(MATSUTOYA Yumi,Yuming)
20 BARBEE BOYS
小林克也の個人的セレクション。
♪ 矢沢永吉(YAZAWA Eikichi,E.YAZAWA)
♪ X Japan
♪ 安全地帯(Anzen Chitai,Safety Zone)
♪ 久保田利伸(Kubota Toshinobu,Toshi Kubota)
♪ 井上陽水(Inoue Yosui)
♪ 一世風靡セピア(Isseifubi Sepia)
♪ TOM★CAT(番組ではTOM☆CAT)
♪ 吉川晃司(Kikkawa Koji)
同じ内容
http://blogs.yahoo.co.jp/starr_pegasus_of_the_giants/8019304.html
トップ > 生活と文化 > 年齢、世代 > 全般 > ■昭和が懐かしい■
一覧
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80年代JPOPアーティスト 2008/ 5/12 0:10 [ No.4130 / 4130 ]
よく考えたら、このランキングにはアルフィーが入っていない。
アル中(=アルフィー中毒)の皆さんには少し不満かも。
http://blogs.yahoo.co.jp/starr_pegasus_of_the_giants/8019304.html
「巨人の星」名所めぐり 2007/ 3/17 12:28 [ No.55 / 433 ] 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 7月 4日(金)22時05分38秒 返信・引用 編集済
「巨人の星」名所めぐり(一部の施設は今、存在しない)
関東
隅田川公園(1958年、飛雄馬と王貞治、花形満の初対決)
多摩川グラウンド(1967~70年、1976~79年、飛雄馬G現役)
多摩川の釣り堀(1968年日本シリーズ、飛雄馬と伴が門限破り)
後楽園球場
神宮球場
羽田空港
東京タワー近く(1969年、飛雄馬と明子が引っ越したクラウンマンション、明子が花形と出逢ったガソリンスタンドの所在地)
新宿(1970年、京子と竜巻グループがいたところ)
追加:泪橋⚾
九十九里浜(1970年初め、左門が消える魔球打倒練習。星一徹が目撃)
川崎
1. 川崎球場(1967年、左門豊作が大洋W入団)
2. 川崎の某教会(1970年初め、左門と京子の結婚式)
横浜
1.横浜シーサイド(1966年→途中で'67年に変更、青雲と紅洋の試合で花形と飛雄馬の高校初対決。日没引き分けで左門豊作乱入)
2.横浜球場(1978年、左門の所属する大洋は「横浜大洋」になって横浜球場が本据地に。上記「横浜シーサイド」と同じか違うか、私にはわかりません)
鎌倉(1968年、二軍落ちした飛雄馬が仕事をさぼって座禅)
東海
中日球場(1970年後半、原作の左腕・飛雄馬の最後の試合→アニメでは後楽園)
関西
阪神甲子園球場
大阪球場(1970年オールスター、大LB3号初披露)
大阪道頓堀界隈(1970年オールスター直後、花形が明子を乗せてドライブ)
六甲山(1970年初め、花形が消える魔球打倒練習。星一徹が目撃)
九州
宮崎県営球場(巨人宮崎キャンプ地)
宮崎市営球場(〃)
http://www.ryukke.com/giants/camp-list.htm
日南海岸(1969年宮崎キャンプ期間、飛雄馬と日高美奈の想い出の地。1973年、飛雄馬が日向三高野球部と出逢う)
都城(1969年、日高美奈が山奥の診療所で病死した当日、飛雄馬二軍戦登板)
海外
台湾(1968年台湾キャンプ、飛雄馬が大LB1号のヒントをつかんだ→同じころ、伴は宮崎キャンプ)
ハワイ(1967年後半、花形、左門、伴が日本の高校球児代表として日米の試合に参加。次に1978年初め、飛雄馬と伴、一徹が大LB右1号開發のための練習、飛雄馬は現地の人に江川と間違えられる。与那嶺要が目撃)
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団塊のONファンを相手にどこかの会社が国内ツアーでこういうのを企画しませんかね。
宮崎県のPRにもなりますし。
長嶋が学生服姿で背番号3のユニフォームを手にしたのは、「巨人の星」では1958年でしたが、実際は1957年12月のようで東京会館(東京・日比谷)だったようです。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/mister/fe_mi_06062201.htm
飛雄馬が'68年初めにこもった奥多摩の山は、昔、山伏が修行し、飛雄馬が通っていた都心か下町の中学で遠足に行ったところですから、高尾山でしょうか。
飛雄馬と伴が遭遇したスキーヤーいわく「ふもとのO市の高校で野球のエースだった」とのこと。
すると「奥多摩町(市でなく町ですが)」か「青梅(おうめ)市」になります。
/一般社団法人奥多摩観光協会 奥多摩町観光案内所 (okutama.gr.jp)/
飛雄馬が降りた駅は雰圍気からいって古里驛、鳩ノ巣驛、奥多摩驛(1944年から1970年まで氷川=ひかわ驛)でしょうか?
鳩ノ巣からだと御岳(みたけ)山になります。
トップ > エンターテインメント > コミックとアニメーション > 漫画、コミック > 作品 > 少年マンガ > 巨人の星&ドカベン
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梶原野球漫画における球団 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 7月 5日(土)09時32分54秒 返信・引用 編集済
梶原野球漫画における球団 I 2007/ 3/13 13:19 [ No.51 / 433 ]
梶原野球漫画における球団 II 2007/ 3/13 13:20 [ No.52 / 433 ]
梶原野球漫画における球団 III 2007/ 3/13 13:21 [ No.53 / 433 ]
梶原野球漫画における球団(まとめ) 2007/ 3/13 13:21 [ No.54 / 433 ]
『侍ジャイアンツ』におけるライバル球団 2008/ 4/ 6 18:31 [ No.407 / 433 ]
梶原野球漫画におけるライバル球団 2008/ 4/16 6:25 [ No.408 / 433 ]
梶原一騎は「巨人の星」で親子または師弟の絆と人間の成長を描こうと考えていたらしく、「柔道一直線」や「柔道讃歌」、「あしたのジョー」がその流れになる。
「巨人」、「野球」はあとでついてきたものらしい。
↓
Wikipediaによると梶原氏は主役の球団として巨人でなく中日を考えて、断られたという説があるらしい(真偽不明)。
↓
「巨人の星」左腕編の連載時期は'66~'71年。
左腕投手・星飛雄馬のG在籍期間は'67~'70年で川上G絶頂期。
星飛雄馬は一徹により洗脳され、「栄光の巨人軍」を目指して血のにじむ努力をした。
↓
「巨人の星」の '68年では、花形が入った阪神と左門の入った大洋がライバルとして主流。中日は後半で重みを増す。
↓
'69年、水原茂が監督となった中日で星一徹がコーチ就任、A・オズマ獲得。
川上監督のもと、ピッチング・コーチは藤田元司で、日高美奈を失った飛雄馬の大LB1号自滅と復活に対し、川上は冷静だったが、藤田コーチは素直に一喜一憂していた。
伴は花形との2度の会食で「黒い霧、八百長」をしきりに警戒していた。
↓
'70年オズマ帰国。
一徹は伴獲得の理由として「中日Vのためには大LB2号も3号も4号も叩く」と宣言。
この辺りから、話は飛雄馬と一徹・伴コンビの対決に重点が移る。
左門も花形も2号攻略は細かく描かれたものの、大LB3号とは原作では1回づつ対戦して敗退。
↓
伴は3号には敗れたものの、対戦が2回描かれ、最終回は巨・中戦。
'70年川上GV6で、一徹は中日Vを実現しないまま、伴とともに退団。
↓
番場蛮が巨人に入団。
↓
(続く)
↓
'72年に与那嶺要が中日監督に就任。
「侍ジャイアンツ」では番場蛮のライバルとして大砲万作が登場。
大洋の左門をモデルにした選手だが、球団は一徹、A・オズマ、伴と同じ中日。
阪神の花形をモデルにした眉月はヤクルトに入団。
代わりに阪神にはウルフ・チーフが入団。
↓
番場蛮は巨人嫌いだったが最後は巨人のために命をかけた。
'74年、巨人は連覇を逃し中日セV.
星一徹が言った「中日Vの悲願」は彼が球界を去って4年後に実現した。
最後の年、番場蛮にとって「強くて威張っている奴」は中日など他球団だったのかも知れない。
↓
'75年、飛雄馬は一徹の教えから離れ、最下位の長嶋Gを救うため、以前と逆の理由でG復帰を目指す。
阪神では掛布が花形に代わって飛雄馬と戦い、ライバルの「虎」としてロメオ南条が登場。
阪神OBの花形は眉月と同じヤクルトに入団。
↓
伴は巨人OBなのに、同じく巨人OBの星一徹や長嶋茂雄と一緒のときも「中日OB」と呼ばれた。
しかし、飛雄馬が右腕投手として復帰すると、一徹と伴は完全に「巨人OB」に戻り、中日への想い入れはほとんどなくなったようであった。
↓
'78年、与那嶺要が古巣・巨人に指導者として復帰。
飛雄馬の「蜃気楼の魔球」が花形と左門に打たれる。
↓
(続く)
↓
「侍G」と「新巨人の星」には共通点が多いが、その一つは「侍G」(終)の舞台'74年と「新巨」(終)の舞台'78年では、現実の巨人軍がVを逃し、最終回に影響したこと。
アニメでそこを修正し、原作と違う結末になったことである。
球界の勢力の変化が梶原野球漫画に影響を与えた。
↓
「侍G」原作の最後は1974年、番場が中日相手に勝利しながら絶命。
番場蛮を失った巨人はV逸。
「侍G」のアニメでは川上V9の1973年が舞台で、番場蛮は日米対決でも勝利。
↓
「新巨」の最後で星の「蜃気楼の魔球」はヤクルトの花形に打たれる。
長嶋はヤクルト以外のセの他球団に星を引き続いて起用し勝ち続ける。
しかし漁夫の利を得たヤクルトがペナントレース(勝率争い)で浮上。
原作はここで終わり。
アニメ「新巨II」(終)では花形が蜃気楼ボールを打った後に身体を壊して引退し、史実に反して巨人が優勝し日本シリーズでも優勝。
↓
1979年、江川卓入団を迎えた長嶋Gの練習に水木炎が乱入。長嶋は星飛雄馬にコーチ就任を要請する形で戦力外通告。
↓
1980年、王貞治が引退。長嶋茂雄が辞任。原辰徳がG入団。原辰徳は飛雄馬が長嶋に魔送球を投げつけ、王と対戦した1958年の生まれ。
1981年、藤田Gで原辰徳現役開始。
1982年、星野仙一の現役最終年で中日セVを実現。
↓
1987年、梶原一騎没。
1991年、井上コオ作「よみがえれ侍」で藤田Gが対中日戦に番場蛮の甥を起用。
梶原漫画「巨人の星」(「新巨」と「巨人のサムライ炎」を含む)と「侍G」(「よみがえれ侍」を含む)主役&ライバル所属球団
↓
○讀賣→星一徹、星飛雄馬、伴宙太、速水譲次、番場蛮、八幡太平、水木炎、番場(甥)
→注;水島漫画では微笑三太郎が入団
○阪神→花形満、ウルフ・チーフ、ロメオ南条
→注;実在の選手では田淵、掛布も活躍
○大洋→左門豊作
○中日→星一徹、A・オズマ、伴宙太、大砲万作
○ヤクルト→眉月光、花形満
○廣島
注1;アニメ「新巨」で実在の選手・衣笠、外木場、山本浩二が活躍
注2;水島漫画では「野球狂の詩」で武藤兵吉が'76年の廣島で活躍
○パ・リーグ
注2;阪急=現・オリックスが日本シリーズの強敵として度々登場し飛雄馬に挑戦、ホークス・野村克也とロッテ・アルトマンが星飛雄馬の大LB2号を安打、野村は番場蛮の「ハラキリ・シュート」の弱点をつく
注2;水島漫画では主要キャラクターが多数、パ・リーグに入団
『侍ジャイアンツ』では巨人以外のセ・リーグ5球団すべてにライバルがいた。
セ・リーグ
阪神――ウルフ・チーフ、太刀風兵庫
中日――大砲万作
廣島――明智学
ヤクルト――眉月光
大洋―ジャンボ不二立彦
パ・リーグでは金田正一、野村克也、張本勲など実在の監督や選手が番場蛮に挑戦した。
大リーグ
アスレチックス――ジャックス
カージナルスやNYヤンキース?――マイケル・ブラウン
?――死神ゴスマン
『巨人の星』&『侍ジャイアンツ』の主人公&仲間&ライバル球団
巨人――星一徹、星飛雄馬、伴宙太、速水譲次、番場蛮、八幡太郎平、水木炎、番場の甥
阪神――花形満、ウルフ・チーフ、太刀風兵庫、ポポ、ロメオ・南条、難波爽
中日――A・オズマ、星一徹(コーチ)、伴宙太、大砲万作
廣島――明智学、馬耳念仏朗
ヤクルト――眉月光、花形満
大洋――左門豊作、ジャンボ不二立彦
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梶原野球漫画で描いた野球史 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 7月 5日(土)09時34分42秒 返信・引用 編集済
梶原野球漫画で描いた野球史 2007/ 3/21 11:20 [ No.60 / 433 ]
(1920年代)
1920|川上哲治誕生。星一徹も恐らく同い年
……|
(1940年代、"終戦"前)
1942|星一徹G入団
1943|星明子誕生
……|
(1940年代、終戦後)
1948|星一徹G復帰→川上から魔送球を批判され引退
1949年頃、伴宙太、花形満、左門豊作誕生
……|
(1950年代)
1951年頃、星飛雄馬誕生
1954年頃、番場蛮誕生
1958|長嶋茂雄G入団。飛雄馬が長嶋に魔送球を投げつける
――|飛雄馬が王貞治、花形満と対決
1959|王貞治G入団
……|
(1960年代)
1967|左腕・星飛雄馬G入団(~70)。入団テストに堀内登場
――|花形が阪神に、左門が大洋(現・横浜)に入団
1968|9/18巨人vs阪神戦で大乱闘。花形が大LB1号を本塁打
1969|大LB1号自滅→復活→オズマに打たれる
――|飛雄馬が大LB2号(消える魔球)を開發
――|金田正一が引退(記者会見で星と伴が受付担当)
……|
(1970年代)
1970|オズマ帰国。伴が中日に移籍
――|花形が大LB2号打倒。飛雄馬は3号を開發。
――|星、完全試合達成後、失踪
――|花形が引退し、一徹と伴も中日を退団
――|番場蛮G入団(~74)
1971|年初、左門と京子が結婚。番場初登板
1972|番場蛮、「ハイジャンプ魔球」を開發
1973|飛雄馬が宮崎の日向三高野球部を臨時コーチ
――|長嶋2000試合出場
――|番場が「大回転魔球」と「ハラキリシュート」を開發
――|巨人V9で番場蛮が胴上げ投手に
――|番場が「分身魔球」を開發し、ミラクルボールでジャックスを打ち取る
――|(アニメ「侍G」最終回)
1974|番場蛮、「分身魔球」開發(原作「侍G」)
――|番場蛮、試合後急死(原作「侍G」最終回)。中日セV
1975|長嶋G最下位。飛雄馬が花形、明子、伴と再会
1976|右腕・星飛雄馬G復帰(~79)。76,77年の日本一は阪急
1977|花形ヤクルトに入団。9/3王貞治756号本塁打
1978|飛雄馬が大LB右1号(蜃気楼の魔球)を開發
――|右1号が花形と左門に打たれる
――|ヤクルトV→アニメ「新巨II」では巨人V
――|一徹歿。明子が花形の子を出産(アニメ「新巨II」最終回)
1979|飛雄馬G二軍コーチに。江川卓と水木炎がG入団
――|(「巨人のサムライ炎」)
……|
(1980年代)
1980|原辰徳G入団。翌年から現役開始
1982|中日セV
――|愛知県知立(ちりゅう)市秋田病院の食事で赤飯と茶碗蒸し
――|(「1リットルの涙」木藤亜也)
1988|東京ドームが巨人のホーム球場に
1989|藤田Gが小学生を投手に起用(「ミラクルG童夢くん」石ノ森章太郎)
……|
(1990年代)
1991|巨人vs中日戦で番場蛮の甥が登板し、落合博光を三振に打ち取る
――|(「よみがえれ侍」)
1995|王貞治ホークス監督に
……|
(2000年代)
2000|日本シリーズON対決
2000年頃、花形満がリトルリーグで活躍(「新約巨人の星花形」)
2004|アテネ五輪で中畑清率いる日本代表が銅メダル
2006|WBC(世界国別野球対抗戦)で王Japanが優勝
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水島野球漫画で描かれた歴史 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 7月 5日(土)09時36分8秒 返信・引用 編集済
水島野球漫画で描かれた歴史I 2007/ 3/ 9 15:10 [ No.43 / 433 ]
水島野球漫画で描かれた歴史II 2007/ 3/ 9 15:11 [ No.44 / 433 ]
1923=大正12年 岩田鉄五郎誕生(「よれよれ18番」)
1954年 5/5 藤村甲子園誕生(「男どアホウ甲子園」)
1957~58年 水原勇気誕生(「野球狂の詩」)
1958年 5/5 山田太郎誕生(「ドカベン」)
第40大会で徳島商の板東英二投手が1試合25奪三振を記録
1959年 4/1 岩鬼正美誕生(「ドカベン」)
1970~71年? 国立玉一郎と山井英司が白新高校に入学(「熱球白虎隊」)
1971~74年? 富樫平八郎がメッツに入団。TO砲・丘の10番を譲り受ける。日下部了は早稲田に進学
1971年2月 火浦健が傷害事件を起こし退学(「北の狼南の虎」)。北海道勢初優勝ならず
→北海道勢初優勝は33年後の2004年駒澤大学附属苫小牧高校
1972~73年? 白新高校は決勝で敗退。
山井はスポーツ紙記者に(「熱球白虎隊」)
国立メッツ入団(「スラッガー藤娘」、「熱球白虎隊」)
1973年 夏の甲子園で阿蘇高校V.秋、王島大介阪神入団。12月火浦メッツ入団(「北の狼南の虎」)
TO砲(唐部と丘)メッツ入団
1974年
山田太郎等が神奈川県の明訓高校入学、野球部入部
不知火守が白新高校入学、野球部入部
明訓が夏の甲子園(第56回全国高校野球選手権大会)出場
明訓が大阪代表・通天閣高校を破る(「ドカベン」)
火浦健が20勝投手となって東京メッツ優勝(「北の狼南の虎」)
国立が本塁打王になって東京メッツ優勝。国立と結婚したいという7歳の少女・藤子が国立と握手(「白球七五三」)
長嶋茂雄引退。阪神の藤村甲子園が巨人の長嶋茂雄と対決(「男どアホウ甲子園」)
長島太郎がメッツ入団。1年で引退。メッツ最下位で中日セV(「おれは長島だ」)
メッツが日下部了を指名(「ガッツ10番」)
1974年?
藤村甲子園の相棒だった岩風が巨人学園監督に
真田一球が巨人学園野球部に入部
岩風が巨人学園ナインに常時ヘルメット着用を命じ、「赤ヘル軍団」に
某対戦校が南海ホークス(1947~88)ファンで、
捕手は野村克也(南海在籍は1954~77)にあやかって「野村」を名乗る
真田一球の巨人学園が甲子園出場
大阪代表は南波高校で、
藤村甲子園の弟である球二・球三がバッテリー。藤村甲子園も観戦
1975年 夏の甲子園で明訓が弁慶高校に敗れる。優勝は通天閣高校。土井垣は大澤監督(第1次1976~83)の日ハムに入団
東京メッツが水原勇気を指名
廣島カープ赤ヘル旋風
1974~6年? 山田の打撃練習を当時阪神現役の田淵と掛布が見学
1976年 水原勇気が初登板
1976年~94年? 山田ら明訓高3年
夏の甲子園で明訓と巨人学園が対戦
通天閣は予選で南波に破れ、甲子園の大阪代表は南波高校
高知代表は室戸学習塾
山田太郎と中西球道が甲子園で対決(「大甲子園」)
1976年 水原勇気が初登板
1976年~94年? 山田ら明訓高3年
夏の甲子園で明訓と巨人学園が対戦
通天閣は予選で南波に破れ、甲子園の大阪代表は南波高校
高知代表は室戸学習塾
山田太郎と中西球道が甲子園で対決(「大甲子園」)
1981年04月21日 松田聖子「夏の扉」
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/SeikoMatsuda/SRCL-5679/
1981~82年?
明訓VS青田戦で殿馬「秘打・夏の扉松田聖子」(1981年の曲)
1982年 夏の甲子園準決勝で
青田高校の中西球道が1試合26奪三振を記録を記録
→「1958年の第40大会以来24年ぶり」
1983年 夏の甲子園準決勝で青田高校の中西球道が9者連続三振を記録
→「1926年の第12回大会以来57年ぶり」
10/28 松田聖子「瞳はダイアモンド」
/瞳はダイアモンドとは 音楽の人気・最新記事を集めました - はてな (hatena.ne.jp)/
11/11 小泉今日子「艶姿ナミダ娘」
1984年夏?
室戸学習塾ナインが殿馬のリズムを狂わせるため、
民謡(「南国土佐をあとにして」?)、「瞳はダイアモンド」、「艶姿ナミダ娘」を同時に歌う
→殿馬はそれらの中から「瞳はダイアモンド」を選んで他を消す
1985年 準決勝再試合で明訓高校の先発投手である岩鬼が「中日ドラゴンズの小松の昭和60年時」と叫んで投球
→昭和60年当時に阪神タイガースに在籍していたゲイル(Richard Blackwell Gale)投手、バース(Randy William Bass)選手らの物真似も
1994年 山田、岩鬼ら高3。明訓甲子園春夏連覇(「ドカベン・プロ野球編」)
12球団のドラフトに東京メッツは無し。長嶋巨人と王ダイエーが岩鬼を指名。岩鬼はダイエーに入団
山田太郎は公称18歳(実際は36歳)
岩鬼正美は公称17歳(実際は35歳)
山田は東尾監督の西武
殿馬はオリックス(当時仰木監督、イチロー在籍)、
里中は千葉ロッテ、微笑は巨人(当時松井秀喜在籍)に入団
1995年 王貞治、ホークス監督に就任
1997年 岩田と水原が現役復帰、登板し、東京メッツ身うり話は撤回
1998年 岩田鉄五郎、選手兼任監督として現役復帰。国立玉一郎のむすめ・珠美がメッツ入団
国立の妻は「白球七五三」の藤子かどうか不明
1999年 オープン戦で国立珠美がデビュー(「野球狂の詩」)
1999~2000年頃 メッツは大阪ガメッツに三連勝。火浦がガメッツの監督に
2000年 日本シリーズON対決
2000~2001年頃 東京メッツが札幌華生堂メッツに。岩田鉄五郎が巨人の長嶋監督と会い、円山大地がメッツ入団
2001年 長嶋茂雄が巨人監督を勇退
2004年 山田らが東京スーパースターズに入団
駒澤大学附属苫小牧高校が北海道勢で初優勝
2005年 2005年 日本シリーズが東京スーパースターズ対札幌華生堂メッツ。スーパースターズが日本一(「ドカベン」)
→真田一球と呉九郎は楽天に、中西球道は千葉ロッテに入団
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「ドカベン」プロ編以前の実在選手描写 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 7月 5日(土)09時38分22秒 返信・引用 編集済
「ドカベン」プロ編以前の実在選手描写 2007/ 3/12 12:36 [ No.47 / 433 ]
1974|山田、岩鬼、里中、殿馬が明訓に入学
――|徳川監督が明訓の投手に
――|「土井垣相手にびびっていて、
――|プロでONを相手にしたらどうする」
――|部員は「でもその時、長嶋選手は
――|引退していますよ」
――|藤村甲子園が長嶋茂雄と対戦、長嶋現役引退
――|11月のドラフトでメッツが日下部了を指名
――|(翌年、日下部と富樫が一軍入り)
――|
1974|\山田の打撃練習を田淵と掛布が見学
~76|/
――|この時期、巨人学園の対戦校の一つが
――|全員、南海ファンで、捕手が「野村」
――|→高校野球版「巨人・南海戦」
――|
1974|新潟のメッツ・阪神線で富樫平八郎が勝利
~75|阪神では田淵が出場、途中から江夏が登板
――|
1975|明訓が弁慶高校に敗れ、土井垣監督辞任
~79|→土井垣は大澤監督の日本ハムに入団
――|
1976|水原勇気が廣島の衣笠、武藤らと対戦
――|野村克也も「ささやき戦術」の捕手として登場
――|
1985|明訓対青田の試合で岩鬼正美が
――|「中日ドラゴンズの小松の昭和60年時」や
――|ゲイル投手、バース選手の物真似
――|(Wikipediaより)
――|
1994|山田が東尾監督の西武に入団
――|長嶋Gと王ダイエーが岩鬼を指名
――|岩鬼はダイエーに入団
――|微笑は巨人、当時は松井秀喜が在籍
――|殿馬はオリックスでイチロー在籍
――|里中は千葉ロッテに入団
――|
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巨人の星&侍G時代背景 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 7月 5日(土)09時39分32秒 返信・引用 編集済
巨人の星&侍G時代背景(Wikipediaより)I 2007/ 3/ 9 14:27 [ No.40 / 433 ]
巨人の星&侍G時代背景(Wikipediaより)II 2007/ 3/ 9 14:34 [ No.41 / 433 ]
Wikipedia「巨人の星」と「侍ジャイアンツ}の「時代背景」の項目から編輯。
1920年 川上哲治誕生。星一徹も同い年
1942年 星一徹G入団。直後出征
1943年 星明子誕生
1946年 一徹復員
1948年 一徹G復帰→川上から魔送球を批判され引退
1949年頃、伴宙太、花形満、左門豊作誕生
1951年頃、星飛雄馬誕生
1954年頃、番場蛮誕生
1958年 [G監督;水原]
長嶋茂雄G入団
飛雄馬が長嶋に魔送球を投げつける。飛雄馬が王貞治(当時早実高)、花形満と対決
1967年 [川上]
左腕・星飛雄馬G入団。打撃テストで堀内から三塁打
1968年 [川上]
9/18巨人・阪神戦で大乱闘。王が触身球(死球)を受けて倒れ、長嶋が本塁打
花形が大LB1号を予告本塁打。飛雄馬が日本シリーズの対阪急戦で1号改良型を使用
1960年代
学生運動、ボウリングやゴーゴークラブの流行
1969年 [川上]
正力松太郎逝去。巨人OB水原茂が中日監督就任。黒い霧事件
飛雄馬がオーロラ三人娘と逢い、ついで日高美奈と出遭うが、日高美奈は病死。一徹が中日コーチに就任。飛雄馬の大LB1号自滅→復活→オズマに打たれ、2号(消える魔球)登場。金田正一引退記者会見で飛雄馬と伴が受付担当し、終了後、二人で金田を見送る
1960年~73年 ベトナム戦争
1970年 [川上]
巨人軍日本シリーズ6連覇
オズマ帰国。伴が中日に移籍。花形が2号を本塁打。飛雄馬、大LB3号を開発。オズマがベトナム戦争での負傷が元で死亡(アニメ版『巨』)
飛雄馬は中日球場で一徹・伴コンビの中日相手に完全試合達成(最後は右直で何故か2塁中継で1塁→判定が揺れ、提訴試合)。飛雄馬左腕破壊、指の機能を失う。直後失踪(原作『巨』)
花形は飛雄馬の大LB3号と非公式に3球対決し、引退。飛雄馬は後楽園球場での一徹・伴コンビの中日相手に大LB3号を投げ、花形と明子も客席で観戦。飛雄馬は完全試合達成(最後は三遊間突破→2塁中継で1塁アウト)。飛雄馬左腕破壊、指の機能を失い、一徹に負ぶさって球場を去る(アニメ『巨』終)
飛雄馬は後楽園球場で最後の試合に登板し、左肩を破壊、遠投だけできなくなる。明子は試合終了直後に球場に駆けつけ、同時に飛雄馬は担架で運ばれて救急車に乗せられ、病院に送られる(アニメ『新巨』)
番場蛮G入団。眉月光ヤクルト入団
1970~71年頃
シーズン終了後、花形満は星明子と結婚。結婚式に飛雄馬も駆けつけ、3球対決のボールを届ける(アニメ『巨人の星・特別編・猛虎花形満』)
花形満が明子と結婚。結婚式には飛雄馬は現われず、祝電一本よこしたのみ(原作・アニメ『新巨人の星』)
1971年 [川上]
年初、左門と京子の結婚式(『巨人の星』最終回、「エピローグ」)。番場は対阪神戦で勝利(ウルフチーフに打たれるまでノーヒット)。大砲万作が中日に入団
1972年 [川上]
水原茂に代わり、やはり巨人OBの与那嶺要が中日監督に
番場、「ハイジャンプ魔球」を開発。大砲万作と対決
1973年 [川上]
長嶋通算2000試合出場
星飛雄馬が宮崎の日向三高野球部を臨時コーチ(『巨人の星外伝・それからの飛雄馬』)。番場蛮は「大回転魔球」と「ハラキリシュート」を開発。番場の活躍で川上巨人V9達成。番場は胴上げ投手になる(原作『侍G』)
番場が「分身魔球」、「ミラクルボール」まで開発し、日米ワールドシリーズでジャックスを打ち取り、最優秀選手に選ばれる(アニメ『侍G』)
1974年 [川上]
原作の『侍ジャイアンツ』で番場蛮が分身魔球を開発。体力の消耗が大きく、3連投の末に試合終了後に急死。巨人V奪回に向かうとの設定
長嶋茂雄現役を引退。巨人V10ならず中日セVで川上監督勇退。後任は長嶋茂雄
1975年 [長嶋]
長嶋監督のもとで巨人軍最下位、廣島東洋カープの赤ヘル旋風
『新~』第1話で飛雄馬が入った料理店のテレビで中継された試合は、原作では巨・神戦だったがアニメでは巨・廣戦で、外木場義郎、衣笠祥雄、山本浩二が活躍。飛雄馬は草野球代打、次に「野球人間ドック」でG復帰を目指す。廣島セV.“ビッグ”ビル・サンダー来日。阪急日本一。伴が長嶋の言葉から来季張本獲得の計画を察知
1976年 [長嶋]
張本勲が巨人に移籍
飛雄馬が右腕投手としてG復帰。GセV,日本一は阪急。飛雄馬は敢闘賞
1977年 [長嶋]
花形、ヤクルトに入団して球界復帰。
9/3王貞治通算756号本塁打達成。GセV,日本一は阪急。江川卓がライオンズのドラフト指名を拒否して渡米
1970年代
後半の独居老人の孤独死の増加
1978年[長嶋]
与那嶺要がコーチとして巨人に戻る
年初、一徹と伴の協力で飛雄馬がハワイで特訓。現地の人から江川卓と間違えられ、与那嶺要に目撃される。この特訓で大LB右1号(蜃気楼の魔球)完成。まず、ヤクルトの花形が蜃気楼を打ち、残りの他球団相手に飛雄馬が勝ち続けたことで漁夫の利を得たヤクルトがペナントレース(勝率争い)で浮上。左門も蜃気楼を強打(原作『新巨』終)。ヤクルトV
花形が蜃気楼の打倒直後に倒れ引退。飛雄馬の活躍が続き、史実に反して巨人Vが実現。星一徹没。明子が花形の子を出産。アメリカに向かう飛雄馬に江川が挨拶(アニメ『新巨II』終まで)
1979年 [長嶋]
江川卓G入団
江川の投球練習に水木炎が乱入。飛雄馬が現役を引退しG二軍コーチに。水木炎G入団テスト合格
1991年頃 [藤田]
巨・中戦で番場蛮の甥が登板。落合博満を三振に打ち取る(『よみがえれ侍』)
1995年 [長嶋・2期]
星飛雄馬がイチローと対決(ラヂオドラマ『巨人の星'95』)
2000年頃? [長嶋・2期?]
「花形満」がリトルリーグで活躍(『新約巨人の星花形』)
2003年 [原]
飛雄馬たちが野球でアトムと対決(『巨人の星対鉄腕アトム』)
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星飛雄馬と番場蛮の時代I 2007/ 3/21 14:01 [ No.62 / 433 ]
星飛雄馬と番場蛮の時代II 2007/ 3/21 14:01 [ No.63 / 433 ]
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野球狂の詩、70年代までの歴史 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 7月 5日(土)09時40分51秒 返信・引用 編集済
野球狂の詩、70年代までの歴史 2007/ 3/ 9 14:13 [ No.39 / 433 ]
1923年
「よれよれ18番」
岩田鉄五郎誕生。
鉄五郎の若い時代
「鉄五郎のバラード」
「岩田VS五利、フォークボール対決」
1957~58年
「水原勇気編」
水原勇気誕生。
1958年 桜田淳子、森昌子誕生。
1959年 山口百惠誕生。
1971年
「北の狼南の虎」
昭和46年2月、火浦健の養父・政が死に、健が傷害事件を起こして服役2年。
「熱球白虎隊」
山井英司と国立玉一郎が白新高校に入学。
1972年 麻丘めぐみデビュー。
小林麻美「初恋のメロディー」。
1973年
「よれよれ18番」
岩田鉄五郎50歳。
↓
「甚久寿」
甚久寿入団。東京M河野(かわの)がラヂオで「初恋のメロディー」を鑑賞。
↓
「スラッガー藤娘」
国立玉一郎入団。
「熱球白虎隊」
白新高校甲子園準優勝。
メッツが国立を1位指名。
阪神は5位で山井を指名するが、山井は東京日日スポーツ記者に。
桜田淳子デビュー。
「ウォッス10番」
新潟西高校野球部で桜田淳子(73年デビュー)と麻丘めぐみ(72年デビュー)が話題に。
新潟西高校が新潟予選で優勝。
投手・日下部は残り1球で降板し、富樫がVを決める。
「ガッツ10番」
甲子園で新潟西高校が優勝。
11月10日ドラフトで東京Mが2位で富樫平八郎を指名。
1番くじを引いた南海が日下部了を指名するが、日下部は早大進学。
富樫の父親は新潟の平井病院に入院。夕子は看護婦に。
「恐怖のTO砲」
ドラフトで東京Mが唐部大樹と丘知将を指名。
南海は藤田学を指名。
大洋は山下大輔と大橋康延を指名。
阪急は江川卓を指名。
1972~73年?
「北の狼南の虎」
夏の甲子園で阿蘇高校V.火浦は北海道から東京へ。
12月、王島大介(阿蘇高3年?)が阪神から指名され、九州から大阪へ。
投手・山川は地元・太平洋ライオンズに。
火浦健、国立球一郎を三振に打ち取り東京Mテスト合格。
1973~74年
「恐怖のTO砲」
東京インスタント食品(株)が「T,Oヌードル」發賣。
「野球狂の詩・俺は長島だ」
長島太が東京M入団テストに合格。
1974年
「恐怖のTO砲」
4月、TO砲が対阪神戦(阪神バッテリーは江夏と田淵)に初出場。
唐部は右翼、丘は左翼。
1回表、田淵中飛、TOが取り合うも、結局、中堅・甚久寿が捕球。
1回裏、唐部2塁打、丘1塁打で唐部ホームイン。結果 M1-0T
勝利投手・岩田清志。
「モビー・ゴッド」
5月、海王神人が大洋Wに入団。
松原(62~80在籍の松原誠か)の代打で満塁打。
大洋、最下位から浮上。
メッツと対戦。
岩田(清)と千藤が敗れ、岩田(鉄)が3試合目で勝利。
鉄五郎のスクイズで唐部ホームイン。
「北の狼南の虎」
メッツ優勝。火浦20勝投手に。
「白球七五三」
メッツ優勝。国立本塁打王に。
「俺は長島だ」
メッツ最下位。中日セV(史実どおり)。
長嶋茂雄最後の試合と同じ日に、長島太が最初で最後の本塁打を放ち、引退。
「白球七五三」
日本シリーズは東京M対ロッテ。
11/14 第6戦、千藤光サヨナラ本塁打。
「ガッツ10番」
早大「二年目」の日下部がノーヒットノーラン達成。神宮球場満員。
↓
11月、昭和49年度のドラフトでメッツが日下部を指名。
(漫画では「そして四年目の十一月」だが、実質1年後)
1975年
5月、日下部、富樫、一軍入り、
メッツ対阪神、北陸3連戦。
5月5日(金澤)田淵決勝スリーラン。岩田(清)敗戦投手。
5月6日(富山)救援岩田(鉄)、池田(65~78在籍の池田純一か)に2塁打食らい、2連敗。
5月7日(新潟)先発富樫。1回裏丘本塁打。富樫が完封。
「水原勇気編」
11月 東京Mが水原勇気を指名。
1976年 水原勇気登板。
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田淵、江夏、掛布 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年 7月 5日(土)09時42分2秒 返信・引用 編集済
田淵、江夏、掛布 2007/ 3/ 8 9:47 [ No.37 / 433 ]
1968年~
「巨人の星」
田淵は阪神で花形の地位を脅かすスラッガーとして紹介された。
1969年
日高美奈の死のショックで飛雄馬がスランプ。
花形は練習で「田淵ではこの花形は燃えんのだ」。
1970年
巨・神戦で田淵が星飛雄馬の消える魔球の合間の速球を打ち、出塁。
擬似本盗で花形の「三塁走者協力作戦」に参加。
オールスター後の巨・神戦で江夏が大LB3号をヒット。
1973年
アニメ「侍G」で田淵が「分身魔球」と対戦。
1974~76年
「一球さん」
巨人学園の相手チームに田淵そっくりの強打者がいた。
|
「ドカベン」
山田の打撃練習を田淵と掛布が視察。山田の長打を評価。
「俺でもめったにあそこまで飛ばんぞ」。
「今、すぐにでもプロに通用します」。
1975年
「野球狂の詩」
新潟で東京メッツと阪神の試合。
江夏が途中登板でメッツに追加点許さず。
田淵に打席が回る手前で、投手・富樫が阪神打線を併殺で打ち取り、試合終了。
|
「新巨人の星」
田淵が本塁打王。
“ビッグ”ビル・サンダーが花形の紹介で田淵と逢う。
サンダーは田淵の打撃に感激し、一度は阪神コーチ就任を承諾。
1976年
掛布が星飛雄馬のスクリュー・スピン・スライディングを破る。
1977年
田淵の打席でロメオ南条が独断で本盗、アウトになる。
1979年
「がんばれ!! タブチくん!!」
田淵が西武に移籍。
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