/巨人の星、侍ジャイアンツ、ドカベン、野球狂の詩など - 91~100件目 (teacup.com)/
2005年の日本シリーズ 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 5日(日)22時51分38秒 返信・引用 編集済
> No.96[元記事へ]
2005年の日本シリーズ 2007/ 5/11 0:45 [ No.137 / 496 ] ★
水島新司の漫画では、2005年日本シリーズが東京スーパースターズ対札幌華生堂メッツとなった。
こうなると実際に日本シリーズで戦った千葉ロッテマリーンズが除外され、千葉ロッテに入った中西球道は日本シリーズで山田太郎と対戦できなかっただろう。
しかし、水島漫画ではパラレルワールドは日常茶飯事。
「野球狂の詩」の「北の狼南の虎」と「白球七五三」では74年は後半から火浦健を迎えた東京メッツと王島大介を獲得した阪神タイガースが上位2位をキープし、最後はメッツが優勝してロッテと対戦。
それが「おれは長島だ」ではメッツが最下位で、史実どおり中日と巨人が優勝。
この年、藤村甲子園が長嶋茂雄と対戦。
番場蛮はシーズン途中、対中日戦で急死。
秋のドラフトで東京メッツが早稲田大学の日下部了を指名している。
また、中西球道は青田高校時代に全国優勝の経験があるが、そうなると千葉代表ということになり、クリーンハイスクールは予選で敗退したことになる。
ちなみに、中西が「大甲子園」で山田らと18回延長再試合のあとで戦ったとき、青田は敗れているので、クリーンが青田に敗れたのはその前かさらにその前の年ということになる。
また、「大甲子園」で真田一球率いる巨人学園が明訓と戦った大会では、その前の大阪の予選で通天閣高校が南波に破れ、南波は光高校と対戦している。
これより前に、真田の巨人学園は一度、甲子園で南波高校と対戦し、敗れている。やはり通天閣高校は南波に敗れていたはずだ。
そうなると真田が山田らと同期だとすると、山田らの出た甲子園ではつねに大阪は通天閣が代表で、山田ら高二の75年夏の大会では通天閣が優勝している。
したがって75年の大会で「大阪代表が通天閣」と「大阪代表が南波」の2種類が開催されたことになる。
岩風は藤村甲子園の相棒の豆タンで、74年までは阪神にいたので、プロ引退後、一定期間を経ないと高校野球部を指導していけなかったはずだが。それでも監督就任が75年以降とすると、真田が甲子園に出たのは75年しかない。
ところが「大甲子園」で描かれた山田たち高校三年夏の甲子園は82年、83年、85年の可能性もあるし、「ドカベンプロ野球編ん」では94年ということになっている。
ちなみに94年に千葉ロッテに入った里中智は2004年にSスターズに移籍した。
不知火守が94年に入団した日ハムには先輩選手として土井垣がいたが、75年、土井垣と同時期に犬飼小次郎が「あぶさん」と同じ南海に入っており、岩鬼が入団したときはダイエーになっていた。
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アニメ『侍ジャイアンツ』のスタッフ 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)00時01分59秒 返信・引用 編集済
2007/ 5/20 17:06 [ No.1616 / 2233 ] ★
「侍ジャイアンツ」のアニメは原作とは絵が結構違っており、特に番場蛮と美波理香の顔がそうです。
詳しくは私のprofileにある頁をご覧下さい。
NHKでやった日本のアニメ特集では「侍G」が「未来少年コナン」などと一緒に「宮崎アニメ」の一種のように紹介されていました。
宮崎駿(はやお)も「侍G」の絵の仕事に最初だけ関わったそうです。
Wikipedia 宮崎駿>初期
同 大塚康生
同 侍ジャイアンツ>アニメ
「美波理香」の名前のモデルは70年大阪万博でお馴染みの三波春夫でしょうかね。
左門の妻「京子」の名前の由来は、梶原作品「柔道一直線」に出ていた吉沢京子かも知れません。
梶原作品「侍G」の作画は井上コオで、「ルパン三世」はモンキーパンチで、当然、画風が違いますが、アニメスタッフが重複していると似た絵になるわけです。
「アタックNo.1」(浦野千賀子) のアニメの場合、主役の鮎原こずえはさすがに原作に近い絵でしたが、他のキャラクターを観ると梶原作品「巨人の星」(川崎のぼる作画) 左腕編と似た画風でした。
また、「デビルマン」(永井豪) のTV版の絵は毎回変わり、ある回(例えば「妖獣マグドラー・空飛ぶ溶岩」)は梶原作品「タイガーマスク」(辻なおき作画) のTVアニメと似た画風でした。
梶原作品「あしたのジョー」(ちばてつや作画)、「エースをねらえ!」(山本鈴美香) と「北斗の拳」(原哲夫作画) もアニメで時折、似たような濃い劇画風の絵になることがあります。
「ジョー」と「エースをねらえ!」の場合、どちらも出崎統(でざきおさむ)という人が関わっている場合がありますが「北斗」スタッフには見当たりません。
(「エース」と「北斗」というのは奇遇ですね)
逆に「巨人の星」の原作を観ると、子供の描写など、「いなかっぺ大将」、「てんとう虫の歌」に出てくる子供たちとそっくりで、一方で「新」の飛雄馬と"ビッグ"ビル・サンダーの劇画的描写など「フットボール鷹」の世界です。
PAPYLESS 侍ジャイアンツ
ebook 侍ジャイアンツ
NTT-X Store 侍ジャイアンツ
YouTube 話題の動画 侍ジャイアンツ(今は再生不可能)
巨人の星&ドカベン>137 2005年の日本シリーズ 2007/ 5/11 0:45 前後一覧
東M新『巨』/「血みどろの挑戦」 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)12時45分26秒 返信・引用 編集済
> No.95[元記事へ]
「新巨人の星・血みどろの挑戦」 2007/ 4/29 12:18 [ No.1566 / 2233 ] ★
http://www.mxtv.co.jp/kyozin/
4月24日 28話「血みどろの挑戦」
大洋ホエールズ(→横浜)の左門はジョン・シピン(John Sipin, 1946年8月29日 - )の後ろに回って二重ブロックの鉄壁。しかし飛雄馬のSSスライディングは2人分の体重を飛ばしました。このダンサーコーチ版を一人でくらった掛布は入院しても不思議はありません。
↓シピンの在籍期間
1972年~1977年 大洋ホエールズ
1978年~1980年 読売(=讀賣)ジャイアンツ(78年から大洋は横浜大洋に)
左門の妹と弟はまったく成長していません。「巨人の星」での初登場から劇中で10年たっており、もう20歳前後になっているはずです。
ヒントが3連結の蒸気機関車。
「新巨人の星」は1976年から79年まで「週刊読売」連載でしたが、1977年から81年までには「週刊少年キング」で松本零士が「銀河鉄道999」を連載させており、SLブームを反映しています。
📺Galaxy Express 999 OP&ED (Blu-Ray HD) - YouTube📺
↑YouTube「銀河鉄道999」TV版Op
↑YouTube「銀河鉄道999」TV版Ed
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東M『新巨』/「サンダーの裏切り」「カケフとの対決」>左門の妹、弟たちが成長していない点について
東M新『巨』/「非情のバント作戦」3~4 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)12時56分32秒 返信・引用 編集済
> No.95[元記事へ]
「新巨人の星・非情のバント作戦(3)」 2007/ 4/29 17:45 [ No.1568 / 2233 ] ★
http://www.mxtv.co.jp/kyozin/
毎週火曜日21:00~21:30放送
4月3日 26話「サンダーの裏切り」
4月10日 休 止
4月17日 27話「非情のバント作戦」
4月24日 28話「血みどろの挑戦」
1976年前半戦の傳統の巨人・阪神戦。
TIGERS
4中村勝
7島野
6藤田平
2田淵
3ブリーデン
5佐野(掛布は負傷缺場)
8池辺
9川藤
阪神の先發投手・川藤幸三 は途中から交代したのか、7回裏、飛雄馬が代打で打席に入ったときは古沢憲司になっています。
↓
/1234567回
T0010100
G020000
ここまで、阪神の投手が巨人の打者(背番号2)を打取り、阪神の攻撃でブリーデン、田淵(前年75年本塁打王)が打っていました。
アナウンス「ジャイアンツ、2点先行したものの、阪神に3回、5回と点を入れられ、2対2の同点。7回の裏、バッターはピッチャーの新浦ですが」
ここで新浦に代わって代打が星。
阪神のピッチャーは古沢、解説者いわく「絶好調」。飛雄馬は「左門メモ」で古沢のスライダーを打つ練習もしていました。
サンダーが吉田義男監督に耳打ち。飛雄馬は投手出身なので投手にSSスライディングをかけないだろうと古沢にカバーに入るよう助言。
アニメで古沢の背番号が51でした。
飛雄馬初球バント→一塁ブリーデンが捕り、古沢が一塁カバー→星はSSスライディング→田淵の指示「古やん、逃げるんや」で古沢が避けて星セーフ。
しかし、星の「試合そっちのけで勝手に考え事をする」という悪癖のせいで牽制死。
国松コーチ「テストで怒鳴ったのは半ば演技だったが今度は本気だぞ」と説明的な叱責。
試合終了時のスコア。試合途中で映されたのと違います。
↓
/123456789計
T000020001計3
G10213020X計9
アナウンスによるとこれでジャイアンツは首位に躍り出たそうです。
75年V最下位から首位に戻ってナインの一人が「王さん、久しぶりですね、首位の気分を味わうのは」
「新巨人の星・非情のバント作戦(4)」 2007/ 4/29 18:24 [ No.1569 / 2233 ] ★
ここで「新巨人の星」に登場した巨人の国松コーチと新浦投手、阪神の吉田監督に「巨人の星」との関連を中心に簡単に触れておきます。
国松彰(くにまつあきら)
飛雄馬の左腕時代、68年のオープン戦で花形は飛雄馬の速球を強打し、本塁打性の当たりでしたが、この国松がフェンス際の超美技でキャッチ。
花形いわく「高田(高田繁、68年新人王)の加入もあり、国松も必死なのだ。必死な男(国松)と甘い男(花形)がかろうじて皮一枚を残し、君の首をつないだ。ただそれだけのこと」
以前、助けてやったからこそ国松は飛雄馬にあれほど怒ったのでしょう。
--------------------------------------------------
吉田義男(よしだよしお)
吉田義男は現役時代、花形とチームメイトでした。
アニメでは68年9月18日、飛雄馬登板の前に、花形が代打を希望して藤本定義監督(元巨人監督)と話しているときに吉田が打っていたと想います。
巨人の攻撃での例の大乱闘、長嶋の本塁打を経て、阪神攻撃で飛雄馬が救援登板。まず、吉田に大LB1号を投げたものの、阪神ファンの殺気に飛雄馬は動揺して一死を奪いながら併殺ならず。その次に代打で花形が登場、花形が大LB1号を本塁打しました。
「新巨」では75年に花形と再会、花形は「先輩、お久しぶりです」と言い、吉田監督は5年前の花形の引退と、この年に優勝を廣島に取られたことで愚痴っていました。
吉田監督は85年にバース、岡田、掛布を率いて阪神を優勝させています。
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新浦壽夫(にうらひさお)
「新巨」冒頭で飛雄馬が入った料理屋のテレビ中継は、アニメでは巨人・廣島戦で、巨人のマウンドは堀内恒夫、カープ打線は衣笠祥雄、山本浩二でしたが、原作では傳統の巨人・阪神戦で巨人のマウンドは新浦でした。
長嶋G最下位の泥濘の時期、花形満いわく「新浦は本当は凄い投手なんだが、こうプレッシャーにつぶされていては……」
75年に長嶋茂雄がしつこく使った新浦投手はこの76年から成果を出せるようになりました。その後、79年に江川入団で飛雄は現役引退。巨人は江川をエースとして使う方針に移ったようです。
星飛雄馬は76年に右腕投手としてG復帰、79年に引退ですから、新浦と似ています。
84年代に新浦は巨人から韓國の三星(サムソン)に移りました。
新浦は張本と同様、朝鮮系日本人だったようです。
日本球界に戻った87年に新浦が大洋(現・横浜)に移って古巣相手に勝利、92年にヤクルトに移籍し引退。
飛雄馬も同世代の新浦くらい長くやれば名実共に「巨人の星」になれたでしょうが、左腕時代の勝手な失踪癖に加え、試合に集中しないで勝手に考え事をする癖、安易に魔球に走って破滅したがる傾向が選手生命を縮めたと言えます。
79年に長嶋は飛雄馬にコーチ就任要請という形で戦力外通告をしましたが、初めから讀賣首脳部で「星の復帰は3~4年」と決めていた可能性もあります。
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アニメ化してほしい→「ガリバー旅行記」 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)13時01分43秒 返信・引用 編集済
アニメ化してほしい→「ガリバー旅行記」 2007/ 5/31 7:13 [ No.1626 / 2233 ] ★
もちろん、子供向けで色々なアニメはあるでしょうが、原作に忠実な形で、特に最後の「馬の国」での文明批判をそのままにアニメ化してほしい。
以前、テレビで観た実写版もよくできていましたが、肝心の「馬の国」の描写は特撮が難しいのか、描写が不完全でした。
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余談
namudaisihenjyokongou さんの名前は「南無大師遍照金剛」ですか。
このTopic(話題)とは合いませんが、「じょ」を jyo と書く不思議な綴りについて指摘させて頂き、本題に戻ろうと想った矢先に namudaisihenjyokongou さんの投稿があったので、一応、お知らせします。
LINK1
こちらで問題にすべきでしょうが。
↓
LINK2
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=t&board=552018664&sid=552018664&type=r
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/romaji.htm
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/romaji2.htm
東M『新巨』/「長島宣告の怪奇」「王貞治ノーコン投法」 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)13時05分34秒 返信・引用 編集済
> No.101[元記事へ]
「新巨人の星・長島宣告、王貞治投法」 2007/ 5/31 8:27 [ No.1627 / 2233 ] ★
「長島宣告の怪奇」
「王貞治ノーコン投法」
田淵と掛布は納得して練習に協力。
星の投球練習を見る王貞治。
長嶋監督は星を投手として使う方針を決める。
王貞治が星飛雄馬に「ノー・ワインドアップ投法」を教える。
アニメで王は星の足腰の鍛錬にまでつきあっていたが、原作ではそこまではやっていない。
原作では王が飛雄馬に「ノー・ワインドアップ投法」を教えたときに、その場で「この世界、何より自分のため」、「自分が投打ともに変則的フォームに縁がある」と述べている。
アニメでは話数を稼ぐため、一緒の練習シーンも2回繰り返し、さきほどの王の台詞も場面を変えてから。
ところで、王貞治氏は76年当時も兎跳びをやっていたのだろうか。
兎跳びであんな急な階段をのぼったら却って足に悪いのでは?
どう見ても山の中の神社の階段に見える。
そして星飛雄馬がマウンドにあがるところで次回に続く。
http://www.mxtv.co.jp/kyozin/
6月5日 34話「右腕の初勝利」
6月12日 35話「打倒!タブチ・カケフ」
6月19日 36話「自滅の四死球」
6月26日 37話「決戦!飛雄馬対左門」
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東M新『巨』/「右腕の初勝利」 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)13時10分58秒 返信・引用 編集済
> No.103[元記事へ]
「新巨人の星・右腕の初勝利」 2007/ 6/ 6 2:53 [ No.1632 / 2233 ] ★
「侍ジャイアンツ」も井上コオの絵よりは、アニメの番場蛮の方が有名になっているような感じです。
今回の「新巨人の星」は「右腕の初勝利」。
「意外な初勝利」は星が自分で打って出塁し、柴田の打撃で生還したことのようでした。
しかし、飛雄馬の右投手としての復帰と勝利自体が、世間から見て「意外」だったのでしょう。
今回は掛布や田淵との対決はお預けで、次回のお楽しみ。
飛雄馬の右腕投手としての復帰は傳統の巨人・阪神戦でした。
左腕を壊してマウンドを去ったときと同じ巨人・中日戦でマウンドに復帰しても良かったと想いますが、そうではなく、阪神のサンダー・掛布コンビとの戦いが重要だったのでしょう。
原作「侍ジャイアンツ」の場合、番場蛮が急死した最後の試合が対中日戦で、おそらくは17年たって番場蛮の甥が公式戦デビューした試合も対中日戦でした。
Re: 「新巨人の星・右腕の初勝利」 2007/ 6/12 17:46 [ No.1640 / 2233 ] ★
どうも過去の説明が多すぎますね。
「もう知ってるよ」と言いたいことが何度もあります。
右腕・星飛雄馬の初登板は小林繁投手を救援。
原作でもやはり右腕・星野最初の対戦相手が阪神の中村勝広。
ただ、原作では讀賣のジョンソンが決勝代打2ランを放って星が勝利投手になります。
「新巨人の星」が終わった79年、江川卓の入団と引き換えに小林繁は讀賣から阪神に放出されました。
小林投手の移籍は田淵のライオンズへの移籍とともに「がんばれ!タブチくん」で描かれていたと想います。
明石家さんまは小林繁投手の物真似で有名になりました。
阪神の吉田監督は「野球狂の詩」の水原勇気編で出てきます。
吉田阪神が優勝したのは85年で、岡田彰布(のちの監督)、バース、掛布雅之が中心でした。
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野球漫画の中の絵の使いまわし 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)13時13分55秒 返信・引用 編集済
> No.103[元記事へ]
野球漫画の中の絵の使いまわし 2007/ 6/ 6 2:24 [ No.1631 / 2233 ] ★
アニメで使い回しが多いのはセル画節約のためで当然です。
喜ぶ観客の場面など巨人ファンも阪神ファンも同じ人だったり。
制作費の事情が内容にも影響します。
ロボットアニメでは格闘シーンが絵を浪費する一方、ミサイルやビームだと毎回同じ絵で済むのでそれを何度も使うことが多く、それならその武器を基地や戦車や戦闘機に搭載すればいいはずです。
一方、実写版特撮の場合、光線の画像処理で昔は金がかかり(今はCGだらけですが)、格闘場面の方が経済的です。
昔の「ウルトラマン」系の巨大ヒーローものでは、格闘場面は小さい街や山のセットを作る必要があり、怪獣出現までの人間ドラマで大半の時間を使うので、設定上も変身は数分以内が多く、光線はいつも最後に1回。
一方、「仮面ライダー」や「××レンジャー」系の等身大ヒーローはそのまま屋外で戦えば基地などを除いてセットはほとんど不要で、変身も時間制限はないのが普通ですし、決め技もキックやボールが多かったようです。
「巨人の星」の場合、前作の左腕編でもアニメでは使い回しが多かったものの、原作ではコピーでも良さそうなところまで川崎のぼるが一々改めて描いていたようです。
これはコピー機の普及の度合いと関係があるでしょう。
一方、「新巨人の星」では、原作の漫画でもコピーの使い回しが多かったようです。
文庫版第1巻を観ると、サンダーと飛雄馬が投げたり打ったりする場面はもちろん(素手をグラブに描き替えたり)、守備陣が帰る場面や、サンダーと飛雄馬のランニングシーンまでコピーと一部修正です。
線が周りより細いところも多く、倍率の調整が大変だったでしょう。
直接描いた方が楽だったんじゃないかと想うほどです。
「飛雄馬の打撃や投球のフォームが改善された」とか、「サンダーが多くの投手の投球フォームを再現する」とか、後になって出てくる「飛雄馬の投球フォームで左門が球種を読む」という設定でも、実際に絵を見ると大して変わらないのです。
なお、野球漫画のアニメ化では登場人物がテレビを観る場面でもラヂオを聴く場面でも、アナウンサーの声は同じ声優で済ませるのが普通ですが、今回の「右腕の初勝利」では左門がラヂオで聴く場面だけアナウンサーの声が違ったように聴こえました。
その辺はどうでしょうか。
もし、別の声優の声なら、実際の野球中継ではラヂオとテレビでアナウンサーが別なのは当たり前のことですが、アニメでは珍しいことです。
野球漫画の「中の絵の」使いまわし 2007/ 6/ 6 6:20 [ No.1633 / 2233 ] ★
タイトルを少し正確なものになおします。
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コピーした絵の使い回し
「巨人の星・水原監督と父一徹」 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)13時17分20秒 返信・引用 編集済
> No.104[元記事へ]
「巨人の星・水原監督と父一徹」 2007/ 6/25 23:03 [ No.1653 / 2233 ] ★
「過去の説明が多すぎる」と書いたが、意外と役に立つかも知れない。
先日、左腕編「巨人の星」(68~71)のごく一部を収録したDVDを1枚、安値で購入した。収録されているのは以下のとおり。
第95話 「手さぐりの青春」
第96話 「水原監督と父一徹」
第97話 「宮崎キャンプでの噂」
第98話 「姉、明子の道」
第99話 「運命の出合」
大リーグボール1号の時期で、原作でいうと旧KC(講談社コミックス)の12巻の前半、今の文庫版の7巻の中盤と想われる。飛雄馬と明子がマンションに引っ越して、オーロラ三人娘の橘ルミと噂になり、宮崎で日高美奈と出逢うまで。
DVDのジャケットにはデカデカと橘ルミの顔のアップ。
第98話「姉、明子の道」のところで明子が久々に長屋を訪ねるというアニメオリヂナルエピソードが描かれ、飛雄馬の高校時代の回想シーンが繰り返されていた。これは得した気分だった。
約20年前の「北斗の拳」のテレビアニメでも、ときどき、「これまでのあらすじ」的な回を挟むことがあり、声優のスケヂュールの都合もあったのだろうが、途中から観た人には助かっただろう。
中日ドラゴンズ関係者が星一徹を料亭に招いて、コーチ就任を要請した場面で、アニメでは水原監督が参加。
ここで原作にない脚色が生きていた。
一徹の心の中の台詞で巨人OBとしての経歴が紹介され、水原茂の台詞でシベリア抑留、そして巨人を去った者同士が打倒巨人を目指すことが球界のためになるという意見が出て、何年かけてもやるという意欲を示していた。
これは原作にない脚色。
中日による打倒巨人は、星コーチと水原監督が中日から去ったのち、「侍ジャイアンツ」原作最終回の後、やはり巨人OBの与那嶺監督によって達成されることになる。
今、見てみるとうまくできたアニメである。
会談後の一徹を見た料亭の女中さんたちが「鬼みたい」と言う台詞で、アニメでは女中さんたちが店のものを落としていた。
前にも書いたように。「巨人の星」の登場人物は驚くと瓶でもスコアブックでも双眼鏡でも手から落とす危ない人たちらしい。
橘ルミは足の負傷を隠してステーヂに立って「クールな恋」を唱っていた。さすがは梶原キャラクター。
それで飛雄馬がゴシップの被害者になるのを気にして、飛雄馬から身を引いた。
「巨人の星」では何でも取材したがるマスコミの悪癖が飛雄馬たちを苦しめる描写が多かった(特に飛雄馬や花形がやった特訓など)。
原作の場合、宮崎キャンプで投球練習していた星は、橘ルミに気をとられて伴からの返球をそらし、それが美奈の連れてきた少女に当たり、橘ルミが金で解決しようとして、飛雄馬と決裂した。
ところが、アニメでは橘ルミは先に身を引いたので、飛雄馬は何と普通の女子高生ファンに気をとられてボールを捕り損ねた。
アニメでは橘ルミが人間的にいい意味で「大人」として脚色されていたのに対し、飛雄馬の方がだらしなくなっていた。
橘ルミの声を増山江威子が担当していたことには改めて驚いた。
「オーロラ三人娘」の「クールな恋」でもリードヴォーカル。この歌のオーロラ三人娘伴はオムニバス盤「超空想ベースボール」に収録されている。
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東M『新巨』/「自滅の四死球」「決戦!飛雄馬対左門」 投稿者:starr_pegasus_of_G 投稿日:2008年10月 6日(月)13時19分42秒 返信・引用 編集済
> No.104[元記事へ]
「新巨人の星・自滅の四死球」 2007/ 6/25 23:04 [ No.1654 / 2233 ] ★
「新巨人の星」に話を戻すと、右腕投手として復帰した飛雄馬をテレビで観た一徹は妻・春江の遺影を置いて「母さん、ここにはわしの作品でない飛雄馬がおる」と言った。しかし、一徹はここでも「わしの執念で改造された左“肩”でのうで、右“肩”で」と言っており、また「肩」にこだわっていた。
この場合は「肩」でも誤りではないだろうが、左腕時代の最後に飛雄馬が壊したのが左の「腕」、肘と手首の間の筋肉であったのに、「肩」を壊したという設定に変えられた結果が随所に見受けられる。
飛雄馬はその直後、四死球で一度自滅した試合があったが、これは原作では対戦チームが不明で軽く触れられる程度だったが、アニメでは「対ヤクルト戦」として詳しく描かれた。
花形を獲得する直前の広岡監督が活躍していた。
右腕・星と左門の初対決も原作ではあっさりと描かれたが、アニメでは詳しく描写されたのだろう。期待する。
www.mxtv.co.jp/kyozin/
毎週火曜日21:00~21:30放送
6月5日 34話「右腕の初勝利」
6月12日 35話「打倒!タブチ・カケフ」
6月19日 36話「自滅の四死球」
6月26日 37話「決戦!飛雄馬対左門」
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「新巨人の星・決戦!飛雄馬対左門」 2007/ 6/30 5:24 [ No.1664 / 2233 ] ★
原作であっさりと終わった対決がアニメでは1回まるごと。これが妥当でしょう。
左門が飛雄馬を打倒するため、練習しすぎで一時スランプに。
バットには左門の手から流れた血がついていました。言った左門にしては珍しい
まるで大LB左1号を打ったときの花形のよう。
当時、左門は「花形君がうらやましい」、「自分には家族の生活があるので、花形君のように一打席のために玉砕するわけにはいかない」とコメントしていました。
「新巨」では花形が復帰するまで、掛布や左門がそういう役回りでした。
また、右腕投手として復帰した飛雄馬のボールが「重く」なっていることが判明。
球質の「重い」、「軽い」は日本球界で生み出された勘違いで、アメリカではそんな概念はありませんが、漫画だから球の重さが変わると解釋しましょう。
河崎実は「飛雄馬の人間としての重みが加わった」と、漫画的な分析しています。
こうなると父・一徹によって矯正された結果の左腕は何だったのかという指摘(豊福きこう)もうなずけます。
一徹は「左有利の原則に從っても、飛雄馬は球質の軽さという缺点に苦しんだ」、「それを右で繰り返せば無間地獄」と言っていました。
しかし、生来の利き腕・右腕で投げればよかったわけです。
そうなると、左腕編アニメ版の「幻のスイッチピッチャー」は無駄な話になってしまいました。
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/巨人の星(雄飛編)第96話「水原監督と父一徹①-2」 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/
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