今日は8月6日。
映画『ヒロシマナガサキ』の冒頭で「知らない」と言った嘆かわしい若者もいましたけど、もうちゃんと覚えたのでしょうか?
今もなお24万人いる被爆者。原爆症認定はそのうちわずかの人だけ。上告しないというニュースもあったけど、タレント出身の厚生労働大臣は平和祈念式典に参加するのだろうか・・・などと様々な思いでNHK特別番組『ヒバクシャからの手紙』を見た。
目を閉じると恐怖にかられそうな情景描写、その後の過酷な人生などをアナウンサーが切々と朗読する。特に、子供や孫にも原爆症が遺伝しないか心配している方や偏見や差別のために結婚できなかった方の手紙が印象的でした。
ゲストには広島県被団協理事長の坪井直氏、1万通以上の手紙を写経のつもりでノートに書き留めたという井上ひさし氏。「被爆から数日経つと死体が物にしか見えなくなるほど人間の神経を麻痺させる」「生きることの大切さ」「語り継いでいかねばならない」ことなど、印象に残るコメントが多かった。
NHK広島開局80年ドラマ「帽子」
広島県呉市。かつて山本五十六の軍帽を作ったことが誇りである小さな帽子屋。主人の春平(緒方拳)は妻が4年前に亡くなってからは物忘れがはげしくなり、東京に出て行った息子夫婦からカメラ警備もつけられいるほどで、注文も年々減ってきている。ある日、担当警備員の吾朗(玉山鉄二)が家を出ていったまま音信不通だった母・世津(田中裕子)の家族からの手紙を置き忘れ、盗み見た春平は彼女が余命3か月であると知る。偶然にも、その世津は春平の幼なじみであり、妹のように育てた過去があったのだ。
ドラマは春平と吾朗が東京に住む世津を訪ねるというロードムービー風な一面も見せつつ、「誇りを持って生きる」ことをテーマとした心温まる内容。ボケが始まっている(かと言って、自分で言ってるのだから単なる物忘れがはげしいだけ)せいか、妹のように可愛がってた世津を嫁にしなかった後悔の念が再燃した春平。そして警備員という仕事に失望しすべてに自信をなくしてしまっている吾朗。さらに春平の息子も左遷という状況にあるため、現代社会における職業意識の問題や孤独な老人といったこともテーマとして取り入れてる。そして、その根底には世津が胎内被爆者であるという事実、被爆者であるということでいわれのない差別を受けていた過去が重くのしかかっているのだ。
母親が胎内被爆者だったという事実をつきつけられた玉山鉄二の表情が真に迫っていてよかった。家族による結婚反対、いじめ、そして追い出されるように逃げた母。被爆者の苦悩は直接的ではないにしろ、聞いているとつらい。淡々と語る岸部一徳なだけに一層つらい。それでも東京で小さな幸せをつかんでいた様子だったのでホッとできた。
映画『ヒロシマナガサキ』の冒頭で「知らない」と言った嘆かわしい若者もいましたけど、もうちゃんと覚えたのでしょうか?
今もなお24万人いる被爆者。原爆症認定はそのうちわずかの人だけ。上告しないというニュースもあったけど、タレント出身の厚生労働大臣は平和祈念式典に参加するのだろうか・・・などと様々な思いでNHK特別番組『ヒバクシャからの手紙』を見た。
目を閉じると恐怖にかられそうな情景描写、その後の過酷な人生などをアナウンサーが切々と朗読する。特に、子供や孫にも原爆症が遺伝しないか心配している方や偏見や差別のために結婚できなかった方の手紙が印象的でした。
ゲストには広島県被団協理事長の坪井直氏、1万通以上の手紙を写経のつもりでノートに書き留めたという井上ひさし氏。「被爆から数日経つと死体が物にしか見えなくなるほど人間の神経を麻痺させる」「生きることの大切さ」「語り継いでいかねばならない」ことなど、印象に残るコメントが多かった。
NHK広島開局80年ドラマ「帽子」
広島県呉市。かつて山本五十六の軍帽を作ったことが誇りである小さな帽子屋。主人の春平(緒方拳)は妻が4年前に亡くなってからは物忘れがはげしくなり、東京に出て行った息子夫婦からカメラ警備もつけられいるほどで、注文も年々減ってきている。ある日、担当警備員の吾朗(玉山鉄二)が家を出ていったまま音信不通だった母・世津(田中裕子)の家族からの手紙を置き忘れ、盗み見た春平は彼女が余命3か月であると知る。偶然にも、その世津は春平の幼なじみであり、妹のように育てた過去があったのだ。
ドラマは春平と吾朗が東京に住む世津を訪ねるというロードムービー風な一面も見せつつ、「誇りを持って生きる」ことをテーマとした心温まる内容。ボケが始まっている(かと言って、自分で言ってるのだから単なる物忘れがはげしいだけ)せいか、妹のように可愛がってた世津を嫁にしなかった後悔の念が再燃した春平。そして警備員という仕事に失望しすべてに自信をなくしてしまっている吾朗。さらに春平の息子も左遷という状況にあるため、現代社会における職業意識の問題や孤独な老人といったこともテーマとして取り入れてる。そして、その根底には世津が胎内被爆者であるという事実、被爆者であるということでいわれのない差別を受けていた過去が重くのしかかっているのだ。
母親が胎内被爆者だったという事実をつきつけられた玉山鉄二の表情が真に迫っていてよかった。家族による結婚反対、いじめ、そして追い出されるように逃げた母。被爆者の苦悩は直接的ではないにしろ、聞いているとつらい。淡々と語る岸部一徳なだけに一層つらい。それでも東京で小さな幸せをつかんでいた様子だったのでホッとできた。
運転手さんによると広島でも市外の若者は答えられなかったそうで…
ビックリなんですが、こんな知ってて当たり前の事を学校で教えてないんでしょうか!?
海外の方々は、結構この事に関して熱心でいらっしゃって式典に出席しに続々来日されるぐらいなのに…
丁度嘆かわしく思っていたとこでしたので書きました。長文申し訳ございません。
せっかく原爆の日なのにニュースではオリンピックやギョーザや水の災害がメインになっていて・・・
今でも小学校なんかは夏休み登校日にしてるけど、ちゃんと教えてるんでしょうかねぇ。
まぁ8月6日という日は覚えられなくても、原爆の恐怖や日本が唯一の被爆国であることを学んでほしいものですよね・・・
8月6日と9日が原爆投下の日という認識は、ご飯を食べるときに「いただきます」を言うくらい当たり前でした。
山口出身の友人も同様のようです。
でも関東に出てきたら、その当たり前のことを知らない同世代がたくさんいるので驚きました。
ただし私たちは8月15日が日航機墜落の日という認識はほとんどなかったのですが
地域性はあるものですね。
でもそれ以上に、教育の力って大きいなと思ったことでした。
俺の小学生の頃もしっかりと登校日になっていました。毎年あるもんだから、原爆の日は忘れようにも忘れられない日になっています。
教師たちが戦争を知らない世代になっていることも原因かもしれないし、反発するPTAもあるのかもしれませんよね。
慰霊祭には年々海外のジャーナリストが増えてきてるのですが、逆に日本人の意識が下がってしまっては・・・嘆かわしいことですよね~